70話 カタリナの実験
「マーサ様、七年前の事故、思い出しました。私がちょうどギラン旦那様と一緒に隣国へ出張していた時ですね」
「ええ、ドルバトス。あなたがまだ家令になる前、下男であった頃でございます。だからこの子を知らないのも無理はありません」
「私が旦那様と帰って来た時にはリビアという見習い侍女が事故死したとは聞いておりましたが、まさかこの子がそうだとは……」
私とドリゼラは当然そのような話は初耳だ。
しかしそんな事よりも。
「こいつの健康状態を見たい。この鉄格子のケージを開ける事はできないか?」
私が言うと、ドルバトスがケージの鍵の部分を凝視した。
「……簡単な鍵ですね。こじ開けてしまう事も不可能ではないですが」
「ドルバトス、こちらに鍵がありましたわ」
ドリゼラが机の引き出しからそれらしい鍵を見つけ出してくれた。
その鍵はまさしくこのケージの鍵だったようで、見事鍵を開く事ができた。
私はすぐさま中に入り彼女の具合を見る。
「どうでございますか、デレアお嬢様?」
マーサが心配そうに尋ねてきた。
「……多少衰弱しているな。今は眠っている様だが」
腕や足も痩せ細っている。
状態で言えば私が王宮で見たシエル殿下より少しマシなくらいか。
「おい……聞こえるか? おい」
私はリビアに声をかけて軽く肩をトントンと叩く。
すると微かに瞼を開いて、口元を動かし始めた。
「……ぅ……み、ず……」
「誰か水を持って来てくれ!」
「ではお姉様、私が行って来ますわ!」
ドリゼラが飛び出すように階段を登って行ってくれた。
「待っていろ、今水を持ってくる。それまでは喋らなくていい」
「……」
リビアはこくん、と小さく頷く。
それから程なくしてドリゼラがコップ一杯の水を持って来てくれた。
私がそれを受け取り、リビアに少しずつ丁寧に飲ませた。
「……あ、ありが、とう」
「なんとか話せるようになったか。お前、リビアというんだろう? どこか痛む場所はあるか? して欲しい事はあるか?」
「痛みは……ないです。少し、眩暈がする、くらい……」
「そうか。寒気はないか? 腹は減っていないか?」
「少し……寒い……。お腹は……空いていない……です」
「そうか。して欲しい事があれば遠慮なく言え」
「あの、あなた方は……?」
「私たちはこのリフェイラ家の者だ。カタリナお母様の目を盗んでここに忍び込んできたらお前がいたというわけだ」
「カタリナ様の……では今はカタリナ様はいらっしゃらないのですね……」
「ああ。なんにせよひとまずここからお前を連れ出してやる。暖かい部屋に行こう」
私がそう言うと、
「だめ……だめ……」
リビアは顔を横に振って拒否した。
「何故だ? こんな場所にいたくはないだろう?」
「だめ……このケージから出たら……私は……きっと、迷惑をかけてしまう……」
「どういう事だ?」
「このケージは……魔力を抑える術式が施されています……。だから……大丈夫……なんです」
「何が大丈夫なんだ? 意味がわからないぞ」
「魔力が抑えられなくなったら……きっと、また、お屋敷を……めちゃくちゃにしてしまうから……」
「それはどういう意味だ?」
私がリビアに尋ねていると、マーサがハッとした表情をした。
「デレアお嬢様、思い出しましてございます。リビアの周辺では不可思議な現象が起こります事を」
「不可思議な事、だと?」
「突然近くの庭の土が大きく隆起したり、突然どこからともなく突風が吹き出したりするのです」
どくん、と私の中で奇妙な警鐘が鳴った。
「ですがそれはたまにしか起こり得なかったので、当時は誰も気に留めておりませんでした。ただの偶然かと思っていたのでございます」
マーサの言葉にリビアはこくこくと頷き、
「私は……びょうき、なんです」
再びどくん、と私の中で警鐘が鳴り響く。
「私は……魔力変異症という……病気、なんです」
リビアの告白に私は思わず息を飲んだ。
シエル殿下に続いて、この幽閉されている少女も不治の病なのだという謎の因果関係に。
偶然、なのだろうか。
しかしこの稀有な難病をこれほど身近に二件も見るなんて、偶然として片付けるにはあまりにも何かしらの作為を感じる。
「魔力……変異症? なんですのそれは? ドルバトスとマーサは知っていますの?」
ドリゼラが尋ねるが、当然二人も知るわけがない。
「魔力変異症とは適性属性魔力が短い期間で変化する難病中の難病だ。この病は周囲の魔力も暴走させ様々な危害を無自覚に与えてしまう。だからこそ、こうやって特殊な場所に幽閉しなければならない……」
私は声のトーンを落として、代わりに答えた。
「そんなご病気が……。でもさすがはデレアお姉様ですわ。本当になんでもご存じなんですのね。ところでリビアさん、それは一体どんな風に変化してしまうんですの?」
「私の……場合は、地属性と……風属性が……交互に変わってしまいます……変化は目まぐるしくて……数時間おきに身体の左半身から交互に属性が変わっていきます……」
「そんな事が本当にありえますのね。驚きましたわ……」
「それはまた……珍妙な病でございますね」
「地属性と風属性が交互にとは、これまた不可思議な……」
ドリゼラたちは驚いてみせるが、私は苦々しい表情をせざるを得ないでいた。
何故ならつまりこの衰弱は魔力変異症によるものだとすると、この先回復の可能性は皆無であるからだ。
「……リビア、お前は何故ここに幽閉されていたんだ?」
「私はカタリナ様に……命じられ、ここに閉じ込められておりました」
やはりそうなのか。
だがこの娘は自らの病を知っている。それはカタリナお母様が伝えたのだろうか。
「カタリナ様に閉じ込められ、日々たくさん実験させられてきました……」
実験させられてきた、という言葉にその場にいた全員が息を飲む。
この部屋の机には様々な拷問器具や設備らしきものがある。リビアもきっとそれらによって恐ろしい目に遭わされてきたのだと考えたのだ。
「そんな……お母様が……お母様がそんな事をなさるなんて……」
ドリゼラはカタカタと身体を震わせ涙目になっている。
「なあリビア。魔力を抑える術式はそのケージの中だけなのか?」
「はい……。この部屋はカタリナ様の大切な実験室なので……部屋全体に魔力を抑える術式を仕込むわけにはいかなかったんです……」
「……ふむ」
私は周囲を見渡す。
確かにシエル殿下の部屋は全体の壁に魔力を抑える紋様印が施されていたが、ここはこのケージの鉄格子にだけしか刻まれていない。
この子の言っている事は本当だろう。
「そうだとしてもこんなところに閉じ込めて……その上、こんな非人道的な行為をなさるなんて……お母様、どうしてこんな酷い事を……。ごめんなさい、リビアさん……」
ドリゼラが涙目のまま謝罪している。こいつは本当に優しくなったな。
しかしその言葉に対してリビアから返ってきた反応は私たちの予想とは少し違っていた。
「いえ……そんな事はありません。カタリナ様は……とてもお優しく、いつも私を気遣っておられます……」
「なに? リビア、それはどういう事だ?」
「カタリナ様は……私を助けようとしてくれているのです」




