62話 脱力
「……ん? あれ、私は何を」
「グラン様、気が付かれたのですね」
私の隣で僅か数分程だが、突如気を失って机へとうつ伏せに倒れ込んでいたグラン様が目を覚ます。
「デレア……? ああ、そうか。私はキミとここで禁書を読むんだったね。さて、そうなるとこれから魔力変異症について調べるんだったか……?」
グラン様の記憶が混濁している。
という事は術式は発動し、グラン様の記憶だけ飛ばしたのだろう。
つまり私だけはグラン様やカイン先生の目論見通り、この魔導書の記憶を消去する術式に抵抗力があったと言える。この完全記憶能力のおかげで。
私は本当に何も忘れるという事ができないのだな。
「デレア。まずは魔族の古い歴史書、デモンズヒストリアから読み進めてみよう。その本を読むのは一番厄介だが、おそらくこれには魔力変異症についての記述が残されて……」
と記憶を失くしたグラン様がそこまで言った時、彼は気づいた。
「これは……十冊目のデモンズヒストリア。これがここにある、という事は……」
「ええ、グラン様。私たちはデモンズヒストリアを全巻読み終えました」
「そ、そうか! しかもその口ぶりからするとデレア、キミはやはり記憶を消されていないのだな!?」
「……はい」
「そうか、そうか! はは、やはり私の目論見通りだ! キミの力はまさにこの為にあったんだな! 素晴らしいよ、デレア!」
グラン様はまるで子供のようにはしゃいでいる。
そしてきっと大きな期待をしている。
私はなんて言えば……。
「それでデレア。魔力変異症についてなんと書かれていたんだい?」
「それは……」
「何か打開策はありそうか? もしくはそのヒントは隠されていたか!?」
辛い。
きっとグラン様にとってシエル殿下は本当に大切な親友なのだろう。
彼を救えると信じているのだろう。
そんな彼の希望を打ち砕く事が……とても辛くて。
「デ、デレア!? どうしたんだ!?」
私は涙を溢せずにはいられなかった。
「ごめ……ごめんなさいグラン様……」
「ど、どうしたというんだ? 具合でも悪くなってしまったか?」
おろおろと困り果てるそんな彼の顔を見て、私は残酷な現実を突き付けなくてはならない事がますます辛くなってしまった。
「違うんです……違うんです……うぅ……」
私はしばらくの間、そうして溢れ出る涙を止められずにいた。
●○●○●
「魔力変異症を患い、それが魔族だった場合、二十四時間以内に絶命し、その原因も回復手段もない」
「はい」
「感染力はほぼ無く、発症例も稀有な為、それ以上魔力変異症について知る事は叶わなかった」
「はい」
私はカイン先生の復唱に頷いている。
グラン様は隣で黙って聞いている。
深夜。
デモンズヒストリアを読み終えた私は、グラン様にカイン先生を呼んできて欲しいと頼んだ。話すのなら二人にまとめて話しておいた方が楽だからだ。
……それにグラン様だけに先に話すのは、気が重すぎた。
「そしてそれ以上、魔力変異症については言及されていなかった、と」
「はい、その通りです」
私がそう相槌を打つと、グラン様は口元を歪め、眉をひそめた。
「お手上げだな。デモンズヒストリアにすらそれしか記述がないとなると他の文献や禁書にこれ以上の情報があるとは思えない」
「そう、なんですね」
私がチラリとグラン様を見ると、実に悔やまれた顔をしていた。
あんな顔、見たくはなかった。
グラン様の今にも叫び出しそうな、悲痛なあの表情を。
こんな事なら私も記憶が残らなかったと言えば良かった。そうすればグラン様と共に、いつまでも幸せな可能性を抱き続ける事ができたかもしれないのに。
「一応禁書庫については三日間貸し切りにしてもらう旨をリアンナ長官には伝えてあるがどうする?」
カイン先生がそう尋ねてきた。
「私はグラン様のご意向に従います」
「そうか。グラン様、どうされますか?」
「……貸し切りの三日間は可能な限りここの本をデレアに読んでもらいたい」
グラン様は顔を俯かせたまま、そう答えた。
「わかりました。ではデレアくん、引き続き禁書を好きに読んでくれ。ただ、グラン様と手を合わせたままで行なうようにな」
「かしこまりました」
カイン先生はそう言い残し禁書庫から再び出ていき、また私とグラン様は二人きりとなった。
「……」
グラン様の絶望感が空気を伝ってくるのがわかる。
「グラン様……お手数ですが、あの高い場所にある本を取っていただけますか?」
「……」
「あの、グラン様。聞こえていらっしゃいますよね?」
「……」
「グラン様。ここの禁書は私ひとりでは触るなとカイン先生からも強く注意されております。どうか魔力消沈を発動させたその手であの本を取っていただけませんか?」
「……アレは取らなくていいよ」
「何故です? 私は読んだ事がありません」
「私が読んだ事がある。アレには陳腐な魔導具の作り方しか載っていない」
陳腐な魔導具の作り方か。それは確かに関係性が薄そうだ。
「そうなのですか。ではあちらの本は?」
「アレもいい。内容は実にくだらない魔力の軍事的活用法くらいしか記されていない」
くだらない……か……。
「……それではこちらの本は?」
「それも読む価値はない。書かれているのは六属性の合成魔法の編み出し方だ」
価値はない……。
「……じゃあそちらの本は?」
「読んだ事はないが、読む価値もないとわかる。タイトルが魔力を使った邪道な食材の調理法だ。無意味すぎる」
無意味……?
「でも読んだ事のない本なら読んでみる価値があるのでは?」
「私の知らない医学書などならそうかもしれないが、関係性のないタイトルの本に、価値などないよ。時間の無駄だ」
時間の……無駄……?
「じゃあこれは!?」
「それも読んだ事はないが、背表紙のタイトルを見れば少しは予測できるだろう。そんなもの、ゴミと変わらないよ。読む意味などない」
プチン。
と、この瞬間、私の中で確実に何かが弾けた音がした。
そして気づけば同時にピシャンッ! と、彼の頬を思いっきり平手で叩いていた。
「ふざけるなよ」




