40話 ヴィクトリアンズ・ジーニアス
「えっと……これは?」
「あら、知らないの? これはヴィクトリア聖典よ」
「それはわかります。そうではなくて、何故蔵書室でこの聖典を並べたのですか?」
私はカリン先輩に連れられ、第二蔵書室の中で椅子に座らされていた。その私の目の前にある机には閉じられた聖典が置かれている。
そして私とあい向かう形でカリン先輩も同じように聖典の前に腰掛けている。
「ヴィクトリア聖教くらいはあなたもご存知よね。その聖典を読んだ事は?」
「あります。さっと軽く目を通したくらいでしたが」
これは事実で、貴族学院図書館にあった聖典の複写本を流し読みした程度だ。というのもその時は他に読みたい本が多かったからである。
「軽く目を通したくらい、ね。それならちょうどいいわ。私もこの聖典は途中からほとんど読めていないの」
「はあ……?」
「ページ数で言えば三百六十頁ね。だから、その後の章の四百頁目から始まる『詩と文学』のところから三十頁目までを今から一緒に読みましょうか」
「あの……カリン先輩。それは何の為にですか?」
「簡単よ。デレアさんと私。どちらの記憶力が優れているのか実際に確かめるの。私はこのくらいの量なら一度読めばそのほとんどを暗記してしまえるわ。記憶力が良いと言ったあなたは果たしてどうかしらね?」
「ええー……」
「ふふ、露骨に嫌な顔をしているわね。やっぱり記憶力が良いと言っても貴族学院を首席で卒業した私に勝てる自信はないようね。けれど、今更やめるなんて言わせないわ」
いやいや、そういう問題じゃなくて。
私はこの聖典、あまり面白くなかったのだ。
だから流し読みで済ませたのに、また読まなくちゃならないのかと少々うんざりしているのである。
「あなたが私に勝てないのは当然としても、あなたが最低限、並の人より優れているかくらいは見定めさせてもらうわ。ナザリー先輩のように、あまりにお粗末な記憶力しかないようなら蔵書室の整理よりももっと別の雑用に回ってもらうから」
ナザリー先輩というのは五人いる尚書官の一人だ。どうやらこの口ぶりではカリン先輩は相当にナザリー先輩を見下しているようだ。
しかし私と記憶力勝負って……。
自信過剰なつもりはないが、客観的に見てもカリン先輩に恥をかかせてしまうだけな気がする。
いや、そりゃまあカリン先輩の記憶力とやらがどの程度優れているのかは知らないけれど……。
「制限時間は三十分よ。その間なら何度読み直してもいいわ。そして三十分後に聖典のその部分の内容について答え合わせをするわよ!」
あー……どんどん勝手に話が進められてしまう。
「さあ、始めましょう! あなたと私、どちらが真に優れているのか。ヴィクトリアンズジーニアスは果たしてどちらなのかを決める聖戦をねッ!」
そう言ってカリン先輩は勢いよくヴィクトリア聖典を開いた。
すっごいやる気だなこの人……ってかヴィクトリアンズジーニアスってなんだ?
どうしようか少し悩んだが、ここは今後の事を考えるとカリン先輩には勝っておく必要があるか、私は思った。
これで私の記憶力がお粗末だからと雑務だけの仕事しか与えられなくなってしまうのは困るからね。(本読めなくなりそうだから)
「うふふふ、私はスラスラと記憶しているわよ! 四百一頁、四百二頁、四百三頁!」
確かにカリン先輩は読むのが速い。速読力に関しては私より上かもしれないな。
だが、ここはあえて私の実力を誇示しておくとしよう。
「デレアさん、あなたはどうかしら!?」
そう言ってカリン先輩が私の方を見た。
「あら? まだ聖典を開いてすらいないの? もう諦めたのかしら? 言っておくけれど、この勝負であなたにやる気がなかったら、それはそれで今の仕事からは降りてもらうようリアンナ長官には進言させてもらうわよ」
大丈夫です。
完膚なきまでに打ちのめして差し上げます先輩。
私は聖典を手に取り、指定された四百頁目をゆっくり開いた。
「ようやくやる気を出したわね」
「……先輩。この程度の聖典はね、こう読むんですよ」
私はニヤリと笑うと、聖典を一気にパラパラパラとめくった。
「っな!?」
そしてそれだけの行為の後、聖典を静かにパタンと閉じる。
「ま、まさかこれだけの文字量の聖典を、今の速度で読んだと言うの!?」
「……私はもう大丈夫です。さあ、カリン先輩も早くお読みになってください」
「う、嘘を言っちゃ駄目よ! そんな速度で読めるはずがないわ!」
「いえ、読めました」
「嘘よ! 仮に読めたとしても覚えていないでしょう!?」
「いえ、覚えました」
「うぐ……そ、それならいいわ! もう今から私が質問してあげる!」
カリン先輩は自分の聖典のページをめくる手を止めた。
「四百二頁、ヴィクトリア貴族の英雄、聖騎士にまつわる詩の第二節を読み上げてみなさい!」
こほん、と軽く咳払いをし、私は答える。
「聖騎士リュデルクは舞う。右手に聖剣エクスカリヴァーを、左手に聖盾アイギスを携え、踊る。舞いは魔力の紋様を描き、その地に光の福音を降ろした。鐘の音が響き、やがて邪なる者らはひとつまたひとつと浄化された。たゆたう無数の魂さえも、彼の舞いに魅入られ、幾百、幾千の魔力結晶を生み出す。グアナガランがナルベイルに笑い、やがて精霊たちも呼応するようにリュデルクを祝福した」
ヴィクトリア聖典、詩と文学の中でもかなり覚えやすく短い詩の一節だ。
「……あ、合ってる」
カリン先輩は自分の手元の聖典と見比べて再確認している。
「そう。そう言う事ね……デレアさん、あなた……」
よし、認めさせたか。
「あなた、ズルをしたわね」
はい?
