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17話 絶望のあの日

 ――七年前のあの日。


 七歳の誕生日を間近に控えていた私は、本当のお母さんと二人で平民街の市場へと買い物に出ていた。


 私は本が欲しいと言った。しかし普通の本は中々に高級品で貧乏な私たち家族には中々手が出しにくい物であった。


 それでもお母さんは日々少しずつ貯めてくれていた貯金で、市場にあった中古でボロボロだけど高級そうな分厚い本を一冊買ってくれた。それはこの市場の中で私が一番欲しかった物だ。


 お母さんは「こんな本しか買えなくてごめんね」と言ってくれたが、私にとっては何よりもの宝物となった。


 それはとてつもなく難解な内容で、更にはいくつもの言語も織り重なっていた為、理解するのに非常に時間はかかった。しかしその本を少しずつ解読しながら意味を理解して読むのが毎日楽しかったし、嬉しかった。


 本を読んでいくうちに色々な魔導の力、物理、医学、人体について知り始めた。


 その本はいわゆる魔導書のひとつでどうやら魔導医学書、という分類であった。


 この世界の魔力と医学について事細かに記された実に難解な魔導書で、私は少しずつ解読していきながらもまだ本の四分の一もまともに理解できていない。


 毎日その魔導医学書を開いてああでもないこうでもないと読み耽っていた。


「ごほ! ごほ!」


「お母さん、大丈夫?」


 しかし私がそんな風に本に集中している時もお母さんは定期的に奇妙な咳をしている事があった。


 お母さんは私に「大した事はないから」と言っていたが、日々少しずつやつれていくお母さんの顔を見て、きっと良くない病気なのだと思った。だからこそ、私は魔導医学書を選んだのだ。お母さんに元気になってもらう為に。


 その為にたくさんの知識が欲しかった。


 そしてその翌年。私の八歳の誕生日の日。


 悲劇は唐突に訪れた。


 私とお母さんはその年も平民街の市場へと、私のバースデープレゼントを買いに来ていた。やたらと市場に人が集まり、異様に混み合っていた事をよく覚えている。


 雨上がりのその日、街道を大きな貴族の馬車が通った。


「危ないデレアっ!」


 馬車の気配に遅れた私の腕を勢いよくお母さんが引っ張って私を助けてくれたのだが、その拍子に私は派手に水溜りへと転んでしまった。


 その反動で、地面の泥水が近くにいた実に醜く太ったお貴族様の服に飛び跳ねてしまったのである。


「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 お母さんはすぐにその場へ平伏して謝罪を繰り返した。


 私も同じように謝った。


「……この服はな、一級織物職人が半年近くかけて造る、超高級なスーツだ」


 お貴族様は顔を歪ませて、そう凄む。


「本当に申し訳ございません! 必ず弁償を致します!」


「無理だ。貴様のような下民が一生働いても返せる金ではない。金貨二千枚をすぐに用意できるか?」


「そ、それは……。でしたら私にできる事があればなんなりとお申し付けください! なんでも……なんでも致します!」


「では魔法は何か使えるか? 稀に平民以下にも貴族の血を引く者がいてな。隠れて魔力を持つ者がいる。優れた魔法があるのなら貴様を雇ってやる」


「む、無理でございます」


「金も無く魔法も無理か。いよいよ能無しだな。だったらその場で服を脱げ」


「え……?」


「知らんのか。能のない女が金を得る簡単な方法は身体だ。その場で服を全て脱いでストリップショーをして見せろ」


「そ、そんな……」


 ここは市場だ。


 何百、何千という人が周辺にごった返している。


 そんな場でそんな要求をするだなんて、と私は怒りを覚えてその貴族を睨み付けていた。が、お母さんは私を手で制してみせた。


「わかりました……」


 お母さんは逆らう事なく、本当にその場で服を脱いだ。


 私はされるがままのお母さんが可哀想で、悔しくて悔しくて涙が溢れ続けていた。


「ははは! なんという貧相な身体だ! もっとちゃんとした物を食え! そんな身体では下民の男すら食い付かんぞ!?」


 その貴族は丸裸のお母さんを大袈裟に馬鹿にして、周りの注目をわざと集めさせた。


「こ、これでよろしいでしょうか?」


「あ? 良いわけがないだろうが」


 パンッとお母さんは貴族の男に頬を叩かれた。


「お前、顔だけは良いな。私の馬車に乗れ。私の屋敷に連れて可愛がってやる。なぁに、そこの娘も一緒になぶってやるから安心しろ。私の知人にとんだ変態ロリコンがいるからなあ?」


