56話 謎のカルテ
たった二日の帰省はあっという間に終わり、私はまた王宮の第三にて尚書官の業務に勤しんでいた。
先日の国璽紛失騒動はどこ吹く風か。すっかり他の尚書官たちも皆、いつも通り各々の仕事に勤しんでいる。
ただひとつ面倒くさかったのは、私が王宮に戻ってきた昨日の夜、実家から戻っていたカリン先輩がまた記憶力勝負を挑んできた事だ。
何やら師匠とやらのもとで脳トレーニングというものをしてきたらしく次こそは負けないと息巻いていたのだが、私にそんな暇はなかったので後日にしてくださいと丁重にお断りした。
それよりも私は私で調べなくてはいけない事がある。
カタリナお母様の書架を暴く為の、術式魔導書の解除についてだ。
私の考えというのは強制解除の方法で、その方法は禁書庫と呼ばれる、第六蔵書室にある。
そこに入れさえすれば術式魔導書の鍵を解除する方法がわかる。
「しかし問題は第六に入る方法だ……」
第六は禁書庫と呼ばれるだけあり、一般的には閲覧不可とされている本しか置かれていない。
その中には尚書長官のリアンナ様しか入れないのである。
その禁書庫には術式魔導書の鍵の暴き方に関する禁書のひとつ、大盗賊ガレファンドの秘伝書と呼ばれる貴重な魔導書がある。
ガレファンドの秘伝書の事は噂話程度にナザリー先輩から聞いた事があって、その時は軽く聞き流していたのだが、今回の件で思い出したのだ。
「リアンナ様に直接お願いするか? となると理由は……だが下手な事を言っては怪しまれる可能性もあるな……」
ただでさえスパイ騒ぎもまだ完全に沈静化していないこの時期に禁書庫に入れてくれなどと言ったらそれこそ私がスパイだとでも疑われかねない。
賢人会議も控えてリアンナ様も余計にピリピリしているだろうし、どうしたものか。
「なるほど、今度は第六、禁書庫に入りたいのか」
「そうだ。あそこなら術式魔導書の手順を暴く秘伝書が……って、ええ!?」
思わず普通に相槌を打ってしまったが、いつの間にか私の背後にグラン様が立っていた。
「やあ、おはようデレア。今日も可愛いね」
「グ、グラン様! か、かかか、可愛いとかそんな事より、いつからいたんですか!?」
「んー? ついさっきだよ。キミが問題は第六に入る方法だ、とかぶつぶつ呟いていた時からかな?」
かなり前からいるし!
「もう! こっそり背後に立つのはやめてください! びっくりするじゃないですか」
「びっくりしたキミの顔が見たいんだから仕方ないよ」
「そんなの見てどうするんですか……」
「普段はあまり表情を変えないキミの素顔を知れた気分になって、嬉しいんだよね。私はさ、怒ったり泣いたり笑ったりするキミの表情が好きなんだ」
好ッー!?
この人は本当にーーッ!
気恥ずかしさで顔が熱くなる!
「あ、あんまり揶揄うようなら、もうお話ししませんよ!」
「ごめんごめん。でも怒ってるキミも可愛いよ、本当にね」
「くっ……グラン様はそうやって誰にでも愛想がいいんですか!?」
「まさか。キミだけさデレア」
絶ッッ対、揶揄ってる!
