16話 トータルリコール【完全記憶能力】
貴族が憎い。
お母さんを奪った貴族たちが。
許せない、許せない、許せない!
そうやってワタシが感情の波に飲み込まれる寸前。
「落ち着くんだ」
ワタシの体を背後から包み込むように優しく抱きしめてきた男の声が、私の耳元で優しく囁いた。
もしこれがただの見知らぬ男だったなら、私は今の感情を余計に爆発させてしまっていたかもしれない。
だがしかし、不思議と何故かその男の声には逆らえず、ワタシはその言葉を素直に聞き入れた。
「まずは口から大きく深呼吸。それから夜空を見上げ、もう一度深呼吸だ」
ワタシは言われた通り実行した。
「次は心臓に手を当てよう。鼓動が早まっているのがわかるね。細かく息を吐き出そう」
確かにワタシの心臓がありえないくらい早く鼓動している。
「瞳を閉じて。心の中にキミの大好きなものを思い浮かべるんだ。キミは何が一番好きなんだい?」
「わた……しは……本が好き……」
「ああ、知っているよ。キミは本を実に愛していたね。知識を得るのが何よりもの楽しみだったはずだ。たくさんの本を思い浮かべてみよう。次はどんな本を読んでみたい? 物理学の本、医学書、魔導書、数学、古典、近代歴史書なんかも悪くないね」
「本……うん……だいすき……読みたい……」
「そしてキミと共に読んだたくさんの本の中でも、生と死を司る神について書かれたあの聖典の複製は、特に一番思い出深かった」
「聖典……うん……」
「生も死も、平等に見えて不平等だ。望まぬ生、望まぬ死。魔法の研究がどんなに進んでも抗えないこの世の不文律。けれど、だからこそ人は生きる喜びと美しさがあり、そして死には尊く敬愛を持って受け入れる覚悟が必要だと、そう書かれていたね」
「死を受け入れる……でもお母さんは殺されたの。私のお母さんはお貴族様に……自分勝手な都合で殺されたの」
「ああ、知っているよ。理不尽でおかしな世の中だ。だから私とキミで少しずつ直していこう。そう、約束したのを覚えているかい?」
「やく……そく……」
した。覚えてる。
私が図書館でたくさんの知識を得ていた時に、あの青い髪の男の子とそういう約束をした。
「忘れるわけがないよね。それこそがキミの最大の力だ。キミの力はこの世界を変える為にある。私にはあの時からわかっていたよ。デレア」
「私の……力……?」
「そうだ。キミの秘められた大いなる力は決して外側に顕現する事はないが、キミは誰よりも強大な魔力を持っている。それをこんな形で失っていいはずがない」
「魔力……? 失う……?」
「今、キミの大きな魔力は暴走している。このまま暴走し続ければ不定形な魔力の波動となって、周囲に心身的ダメージを負わせた後に、そのほとんどが消滅するだろう。そのダメージによってキミの望み通り、嫌いなお貴族様は何人か死においやれるかもしれない。だが同時にキミは全ての記憶を失う事になる」
「どう……して……?」
「キミの魔力は常に魔法として顕現されている。ただし誰の目にも見えない。何故なら記憶という力そのものになっているからだ。キミの魔法は常時発動型の『完全記憶能力』というものだからね」
トータルリコール?
聞いたこともない。そんな魔法があるの?
