90話 エピローグ①
――それから二年近い月日が流れた。
「おはよう、デレアさん。今日は特に早いのね?」
「おはようございますリアンナ長官。ええ、昨晩読みかけの本が気になってしまって……これからまたすぐに蔵書室へ行こうかと」
「うふふ、相変わらずよねデレアさんは」
私は今も王宮で尚書官の仕事に就いている。
「あ、おはようございますデレア様! ご機嫌麗しゅう」
「お、おはようございますカリン先輩。……それより毎日言ってますけど、いい加減もうその敬語やめませんか?」
「いえ、滅相もございませんッ! デレア様は近々王妃となられるお方。私のようなゴミ屑下民が無礼な言葉遣いをしては、フレイラー一族の大恥となってしまいますから!」
私がグランシエル王太子殿下と婚約関係となった二年前。
あの後、マグナクルス国王陛下はすぐに退位せず、二年後に退位してグラン様に即位させると公表した。
色々な準備期間に加え、私が成人する十六になるまで即位するのを待ちたいというグラン様たってのお願いの結果だそうだ。
私としてもいきなり王妃になんてなれるわけもなく、きっと私への配慮の結果なのだろうなとも思った。
そしてあの大舞踏会の翌日以降、すっかりカリン先輩は私に対して妙な距離感となってしまった。
避けられているというのではなく、なんというか……。
「デレア様! 本日は何かお手伝いされる事はございませんか? 私めができる事ならなんなりと。デレア様のご命令とあらば靴底すら喜んでお舐め致しますが?」
「な、何もありませんからお構いなく、カリン先輩」
「私めなどに先輩、などという敬称は不要にございます! カリン、と呼び捨ててくださいとあれほど……」
異様なほどに敬われているのだ。二年間ずーっと。
カリン先輩は元々実力主義、身分重視な傾向は強くあったが、私が次期王妃となってしまった事でここまでへりくだられてしまい、正直困っている。
王妃の威光をあやかりたいという彼女の腹黒さもあるのかはわからないけれど、これは少しやりすぎなんだよね……。
他のみんなは割とすぐに元に戻ってくれたというのになあ。
「と、とにかくカリン先輩はご自分のお仕事に専念なさってください」
「かしこまりました! ですが何かあれば遠慮なくこのカリンめをお呼びくださいませ。私、カリン・フレイラーはデレア様の為ならばいかなる……」
「カリン。お前は朝っぱらからうるさいぞ」
カリン先輩の背後からヤリュコフ先輩が尚書官業務室に入ってきて彼女の頭をこつんと叩きながらそう言った。
「おはようございますヤリュコフ先輩」
「ああ、おはようデレア。相変わらずキミは勤勉で偉いな」
ヤリュコフ先輩ヤミャル先輩、ナザリー先輩は以前と変わらず、しっかり私を尚書官の後輩として対応してくれている。
何故なら私がそうお願いしたからだ。
私はグラン様と婚約した後も、正式にヴィクトリア王妃となるまでは尚書官の仕事を続けたいとグラン様にお願いした。
そしてその間だけは私を今まで通りの後輩として扱って欲しいと尚書官のみんなにもお願いした。
グラン様は構わないよと言ってくれたが、案の定王家の関係者や周囲の者たちはあまりよい顔をせず、簡単には許可を出さなかった。
お妃教育を受けながらそんな仕事ができるはずがないと周囲から強く反対されたが、私はお妃教育もきちんとこなすから尚書官の仕事を続けさせて欲しいと懇願した。
当初、グラン様にお付きの侍女たちは私の事を陰では大層馬鹿にし、見下していた。
しかし私の学力と知識、そしてお妃教育をこなしつつその合間に尚書官の仕事を続けていくその姿勢を見せつけていくうちに、ゆっくりとだが王家の人たちも私を認めていってくれた。
今では次期王妃は神の子だと囃し立てる者たちすら増えていたりするのだと、グラン様は笑って言っていた。
あまり目立ちたくはない私だったが、そもそもグラン様の婚約を受け、次期王妃となる事を認めてしまった段階で「目立ちたくない」という私の願いは叶う事はなくなるとは理解していたし、仕方がない。
「お、いたいたデレア。お前、まーた蔵書室で一人引き篭もってんのかよ」
尚書官のみんなに朝の挨拶を終えて、私が第三蔵書室に篭っていると相変わらずの口調でリヒャインが突然現れた。
「なんですか、リヒャイン。ここは私の仕事場ですよ。それにいつも言っているでしょう、扉は静かに開きなさいと。本たちが可哀想でしょう」
「はいはい、本さんすみませんでした。ってか、なんだその口調?」
「なんだとはなんです?」
「気持ちわりぃよ。デレアっぽくねえ」
「仕方がないでしょう。もうじき戴冠式ですもの。そうなればいよいよ私も王妃となってしまう。さすがに王妃ともあろう人が、あんな口調でいるわけにはいきませんから」
「だから俺様の前でも演技してんのか? 似合わねえよ。やめろやめろ。だってお前、ちょっと前まではグランの前でもあの口調だったじゃねーか」
「……はあ。ったく、じゃあこれでいいのか? こう言う風に喋れば満足なんだろう?」
「お、そうそう! やっぱデレアはそれじゃねぇとな。グランも言ってたぜ、その口調のままでいいのにってよ」
「グラン様は良くても、周りが許さないんだよ。特にナーベル宰相にはこっぴどく怒られたんだぞ、私は」
「あー、ナーベル宰相は怖い。あの人には逆らえねーな……」
ザイン宰相失脚後より宰相の座に着いたのはナーベル法官であった。
また、グラン様とナーベル宰相の意向によって、もっと官職に女性を増やす事となり、リヒャインたってのお願いもあって……。
「あー! まーたここにいらっしゃいましたのね、リヒャイン様!」
「ド、ドリゼラ!? く、くそ、何故バレたし!」
ドリゼラも今や宮廷官の職に就いている。
しかも彼女は魔法騎士団に所属しており、筆頭宮廷魔導師と呼ばれる官職だ。
かねてより高い魔力が注目されていたドリゼラはグラン様の推薦もあって、十四歳となった今年から私と同じく宮廷で働く事を命じられた。
ドリゼラは十四歳になる前にはすでに中級魔法を本格的に会得し、しかも勤勉だった為、すぐに三級魔導師の資格も取った。おそらく彼女の才能なら翌年には二級魔導師の資格、そして近いうちにリヒャインと同じ一級魔導師になってもおかしくないだろう。
その高い才能を買われたのである。
「バレたし、じゃないですわよ、全く! あ、デレアお姉様もおはようございますわ!」
「ええ、おはよう、ドリゼラ。その様子だとまたリヒャインは逃げ出したのね?」
「そうなんですの! リヒャイン様、また座学のお勉強から抜け出してて……さあ戻りますわよリヒャイン様! あなたにはこれから他国語もしっかりと覚えて、ギランお父様と同じ外交官になってもらわなくては困るんですからね!」
「ひー……俺様、座学はやりたくねぇんだよお……」
「駄目ですわ! 私の旦那様になろうともいうお方が、お馬鹿さんではお話にならなくてよ! あ、お姉様、また後でゆっくりお話ししましょうねー!」
「ああ。リヒャインをしっかり教育してやってくれ」
「もちろんですわ! さあ行きますわよ!」
「あああぁぁぁぁぁ……」
儚げな声でリヒャインはドリゼラに連れられて行ってしまった。
リヒャインとドリゼラは実に仲睦まじいが、ドリゼラの方が最近ではかなり上手のようで、これはリヒャインは尻に敷かれるなと私は思っている。




