60話 危険な禁書
それからお互い少しの間、言葉を交わせずにいた。
永遠にも感じられるほど長い気がしたファーストキスが終わるとグラン様もそのお顔を赤く染め上げて、口元を手で隠していた。
私も同様に火照る顔を見られまいと、すぐに眼鏡を掛け直して魔導書に視線を落としていた。
「……デ、デレア」
「は、はい」
「その……ま、魔導書、ちゃんと読めてる、かな?」
「よ、読めてます……」
「そ、そう……」
グラン様は明らかに動揺している。
私もだけど。
けれど、グラン様はこういう事に慣れっ子だから、キスの後もきっと軽いノリで笑ってくると思っていたのに。
それにしても解せない。私なんかとキスをしたいと思うグラン様の思考だ。
理解ができない。意味がわからない。
わからない事はついつい気にし続けてしまうのが私の悪い癖だ。
「あの……なんでグラン様、私なんかに、その……」
考え始めたら気になりすぎて、つい尋ねていた。
「……綺麗だった、からだよ」
「そんなわけ……」
「本当なんだデレア」
「誰にでもこういう事……なさるんですか……?」
「違う! そんなわけがない!」
「で、でもなんだかその……慣れていらっしゃるようでしたし……そもそも私に、する理由がないです……」
「ある! 私はデレア、キミの事が……」
グラン様がそこまで言った時。
「やあ、二人とも。声を荒げてどうかしたか?」
いつの間にか禁書庫にいたカイン先生が会話に割り込んできていた。
「「カイン先生!?」」
私とグラン様は思わず声を荒げた。
「デレアくんもグラン様も声がでかいな。ここは音が響くからもう少し声を抑えてだな……」
「「あなたのせいですよカイン先生ッ!」」
私たちは声を揃えて言った。
●○●○●
様子見に来たカイン先生はついでに私たちの食事も中に運び入れてくれた。
どうやら禁書庫の前に置かれていた食事がいつまでも置きっぱなしだったから気になって持ってきてくれたらしい。
私とグラン様は運ばれてきた食事を終えると、再び禁書の解読を進めていった。
「それにしてもグラン様。現段階で八冊ほどの禁書の解読を進めましたが、魔力変異症に関する記述は見当たりませんね」
「……そうだね。何かあればいいんだが」
「でも、この棚の禁書、特にこのシリーズの禁書を指定したという事はカイン先生にはこの本に魔力変異症について書かれたものがあるかもしれないとわかっていたのですよね?」
「うん、そうだ。何故なら今開いてる禁書のシリーズには魔族の最も古い歴史が記されている。魔族の歴史の方が私たち人間よりも魔力に関する情報が多い。その中には魔力変異症について記録されたものがあるかもしれないからね」
「わかっていてもこのシリーズの禁書を開かなかった、読まなかったというのは、単純に言語が理解できなかったから、ですか?」
「確かに古代エルフ族の言語は、精霊に近い存在ともされるサラマンダー族やシルフ族の言語よりも更に難解だ。当然、それを読めるデレアだからこその依頼だが、一番はやはりその特殊な記憶能力だ」
「記憶力など無くても、紙とペンでメモを取りながらやれば解析、解読は可能だと思うんです。とても膨大ですけれど」
「いや、駄目なんだ。今開いてるこの魔族の禁書、デモンズヒストリアは第八冊目だが、これの解読を途中で放棄したり、最後の第十冊目を読み終えて本を閉じた直後には、必ずとある術式が発動してしまうんだ」
「とある術式?」
「そう。これに関する記述や記録、更にはメモや記憶までを強制的に消去してしまう術式がね。だから読み終えた後には、何も覚えていないんだよ」
「それはグラン様の魔力消沈でも上手く抑えられない術式なのですね」
「そうなんだと思う。魔力消沈は魔力が発動しているものに対してそれを無効化させるけれど、それほど万能というわけでもないようでね。発動される術式の場所や魔力を予め察知して、そちらに対して魔力を精製した手を向けていなければならないんだ。それを意識できないと無効化できないんだよ」
「つまりこの禁書のその最後の術式については、グラン様一人では駄目だった、と」
