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59話 初めての。

「デレア……」


「グ、グラン……様……」


 グラン様のお顔が近い。近すぎる。


 今にも彼の吐息が、その唇から直接私に触れてしまいそうな程に。


 一体どうしてこんな事に――。




        ●○●○●




 カイン先生からの依頼された内容は至極単純。


 この第六(ダイロク)、通称、禁書庫にある様々な文献や魔導書から魔力変異症についての情報を徹底的に調べ上げる事だ。


 その為に私が呼ばれた理由は二つ。


 私の多種族言語読解力と記憶力だ。


 禁書とまで呼ばれる魔導書は実に分厚く言語も難解であり、まずは鍵となる一冊目の隅から隅まで暗記した上で、その中に書かれた情報を元に、次の連なる魔導書の封印を読み解かねばならず、要は本から本へと渡るように読み続け解読しなければならない。


 解読せずに次に開くページを間違えてしまうと、『偽物の情報』に変換された文字が記述されたページとして開かれてしまうのである。


 魔力が宿った禁書は非常に難解かつ危険であり、それを日々少しずつ解読し、ヴィクトリア王国の魔導研究に役立てるのが尚書長官、リアンナ様のお仕事のひとつでもある。


「古代エルフ族の言語や文字を瞬時に理解した上で、全てを記憶できるデレアでないと解読できない禁書がこの書架にはたくさんある。まさにキミにはうってつけの仕事だと思わないか?」


「は、はい……」


「ふむ。本好きのキミならもっと喜ぶと思ったのだけれど、なんだか浮かないね?」


「そ、そんな事は……」


「そうかい?」


 グラン様は心配そうに私の顔を覗き込む。


「ひっ! だ、だだだ、大丈夫ですからお顔をそんなにお近づけにならないでくださいグラン様!」


「ああ、すまない。けれどこの魔導書は強力な呪術が掛けられているからね。キミから離れるわけにはいかないよ」


「そ、それはそう、なんです……けど」


 近すぎるんです!


 カイン先生から命じられてたくさんの禁書とされる魔導書を読ませてもらえるのは凄く嬉しいし楽しい。


 けれど、常時グラン様が私のそばにくっついて、かつ、私の右手に手を重ねている事がとてつもなく恥ずかしくて、なんかもうやばいのだ!


 しかも。


「それにしても……ふふ。キミとこうして三日間もここにいられるなんてね」


 そう。私とグラン様は三日間、この禁書に閉じこもれと命じられている。


 幸いこの禁書庫の中にはトイレも小さな浴室もあるし、仮眠用の小さなベッドもひとつある。食事は定時になったら禁書庫の前に侍女たちが運んできてくれるそうだし、困る事はないはずだと先生には言われたが……。


 いやいやいや、困る。困るってカイン先生!


 男の人と二人きりで過ごせって事なんだぞ!?


 私がどんだけ男に対して免疫がないか知っているのか!?


「ん? なんだか脈が早くなっているね? どうかしたかいデレア?」


「いえ、別に」


 と、強がるが内心は私、どうかしてます!


 この禁書を開いてる内側の手汗がやばいんです!


 グラン様の手の体温とか吐息とか、そういうのが近すぎて目が回りそうなんですよ!


「ねえ、デレア。こうしているとあの日の事を思い出さないかい?」


「あ、あの日の事、ですか?」


「ああ。幼き日の図書館で過ごした日々だ。キミとずっと本の事や国の事について語り合っていたよね」


「そう、ですね。まさかグラン様がこんなにお偉いお貴族様だとは思いもよりませんでしたけれど」


「偉くなんてないさ。私なんかよりもこの王宮や日々働き続けている国民たちの方がよほど立派だ」


 相変わらずだな、この人は。


 口を開けば国民、国民と。本当にヴィクトリア王国を愛しているんだろうな。


「どうしたデレア? 何がおかしい?」


「グラン様は変わりませんね。昔から世の為、人の為に動こうと考えてます」


「そうかな?」


「そうですよ。昔も図書館であなたはどうすれば国をもっと良くできるか、差別を無くせるか、とかそんな話ばかりしておりましたからね」


「ふ、む。あまり意識した事はなかったが……そう言われると少々気恥ずかしいな」


「だから、変わってないなあと思いました。見た目もですけれど中身も昔のままです」


「キミは変わったよ」


「私が? そんなつもりはないですけれど……」


「たくさんの教養を身につけた。そして今は人も知ろうとし、これまで閉ざす一方だった心を開き掛けている」


 それは確かに意識はしている。


 以前までは貴族などクソ虫だとしか見ていなかったしな……。


「唯一、変わらないのはその芯の強さと可愛らしい笑顔だ」


「え!?」


「たまにはにかんで笑うキミの笑顔は、幼少期、本の話で盛り上がったあの頃と変わらず、魅力的だよ」


 まーたこの人はそういうセリフをすらすらと!