「ど、どうかそれは私だけにしてください! この子はまだ八歳です!」


「駄目だ。お前たち二人とも私の馬車へ乗れ」


 そう言って貴族の男は私とお母さんを強引に馬車へと乗せようとした。


 その時、お母さんは勢いよくその貴族の男を突き飛ばした。


「逃げてデレアッ!」


 私は言われるがままにその場から走り出した。


 振り返りざま、お母さんは再び殴られていた。


「お母さん! お母さんッ!」


「戻っちゃ駄目! 逃げなさい!」


 私は逃げる以外の選択肢が思い付かず、お母さんを見殺しにしてその場から逃げ出した。


 お母さんはそのまま貴族の男の馬車へと乗せられた。


「……うっ、うっ……おかあ、さぁん……うぇえええ」


 泣きながら、私は家に向かって走った。


 その夜。


 私はお母さんを助け出さなくちゃと思い、あの貴族の場所を探そうと考えた。


 あの馬車に付けられていた徽章(きしょう)の形はハッキリと覚えている。三頭の蛇が絡み合ったような模様をした徽章(きしょう)だ。


 あれを頼りに探せばきっと屋敷を見つけられると思った。


 そして深夜。私はついにあの貴族が住んでいる屋敷を見つける事ができた。


 なんとかこっそりと庭の中へと忍び込んだ時、端の方に不自然に盛り上がっている土の山を見つけた。


 ……そして見つけてしまったのだ。


 その山から人の手らしきものが出ているのを。


 嫌な予感がして、私がその土を素手でほじくり返すと、そこには……。


「お母さんッッ!!」


 絶命し、変わり果てたお母さんの姿があった。


「どうして……どうして! うわぁぁあぁぁああああッッ!」


 私が絶叫し泣き叫んでいると、屋敷の中から一人の男が出てきた。


「……あの時のガキか。それを見られたなら生かして帰せんな」


 昼間、私たちを散々に嘲笑ったあの太った貴族の男がそう言った。


「い、いや……」


 私は恐怖と絶望に包まれ、その場にへたり込んでしまった。


「まあ待て、伯爵殿。その子供、ちょうどワシ好みだ」


 太った貴族の男の背後から、やたらと豪勢で大量の装飾品を下品に着飾った、更に醜く肥え太った男が現れ、醜い笑みを浮かべてそう言った。


「これはこれは……。でしたら口封じはせず、あなた様にご献上致しましょうか?」


「くふふ、そうしてもらおうか。おい、ガキ。お前にもチャンスをやるぞ。私はな、お前のようなガキを相手にするのが大好物なのだよ。私を喜ばせられるなら生かしてやってもいいぞ? ただ、お前は間違っても噛み付いたりなどするなよ? そこの馬鹿な女は、この伯爵に噛み付いたせいで死んだのだからな」


 豚のように肥えた男たちがニマニマと醜悪に笑いながら、私を見下ろしている。


 恐怖と悲しみと、そしてどうしようもない怒りが込み上げる。


 でも私には何もできない。


 なんの力もない。


 けれど、こんな奴らに好き勝手になんかされたくないッ!


「あ!?」


 私は怒りを勇気に変えて立ち上がり、そして走り出した。上手く、アイツらの虚につけ込めた。


 このまま門の方まで逃げ切るんだ。


 鉄格子の門が見えてきた。幸い、門の錠前は開いている。このまま外へ走り抜けて助けを呼ぶんだ!


 そう思ったが直後。


「きゃあッ!」


 私は何かに背中を強く押され、その場で大きく倒れ込んだ。


「無能なガキめ。私の風魔法の前から逃げられると思ったか」


 派手な装飾品で着飾った男は私の方へと手のひらをかざし、そう笑った。


 くそ、くそ、クソ!


 どうしてこんな奴らにだけ、そんな特別な力があるの!?


 どうして私たちにはなんの力もないの!?


 あんなクソ虫のような男たちに抗う事すらできないの!?


 私は倒れ込んだまま、悔し涙をこぼす。


「さあ、観念するんだな」


 もう駄目だ。私もお母さんと同じように辱められて、殺されるんだ。


 そんな事をされるくらいならいっそ、舌でも噛み切って自害してやる!


 全てを諦め覚悟を決め、ギュッと瞳を閉じた。



 その時、私は奇跡に命を救われる。



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