「どの属性にも属さない、極めて稀有な魔法だが、魔力持ちの何百万人に一人の割合で生まれる奇跡の魔法だと言われてる。国民には極秘になっているからキミが知らないのも当然だ。キミは全ての出来事、全ての記憶をいつでも望むように繊細に思い出せるだろう?」
「うん」
「それはキミの魔法の力そのものなんだ。その力があればキミと私はこの世界を変えられる。こんなところで小さな命を奪ってそれで満足してどうする? そんな事をすればキミの嫌いなお貴族様とやっている事は同じだよ。それよりも正々堂々と真っ向からこの世の中を変えようじゃないか」
「私なんかにそんな事できるの……?」
「できる。お母さんは取り戻せないが、キミのお母さんのような不幸を二度と繰り返さないように法改正していく事も可能だ。この腐りかけた世界を正常に戻すにはキミの力が必要なんだよ、デレア」
私がやりたかった事。
お母さんを生き返らせたかった。でも無理だと知った。
だったらもうどうでもいいと全てを投げ打った。
私も自害しようと身を投げようとしたあの日、ギランに助けられた。
ギランに人を知れと言われた。
けれど私は自分の殻に篭った。
それからは本を読む事だけが楽しみだった。
そういえばあの日。青い髪の彼に言われた。
「この世がおかしければそれを正す人間になろう。王族、貴族平民、貧民、そして奴隷。そんなものが関係なくなるような世の中に」
そうすればお母さんみたいな可哀想な死はなくなると私も思った。
彼との約束。忘れていたわけじゃない。思い出そうとしなかっただけ。
どうせそんなもの、口約束に過ぎないと思っていたから。
「さあ、もう落ち着いてきたね」
彼は私からスッと離れた。
そして私の目の前に来て、私の肩に手を乗せた。
「デレア。やっと会えたよ。あの日からずっとキミを探していた」
「あなたは……」
そうだ。この人は幼い日に、学院の図書館で出会って、たくさん本の話をした青い髪色の……。
「私の名はグラン。グラン・リアと覚えてくれ」
「グラン……様」
「そうだ。私はいつでもキミの味方だ」
「私の味方……」
心が休まる響き。
どんな不思議があるのかわからないけれど、彼の言葉にとても勇気付けられ、同時に冷静さを取り戻せた。
「ありがとう、ございますグラン様。私、もう少しで取り返しのつかない事を……」
冷静になってようやく自分がしでかそうとしてきた事を思い出す。
私はなんて事を……。
そうだ、リヒャインは?
「がはっ! ごほ、ごほっ!」
地面に這いつくばってはいるが、息はあるようだ。
「大丈夫。キミはまだ誰も殺してはいないよ」
グラン様は柔らかな笑顔で私に囁く。
「私……どうしてこんな……」
「キミは自分が平民だと言っていたね。それは自身の出生が平民の娘で、魔力も宿っていないと思っていたからだろう?」
「そう、です。私には魔力なんてない……」
「だが、父君は貴族だろう?」
「はい。けれど子供の魔力は父親よりも母親の魔力に大きく起因します。母が平民の私には魔力など宿っていないと思っていました」
「なるほどね。でもそれは違う。キミは昔から膨大な魔力を内に秘めていたよ」
「それがさっきグラン様が仰っていた完全記憶能力なんでしょうか?」
「ああ、そうだ。デレア、名も知らないキミと学院で出会って、それから間も無くして私は知ったんだ。キミの力のこと」
「どうして……?」
「キミは難解な書物を一字一句違わず正確に覚えていた。それは多種族言語ですらもだ。その時から不思議に感じていた。私はその事について調べてみた。すると、一つだけ思いあたる魔法があることがわかった。それが完全記憶能力という魔法だったんだ」
「そんな魔法があるのですね……」
「この魔法はね、完全に脳の中でしか顕現しない。魔力の波動も外部に出ないからキミからは一切の魔力を他者へと感じさせる事はない。だからこそ、皆、キミの事を魔力無しの平民だと思い込んでいた。キミ自身ですらもね」
「でも今、私はなぜこんな事に? どうして魔力が暴走してしまったんですか?」
「キミは常日頃から自身への葛藤があっただろう。貴族を嫌っている癖に自分が貴族として生きてしまっている事に。それらは日々、小さなストレスとしてキミの内側に溜まっていった」
そう。私は貴族として生きたくなんかなかった。でも生きるにはそれに頼るしかなかった。
「それは全ての事象を完全に覚えてしまうキミだからこそのストレスだとも言える。キミは忘れる、という行為ができないがゆえに、キミだけの膨大なストレスとなって逃げ場無く溜まり続け、それが内に秘めていた魔力を暴走させてしまったんだよ」
そうか。グラン様の言う通りだ。
私も昔から疑問があった。
どうして私はこんなにも憎しみが消え去らないのだろうと。
お母さんを失った悲しみと憎しみが毎日、昨日の出来事のように繰り返し思い返されるのだろうと。
客観的に見て、私は私が異常だと気づいていた。
親が不幸に殺されるなんて平民や貧民には当たり前のようにある。皆、それを当たり前のように受け入れ、そしていつの間にか忘れて、笑っている。
私にはそれが理解できなかった。そして笑えなかった。
何故なら忘れるという事ができなかったからだ。
だからこそ、貴族への憎しみが毎日変わる事なく、私の中を渦巻いていた。
今、この時でさえあの日、あの時の記憶が蘇ってくる――。