「や、やめてください。私のようなブスを揶揄って……楽しいのはわかりますが、私もしまいには怒りますよ」


 今は彼から離れる事ができないから、顔だけでも少し背けて見せた。


「キミが? 何故だ?」


「あ、当たり前ですよ。私だって一応人間ですから、いつまでも揶揄われてたら怒ります」


「今は揶揄ってるつもりはないし、私の何故だ、という問いはそこではなくて、キミがブスだというところだ」


「はい?」


「キミはブスなのか? 何故そう思う?」


「いやいや……どう見ても私のような女、ブスに決まっています。髪の毛のお手入れもマメにせず、こんな分厚い眼鏡を掛けてロクにメイクもしていないのですよ」


「そういうのも含めて魅力的だと言ってるんだけどね」


「だとしたら相当な物好きです。私はこれまでブスだの気持ち悪いだのとしか言われてきませんでしたから」


「だがリヒャインの奴もキミを気に入っていただろう?」


「あの人にもブスだと言われました」


「あいつは素直じゃなかったからね。でもキミも聞いてるだろう? キミの後ろ髪に惹かれたって。キミの髪の毛は手入れなど不要なくらいに繊細で美しいよ。寝癖が可愛らしいぐらいだね」


「そ、そんなわけ……」


「眼鏡だってキミによく似合っている。ただキミのあまり知られていないその眼鏡の奥の素顔はもっと綺麗だ。本の話をしながらその瞳を輝かせている時のキミは本当に魅力的なんだ」


「う、あ……」


 やばいって。これなんかやばい。


 頭がくらくらするう……。


「デレア、キミは綺麗だよ。誰よりも輝いてる。キミの事を誤解している人間はキミの表面のしか見えていないからだ。キミがもし普通の令嬢のように髪の毛もメイクも完璧に整えてしまったら、間違いなく多くの男がきみの虜になるだろうね」


「そんな事あるはずが……」


「だからデレア、キミは今のままでいいよ。私だけがキミの魅力を知っていればそれでいい」


「グ、グラン、様……」


「デレア……」


 あ、あれ。


 いつの間にか私、グラン様の瞳を魅入ってるし、グラン様もじっと私を見つめて……。


「綺麗な髪だ」


 そう言いながら彼は私の髪をそっと撫でる。


「キミの素顔を見たい」


 その手で私の眼鏡はすっと外された。


「吸い込まれるような透き通ったキミの瞳。これを見て綺麗だと思わないわけがない」


 え? え? え?


 この流れ、なになになに!?


 グ、グラン様近づいてくる!?


「……嫌かな?」


 逃げ場のない私はギューっと目を瞑っていると、不意にグラン様がそう言った。


「え?」


「私は今、自分の欲望のままにキミの唇を奪いたいと思った。今のキミが動けない状況を利用して。しかしキミが本当に嫌なら、私は……」


 グラン様は少し寂しそうな顔をして視線を逸らしていた。


 私は今、確かに震えているし、目も強く瞑って歯も食いしばってた。


 とても恐ろしい事をされる気がして、まるで小動物みたいに。


「嫌がるキミへ強引にくちづけするほど、私は愚かな男ではないつもりだ。嫌なら嫌とハッキリ言って欲しい」


「い……嫌……」


 ではない、けれど……。


 私には理解ができていない。


 どうしてグラン様は私なんかを……。


「……そうか、すまない」


「嫌……では、ありま、せん……」


 私は顔を真っ赤にしながら視線を下げて言葉を振り絞ってしまった。


 受け入れてしまった。彼の言葉を。


 グラン様はハッと目を見開き、直後私の顎に左手を伸ばす。


 そしてそのままお互い言葉は交わさずに、目を見つめ合っていた。


 やがてグラン様は私の口元にゆっくりと近づき――。


 私の右手は魔導書を開き、隣に座るグラン様の右手はその手の甲に重ねられたまま、私は人生で初めての口付けを経験した。


 初めての口付けはとても長い時間に感じられた。


 紙とインクの匂いに包まれていて、まるで私の大好きな本と口付けを交わしている気分だった。




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