「記憶がない、という事はおそらくそういう事なんだろうね。魔導書から発現する術式なんだろうけど、私の手をかざしていても記憶が消されているからきっと周囲の環境か、もしくは私たちの体内、脳の中ですでに見えない術式が組み込まれているのかもしれないね」
この魔導書は古代エルフ語で書かれた魔族の危険な魔導書だ。
まず基本的に魔導書に触るだけで強力な魔力によって触れている手が麻痺してしまい、そもそも本を開く事が適わなくなる。それが第一の障害。
しかしこのレベルならグラン様の魔力消沈で抑えられる。彼が私の右手に触れている間は本を開き続けられた。しかし、最後の障害である記憶、記録の抹消までは抑えられない、という事だ。
「そうすると、私の完全記憶能力でも本の内容を覚えていられるかどうかわかりませんね……」
「そうなんだ。だからこれは賭けでもある。もし、このまま読み進めて、キミですらも魔導書の記憶を消されてしまうのだとすると、ハッキリ言ってどうしようもない。この禁書に関してはお手上げだ」
「そうなったら……」
「そうなったらあとは記憶が消される術式のない他の禁書を読み漁ってみるしかない。このシリーズの魔導書が最も魔力変異症について記載されている可能性があると思っているが、他の魔導書にも何かヒントがあるかもしれないからね」
なるほど。
きっとおそらくこれまでの数年間、グラン様はシエル殿下を救う為に様々な本を読んで来たのだろう。
もしかして昔、学院の図書館にいたのは……。
「察しの良いキミだ。もう理解してると思うが、昔の私が貴族学院の図書館に通い詰めていたのはこの為だ。魔力変異症に関する記録や資料を探し求めていたんだよ」
「そういえばグラン様は何故、学院に通っておられなかったのですか?」
「私が特質魔力持ちだという事は幼少期の頃に知られている。その頃から、王宮で縛りつけにされているのさ。マグナクルス国王陛下の命令によってね」
ああ、そうか。
だから彼は学院に通わされていなかったんだな。
「そして今年、晴れて十六となって特級魔導師の資格を授与したんだ。資格はあると色々と便利だからね」
「そうだったのですね。それでグラン様、前からもう一つ気になっていた事があります。ギランお父様との関係性です」
「……ギラン卿との関係について今は言えない。いつかキミに言える日は来るとは思うけれど」
「そこは相変わらずなのですね。ギランお父様も今は忙しいからといつもはぐらかされて何も教えてくれませんでした」
「そうか……。ギラン卿はずっと外交官として頑張られているからね。今は特に忙しそうだ」
スパイ疑惑や諸外国との関連問題とかだろうな。先日ドリゼラに聞いたところ、ここ最近はギランお父様の帰りもかなり遅くなっているという話だったし。
それに比例してカタリナお母様の外出が増えている。
やはりなんらかの関係性があると見ておかしくなさそうだ。
「……ところでデレア、そのページ。おぼろげにしか私には読めないが、その単語はもしかして」
グラン様が魔導書を見て眉をひそめた。
「ええ。どうやらようやく出てきたようです。魔力変異症に関する症例が」
魔族の歴史が記された禁書、そのタイトルをデモンズヒストリアと銘打たれたシリーズの第八冊目の後半。
古代エルフ語でこう書かれた一文を見つける。
『未知なる病。体内魔力の適性属性が変化してしまうこの病は、ある日、突然起こった。原因は不明。次ページにその症状と問題点を記録する』
私とグラン様は互いに頷き、このページの解読、解析を終えて次のページへと手を伸ばした。
『魔族にとって魔力が変化するというのは命取りだ。何故なら、魔力は血液と同じであり、それまで作られてきた身体はそれまでの魔力に適応しているからだ。魔力が突然変異しても身体の作りまではすぐに変化しない。つまり……』
なるほど、魔族にとっての魔力は私たち人間よりも更に身体にとって重要な働きをしているのか。
などと軽い気持ちで考えながら次の一文を読んだ瞬間、私は硬直してしまった。
『つまり、魔力の性質が変わってしまえば、その者は二十四時間以内に例外なく死に至る』