分厚い眼鏡は掛けてるし、髪の毛だってたいして整えていないし、満足なメイクもしていないし、おしゃれな服も着ていないこの私が可愛いわけがない。
グラン様はきっといつもそうやって私があたふたするのを楽しんで笑っているのだ。
「髪の毛もわざと整えずメイクも適当でこんな分厚い眼鏡を掛けてる自分が可愛いわけがない、って思ってる顔をしているね。デレア、それは間違いだよ。キミは可愛いし、綺麗だ」
「なーッ!? な、ななな」
そんな歯の浮く様なセリフを涼しい顔で吐きながら、グラン様はじわじわと私に近づいてくる。
私は必死に後退りした。
「うぐぐぐ……そ、そそ、そんな事より! 何の用ですか!?」
「はは、ごめんごめん。今日はキミにお願いがあって来たんだよ」
「はあ……なんですか?」
「カイン・ルブルザーグ特級魔導医師はわかるよね。キミの仕官を推薦してくれたあの人だ」
「ええ、わかりますけれど……それが何か?」
「彼がキミを呼んでるんだよ。王宮医務室へ来てほしいんだ」
「へ? カイン先生が、ですか? いつです?」
「今すぐだよ。すぐ呼んできて欲しいって頼まれてきたんだ」
「ですが私は蔵書の整理という仕事がありますから……」
「ああ、それなら大丈夫。リアンナ長官にはすでにお許しをもらっておいたからね。さあ、行こう」
「え? ちょッ!?」
そんなこんなで私は言われるがまま、グラン様にカイン先生のもとへと連れて行かれるのだった。
●○●○●
「……これを見てデレアくん、キミはどう思う?」
半ば強引に王宮医務室へと連れて来られた私は、部屋に入るなり早々に、とある一枚のカルテを見せられ、そう尋ねられていた。
「……」
私はジッとそれを見入る。
「カイン先生。いくらなんでもデレアに突然カルテだけ見せて、それはさすがに無茶な質問では……」
「これはどのくらい地位の高いお方のカルテですか?」
グラン様のその言葉を遮る様に、私は逆にそう尋ねた。
「デレアくん、何故そう思う?」
「ここに記載されているカルテの内容は一般的な風邪症状であるようにしか読み取れません。しかしそれにしては異常なほど非常に細かなデータと、綿密な状態変化が細部まで記載されています。町医者では考えられないこのカルテの繊細さから見て爵位の高い貴族層、もしくは王族だと思いました」
私の言葉にグラン様は目を見開き、カイン先生も眉を動かした。
「……そうだな。それは後で話すとして、そのカルテの内容はどう思う?」
「先程も仰ったようにこのカルテだけで下せる診断はただの風邪です。ですが、そのカルテにもう一つの隠されたカルテがあって、そこに適性属性魔力変化も記載されているとしたら私が知っている病名はただひとつ。『魔力変異症』です」
「なっ……」
グラン様が声をあげる。
「デレアくん、何故そう思った?」
「風邪の症状が周期的に変わっているからです。咳、痰、喉の痛み。鼻水、頭痛、腹痛、吐き気、発熱。それらが日を追うごとに重なるのではなく入れ替わりで起きています。カルテを見ると隔日で変化を繰り返していますね。症状は急激に悪化はしていないけれど、回復傾向も見られていない」
「それだけか?」
「いいえ。最後に付け加えると、左手と右手の症状の違いです。右手が多汗気味、左手が末端冷え性という点です。これは魔力持ちの人間が魔力微暴走を起こす時の一例として見られる事があります。この事からおそらくこの患者は元来、水属性適性者か火属性適性者である可能性が高く、どちらにしても魔力変異症を引き起こしていると推定できます」
私の言葉にカイン先生とグラン様がしばし息を飲んでいた。
「デレアくん、魔力変異症という言葉自体はそもそもどこで知った?」
「幼い頃に読んでいた魔導書です。この症例が載っていたページは幼少期では実に難解な言語で書かれていましたが、今の私ならその記憶をそのまま蘇らせて解読ができます。それをすぐに思い出して、わかりました」
「幼少期に……そんな難解な魔導書を……」
「デレア、やっぱりキミは……キミの力は素晴らしいね」
グラン様が感嘆すると、続けてカイン先生も頷いてみせる。
「うむ。その見解、見事だ。こちらにもうひとつ隠してあるカルテがある。デレアくんの言う通りこの患者は魔力変異症を患っている。元々水属性適性者であるこの患者はある日突然、魔力変異症に罹患した」
水属性適性者が上手く魔力をコントロール出来なくなると、多汗症の様に手指から塩っ気のない汗をかきやすくなり、火属性適性者が同様の症状になると、熱コントロール不全となり手指の温度が下がりやすくなるのである。
私はカイン先生からもうひとつのカルテを受け取り、そして驚かされた。
「こ、これは……!」
そこに記載されていたのは、この国の王太子であるシエル・ヴィクトリアの名が書かれていたからであった。




