7話 魔法の使い方
「おいフラン。お前、昔に草花を弄って手が痒くなったり、かぶれたりした事はないか?」
「お嬢様……どうして……それを? はい、あります……数年前、カタリナ奥様が大事にしているお庭の手入れの時、マリーゴールドの花を手入れした事があって……その時、指先に少し痒みがありました」
「それだ、マリーゴールドだ」
「え……? でも、マリーゴールドを弄ったのは数年前で……その時、私も異変を感じたから、それ以来マリーゴールドには触らないようにしていましたが……」
「違う。今日の原因はカモミールだ。カモミールのハーブティーを用意したのだろう?」
「は、はい……。更に奥様に労ってもらい、私もハーブティーを薦められたので……少しいただきましたが……それが何か……?」
こいつ、飲んでるのか。不味いな。
「お前の症状は過敏性のアレルギー反応、アナフィラキシーショックと呼ばれるものだ。お前のそれは、キク科の植物に対する抗アレルゲン反応の現れだ」
「かび……あ、あなふぃら……?」
「アナフィラキシーショック。お前が知らないのも無理はない。この病名は医療学術的にごく最近名付けられたばかりだからな。まあ、この病気自体は昔からあったらしいが」
「そう、なのですか……ぜえっ……ぜえっ」
呼吸音が変わった。動悸が高まって血圧も急激に低下している。不味いな、本格的に呼吸困難に陥りそうだ。
他の侍女たちに命じて医者を呼ぶべきだろうが、そんなのは後回しだ。今、できる対処をまずは最優先で行わなくては。
「足の方を少しあげるぞ」
私はそう言ってベッドに寝かせたフランの足首の裏あたりに適当な座布団を丸めて入れ、足の高さをあげた。
しかしこれだけで自然回復を待つのは危険だ。なんとかアレルギー反応を抑えなくては駄目だ。
一時期、学院図書館の魔導医学書ばかりを好んで読み漁っていたのが幸いした。どうすればいいかはわかっている。この症例も対処法も以前に図書館の医療技術に関する近代歴史書で読んですでに学んでいる。
アドレナリンだ。
アレルギー症状を抑えるには抗ヒスタミン剤ともなるアドレナリンを筋肉に直接投与すれば早期回復が見込める。アナフィラキシーショックという病名が医術に広まり始めた数年前から、対処法のアドレナリン薬剤も作られ始めてはいる。だが、まだ容易く入手できるものでもないし、当然この屋敷にも常備薬として置いてあるはずがない。
私は頭を回す。
何か妙案があるはず。
「……いや、待てよ」
そうだ。あった。
「おいフラン、意識はあるか? 私の声は聞こえているか?」
「ぜえっ! ぜえっ! ……は、はい」
「侍女頭のマーサはどこだ?」
「マ、マーサ様なら……はあっ! 今頃は……確か、食堂に……お、おそらく夕食のじゅ、準備に……ぜえ、かっ、は!」
「よしわかった。お前はもう喋るな。なるべく顔を横に向けて呼吸がしやすい体勢にし、瞳を閉じていろ。すぐ戻る」
「ぜー……ぜー……デレア……おじょうさ……」
「黙って待っていろ。必ず助けてやる」
ったく、世話のやけるクソ虫め。
私は部屋を飛び出して食堂へと向かった。
急がなくては。実物のアナフィラキシーショック症状は初めて見たが想定の二倍以上進行が早い。病理は人の差が出るのだろうが、ここまでとはな。
やはり知識だけで得る経験と実践には大きな乖離が生じるものか。
「いた、マーサだ」
侍女頭のマーサは食堂のテーブルの飾り付けの準備をしている。
彼女はこの屋敷の中では最高年齢でもう五十歳にもなるが、実に大きな体格と風貌をしている。リフェイラ家には先代から仕えていたらしく、マーサにだけは私のみならずカタリナやドリゼラ、ギランも敬意をもって言葉遣いには気をつける。
「これはごきげんようデレアお嬢様。このような場所に何用でございましょう?」
いつもの掠れた声で彼女は私に微笑む。
「お願いです。すぐに私の自室に来ていただけないでしょうか。フランが大変なのです」
「フランが?」
「はい。お願いします」
侍女頭のマーサはギラン以上に厳格な人だ。非常にルールに厳しい。この時間は食堂の準備の時間。それを差し置いて他の侍女の為に動くとは思えない。説得には必死な弁が必要だろうな。
「かしこまりましてございます。すぐに向かいましょう」
「え……」
「何をしているのですデレアお嬢様。早く参りましょう」
私の予想を裏切ってマーサはすぐに私と共に私の部屋へと付いて来てくれた。
「……フラン、あなた」
マーサは私の部屋に来ると、すぐにフランに近寄り彼女の容態を見て息を飲んでいた。
「デレアお嬢様、これは一体?」
「マーサ、説明は後です。どうか彼女を救う為に私にご助力願えますか?」
「無論でございます。私は何をすればよろしいでしょうか?」
「彼女を助ける為に魔法を掛けてもらいたいのです」
「魔法を? ですが私は医療や治癒魔法の類いは一切できませんが?」
「いえ、マーサには得意の身体能力向上系魔法、フィジカルブーストをフランに掛けて欲しいのです」
「フィジカルブーストを? 確かに私は地属性に適性のある三級魔導師。フィジカルブーストは最も得意でございますが、それをフランに?」
「ええ。説明は後でします。その魔法をすぐにフランに掛けて欲しいのです」
「……」
マーサもさすがに怪訝な表情をしている。それも当然だ。目の前にいるのは今にも瀕死になりそうな患者。そんな人間に対してスポーツや戦闘を有利する為の身体向上系魔法を掛けてどうしたいのか理解に及んでいないのだろう。
確かにこれが普通の病魔であった場合、フィジカルブーストなどの魔法は大きく逆効果で下手をすると病魔の進行を早めてしまう。三級魔導師の資格を持つマーサはそういうリスクも知っているからこそ、警戒しているのだ。
だが、このアナフィラキシーショックに対してだけは真逆だ。
「私の命に賭けて保証します。マーサのフィジカルブーストでなければフランは救えません。どうか信じてください」
「……ふう」
マーサは小さくため息を吐いた。私の血迷いごとを内心笑っているのだろう。
信じて貰えない、か。まあそれもそのはず。普段からも私はこの屋敷でつまはじき者だ。私の言葉など他のフラン以外の侍女たちも一切聞いてくれはしない。
「フィジカルブースト」
そう思った矢先、マーサはフランに身体能力向上魔法のフィジカルブーストをかけてくれていた。
フィジカルブーストは低級の魔法に属する。鍛錬をそれなりに積んだ者なら詠唱を破棄して魔力の調整だけで魔法を発現させる事も可能だ。
それでも普通は魔力の精製に数分はかけるものだ。しかしさすがはマーサ。たったの数十秒の魔力精製で魔法を具現化させてくれた。
そして魔法がフランにかかると、みるみるうちに彼女の苦しそうな表情が和らいでいく。
「ぜえ……ぜぇ……ふぅ……ふぅ……すぅ……」
数十分もしないうちに呼吸も正常さを取り戻し、彼女の容態は落ち着きを取り戻していくのだった。