「ずるいわ。あなたがまさか、ヴィクトリア聖典を丸暗記するほど愛読していたなんてねッ!」
「え?」
「さっきあなた言ったわね。軽く読んだ事がある、って。それは嘘ではなかったけれど強がったのね。詩の一節を丸暗記してしまうほどに熟読していたのよね? ズルいわッ!」
「あ……いえ……」
そうか、そうだよな。そう捉えるのが普通ね。
うーん、失敗だったか。
「そういう事なら、別の本にするわ。最初から知ってるんじゃフェアじゃないもの。次はこれよ! この魔導書の詠唱文の暗記! この魔導書はこの第二蔵書室にしか置かれていない貴重な品だからさすがに見た事もないでしょう!?」
「ないですッ!!」
「ひぇ!? な、なんだかあなた、急に圧が凄いわね……」
めっちゃ読みたいからね!!
うわあ、何その魔導書、凄いそそられるマジ読みたい。本当に見た事ない。どのシリーズとも違う表紙に見た事のない紋様が施された魔導書。
そんなの、私にとっては宝物以外の何物でもないッ。
「ま、まあいいわ。じゃあ今度はこの魔導書の一番長い詠唱文のところだけを十分間のみ、お互い読みましょう。それで記憶力の勝負よ!」
受けて立つ!
と、無駄に意気込むが、もはや勝負なんてどうでもいいからその本が読みたいだけだった。
そして私とカリン先輩は謎の記憶力合戦を再び始めるのだった。
そして――。
●○●○●
「か、完敗だわ……」
カリン先輩はガックリと肩を落として呟く。
気づけば五冊もの本で記憶力勝負をさせられていた。
結果として当然私はどれひとつとして間違える事なく答え、圧勝した。さすがは私の能力である。
「う、う……認めるわ。あなたの記憶力は本当に凄いって……ふぐぅ……ひっ……ひう、ううぅぅぅうぉおぉおん、うぉおおん……」
「た、たまたまだと思うので、そんなに全力で泣かないでください……あの、これ……」
ちょっとドン引きするぐらいにカリン先輩は号泣してしまったので、さすがに少しだけ可哀想になりハンカチを手渡した。
「あ、ありがとう……あなた、優しいのね……ズビーっ!」
いや、鼻はかまないでくれ。
「とにかく完敗だわ。ごめんなさいデレアさん。あなたの能力を疑って。あなたは世界で最高の頭脳の持ち主よ。はい、これ」
あの……ハンカチから鼻水伸びてるままでハンカチを返そうとしてこないでください……。
「で、では私はこれで失礼していいですか?」
「うん……ごめんなさい、時間を取らせてしまって。今日からあなたは尚書官最年少天才令嬢、ヴィクトリアンズジーニアスを名乗っていいわ」
なんだそのクソダサ二つ名!?
「い、いえ。それはカリン先輩が名乗ってください。私はそういうの興味ないので」
「天才な上に謙虚なのね。何もかも負けたわ……」
「先輩には魔力があるじゃないですか。私なんてほら、魔力なんてちーっとも無いので! ね。だから元気出してください。それじゃ失礼しますね!」
どんどん面倒な事になりかけそうなので、私はそう言い残してそそくさと第二蔵書室を後にした。
背後で微かに、
「修行よ……故郷に帰って師匠にまた脳トレをしてもらって、必ずリベンジするわ……」
と、何やらぶつぶつと聞こえてきたので、この結果が果たして正解だったのか、私は眉間に皺を寄せながら第三蔵書室へと向かうのだった。




