2話 聖域の図書館
「想定通り、クソ鬱陶しかったな」
私はようやく落ち着いた自室で毒を吐く。
婚約破棄された話はすぐに父たちに伝わっており、私が帰宅した時にはギランが頭を抱えながら私を書斎へと呼び込んだ。
書斎までの間、ドリゼラは嬉しそうに私を馬鹿にしてきたが当然無視した。義母のカタリナもあからさまな嫌味を連発していたが、目の色すら変えずに視線を逸らしてやった。
私が父の書斎に入る直前まで「やっぱり見た目も性格も不細工な女は貴族にいちゃいけないと思いますわ」などと、ドリゼラが声を張り上げていてやかましくて仕方なかった。
「デレア、お前はもう少しおしとやかにだな……」
と、父のギランからはこんこんとお説教をもらったが、そこもほとんど聞き流していると、父は「もういい、戻れ」と頭を抱えて私を自室へと返してくれた。
「はあ、疲れた。私には学院の本さえあればそれでいい」
ベッドにごろんところがり呟く。
今日は疲れた。早く寝て明日は早くから学院の図書館にでも行こう。
●○●○●
貴族魔法学院にはこの王国一の大図書館があり、そこにはありとあらゆる書物が何万冊と収められている。
私は日長、そこで様々な本を読む事が生き甲斐だった。
図書館は聖域だ。
馬鹿な貴族たちもここでは静かにしてくれる。というより、ここにはほとんど人がいない。
貴族の令嬢や令息たちは何かとおしゃべりが好きなようで、基本的に授業以外の時間は歓談が楽しめる談話室に集まるからだ。
学院の授業時間以外は基本、ここが私の住処である。
「でね、私の姉がね、それはもうどうしようもなくてね」
「えー! うっそぉ!」
「きゃはは」
はい、最悪。
我が聖域にゴミ虫がどこからか迷い込んできた。しかも三匹も。
更には聞き覚えのある声。
私はそっと本棚と本棚の影に隠れた。
「私より二つも歳上なのに魔力は皆無だし、見た目も酷いし、何より根暗ですっごい気持ち悪いの!」
「私、見たことあるわ。いつも仏頂面しているわよね」
「ドリゼラのお姉さん、本当は平民なんでしょう? やっぱり平民はこういう高尚な学院にいるべきじゃないと思うわ」
「でしょう? だから私も分不相応なお姉様の為に毎日毎日、平民は平民らしく生きろ、学院なんて辞めろと言っているのよ」
やーっぱりドリゼラたちか。
それにしても、屋敷の中でも馬鹿でかいキンキン声を毎日耳にしているというのに、我が聖域でもそれをされるのは正直許し難いな。
っていうか図書館受付担当の生徒、少しは注意しろよ。
「この前なんか、お父様がなんとか見繕って差し上げた婚約者にまでボロカスに言われてついには婚約も破棄されて、泣きべそかきながら屋敷に帰ってきたのよ」
は? 泣いてなどいないのだが。
「うわあ、マジ? かわいそー」
「だから私またお説教してあげたのよ。そんな見た目だから駄目なんだって。平民は平民らしくしろって」
「そうよねぇ。所詮平民だものね」
「そうしたら流石にその日はがっかりしすぎて肩を落としていたわ。平民出の癖に貴族扱いされてる罰ね」
いや、がっかりではなくお前の喚き声にうんざりしていただけなのだが?
その後もしばらくぺちゃくちゃと私の悪口で盛り上がると、目当ての本を手に持ち、ようやく彼女らは図書館から去って行った。
「やっと去ったか、全く鬱陶しい」
ちなみに彼女らの悪口によって私の心にダメージを負うことはない。
所詮、貴族の言葉。ヒトの心には響かない。
それにしても……。
「第六区分の本棚、か。奴ら、また貴族間恋愛小説を借りて行ったのか。あれだけ屋敷に恋愛小説があるというのに、まだ読みたいのか」
本棚を見ればどの本があるかなど、私にはすぐわかる。ここは私の聖域だからな。
「しっかしこれは……少々度し難いな」
私は目の前の惨劇に眉をひそめた。
何故なら、彼女らは目当ての本を借りる為に、色々な本棚から本を漁ってはテーブルに置き去り、はたまたごちゃ混ぜにし、そしてどれも本棚に戻しておらず、何十冊という本が乱雑にされてしまっているからであった。
「ちょっと、あなた」
背後から声。嫌な予感がする。
「さっきの方達のお友達なのでしょう?」
このショートカットで私よりも薄めの眼鏡を掛けた女は受付の女。図書委員の女だ。制服の色から見て私よりいくつか歳上の先輩である。
「いや、ちが……」
「こんな風に扱われて本が可哀想……。私が直してあげたいけど、私、会長に呼ばれて今から生徒会室に行かなければならないの」
「……わかった、私がやっておく……いや、おきます」
「そう、お願いね。かなり量があるから私も戻ったら手伝わ。よろしくね」
そう言って彼女は足早に図書館を出て行った。
本当なら図書委員だろうが貴族の言葉など無視するのだが、彼女は「本が可哀想」と言ってくれた。それには私もとてつもなく同意だと思ったので、不本意だが散らばった本を片付けようと思ったのである。
本を手に取り、
「……恋愛、ねえ」
私は興味なさげに呟く。
貴族間恋愛小説の全てがつまらないわけではない。中には面白い作品もある。だが、どうしても貴族の嫌らしさ、傲慢さが先入観にあるので、そういう目で見てしまうのだ。
「ま、私には縁無き事だ。先日のグロリア・ベンズとの付き合いでよくわかった。私に貴族のデートなど無理だ」
グロリア・ベンズとは先日婚約破棄を申し渡してきた相手、辺境伯の息子の名だ。
グロリアはあの後、相当に私の文句を言ったのだろうがさして大問題にならずに済んでいるところを見ると、父のギランがなんとか上手く対応してくれたのだろうな。
「ごめんなさいね、今戻ったわ。さて、私もてつだ……あれ?」
気づけば図書委員の女が戻っていた。
「もう終わりました」
「え? 嘘でしょ? こんな短時間で? ……あ、あれ? しかも他のテーブルにあった本も片付いてるようだけど……」
「私が片付けました」
「え? え? でも多種族言語のタイトル名の本や高位魔導師様にしか読めないような難しい本のタイトルもたくさんあったよね? 翻訳しなければどの棚にしまうかすらわからなかったと思うんだけど……」
「そうなんですか。まあ、でも片付けたんで。失礼します」
「あ、ちょっと!」
これ以上面倒ごとに関わりたくない。私は踵を返した。
「嘘……魔法……? いえ、そんなはずは……彼女は中等部のはずだし……」
私は後ろでぶつぶつと何かを呟く図書委員を無視して、足早に図書館を出た。