11話 大舞踏会は波瀾万丈
「なあお前、舐めてんのか?」
壁ドンというやつを私は知っている。
今まさに私はそれされているわけだが、コレは決してよくある貴族間恋愛小説物のようなロマンティックな展開ではなく、明らかに敵意のもとに行動された事象だ。
「そんなクソダセェ眼鏡をしてこの会場に来る馬鹿女がいるか? あ? 大切な物? 知るかよブスが!」
クソ虫が。
しかし父、ギランの言う通りだったか。やはりこの眼鏡はいけなかったようだ。
「お前、どこの令嬢だよ? 今後、俺らの夜会には来れないように注意喚起しとかなくちゃならねぇからよ。名を名乗れや」
鮮やかな金髪をかきあげながら、私にガンを飛ばして睨みをきかせてくる目の前の男は、リヒャイン・リッツガルド。
歴史書に名を残すほどの高名な大魔導師でもあり大貴族でもあるラファエル・リッツガルド侯爵の嫡男である。
父が偉大であるとその子供は腐りやすいとはよく聞くが、こうもあからさまな愚息に育ってしまってはさぞラファエル卿も残念であろうな。
「……どいてください。私は向こうに行きますから」
込み上げる怒りを理性で抑えつつ、私は顔をふせてその場から立ち去ろうとする。
「どかねぇよ。さっさと名を名乗れ」
クソ虫が。
なんでこんな事に……。
●○●○●
――ついに忌まわしき日、大舞踏会の時間が来てしまった。
妹のドリゼラは先に支度をして、母カタリナと共に会場へと向かった。父、ギランは屋敷内でしなくてはならない仕事が山積みのようで書斎に籠ると言っていた。
私は侍女のフランにドレスを用意してもらい、メイクやその他の調整をしていざ屋敷を出ようとした。
だが、いきなり屋敷の階段から滑り落ちたのだ。
当たり前だ。私はド近眼。マジで眼鏡がなければほとんどがぼやけて見える世界なのだからな。
これではさすがに会場でトラブルだらけになりそうだと判断され、なんとか愛用の眼鏡だけは付けさせてもらえる事になった。
ただそれを見て父ギランからは「人と話す時は歩かないだろうから、その時だけは外せ」と命じられた。
馬鹿め、外すわけがない。
と、会場でもふふん、と息巻いて一人、隅の方でちまちま料理を摘んでいたのだが、なんか突然腕を引っ張られた。
「なあ、お嬢さん。俺様とお話ししようぜ。俺様の名はリヒャイン・リッツガルド。リッツガルド家といやぁわかるよな?」
そしてリヒャインにそう言われたのである。
この男、酒も回っているな。かなり酒臭い。
「いえ、結構です。私は忙しいので。それでは」
と言ってその場から立ち去ろうとした。
次の瞬間。
「なあ、お前。俺のこと舐めてんの?」
私は何がなんだかわからず黙っていると、
「ここはさ、どいつもこいつも俺ら上流貴族を喜ばせる為に集まった女のはずなんだよ。それがなんだテメェは? そんなふざけた眼鏡で顔を隠して舐めてんのか? だいたい俺様が声を掛けてやったってのにその態度はなんだ? あ?」
いきなり喧嘩腰である。
やはり貴族はクソ虫の末裔なのだろう。人の感情を持ち合わせていないようだ。
「舐めてません。ごめんなさい。でも眼鏡は大切なので外せません。ごめんなさい。さようなら」
すぐに危険から離れようとしたが、彼はぐいっと私の腕を引っ張り、壁際に押し付けられ、しばらく押し問答を繰り返す。
そして今の壁ドン状況に至っているというわけだ。
「なあ、名乗れって言ってんだよ。俺様の言葉、理解できてますかー?」
愚か者め。クソ虫の言葉など理解できるはずがないだろう。
しかしどうするか。この男、声がでかいせいで少し注目を浴びてしまっている。早くなんとかしなければ。
「ねえ、アレって……」
「ええ、そうよね。確か中等部のいつも図書館に来ている……」
クソ、勘付かれ始めたか。
「お、知ってるやつがいるな? おい、そこの栗毛色の髪色をした薄い眼鏡を掛けた女、こっちへ来い。こいつの事を教えろ」
あのショートカットの女は確か図書委員の先輩だったな。こんな時だが、着飾っている先輩はいつも図書館で見るより綺麗だと思った。
「そ、その子はデレアさんです」
「ほう? デレア、なんというんだ? わかる事をもっと詳細に話せ」
「デ、デレア・リフェイラさんです。歳は学院の制服の色から見て高等部一学年で十六歳の私よりも二つ下、です。あと本が大好きで……えっと、えっと……」
同じ本を愛する者とはいえ所詮はクソ虫か。ペラペラと人の情報をあっさりと喋りやがった。
あいつ、図書委員だから私の図書カードの情報を知ってるんだな。
「リフェイラ……そうか、わかった。もういい、てめぇは下がれ。あと、名前だけ教えろ。褒美に覚えておいてやる」
「マ、マリアです」
「そうか、マリア。じゃあお前はもうすっこんでろ」
リヒャインはしっしっとマリアを払う。
「リフェイラって言ったな? あの金持ち伯爵家の令嬢か。……父親は確かギラン卿だったか」
さすが名家リフェイラ。リッツガルド家に負けず、名はそれなりに知られているのだな。
「ギラン卿は宮廷の外交官だったな。立派な人だと聞いてる。その親父さんの顔に泥を塗られたくなけりゃ、今すぐこの場でその無礼な態度を改めろ。眼鏡を外して床に這いつくばって俺を見上げるように謝罪しろ。そうしたら見逃してやる」
ギランの名を出した時、こいつ少し顔つきが変わったな。我が家を安易に敵に回したくないのはこいつも同じと見た。
だがまあ、ここで素直に謝れば面倒もなくなるか。さっさと謝ってしまおう。
私は言われた通り、床に這いつくばり、彼を見上げて謝罪する事にした。
「申し訳ありませんでした」
「おいブス。お前、やっぱり俺のこと舐めてるだろ?」
「舐めてません。ごめんなさい。さようなら」
「さようならじゃねえ! 何故眼鏡を外さねえ!? 俺は眼鏡を外せと言った! ちっとも言う事を聞いちゃいねぇだろうが!」
ふん。コレは私の命だぞ。穢らわしいクソ虫の前で外せるわけがない。
「……これがないと私は歩けないので」
「今この時、謝る時だけ外せばいいと言ってる! 何故それすらしない!?」
「ブスなので顔を見られたくないのです」
「ほお? ますます気になるな。今すぐ外せ。素顔を見せろ。そうしたらもう許してやる」
「嫌です」
だが私ももうそろそろ我慢の限界のようだ。少々強めの口調で拒否を露わにした。
「……ッざけんな!」
リヒャインは私の頬をパンっと叩いた。
当然、眼鏡は吹き飛んだ。
またかよ。ドリゼラにもやられたんだぞ。私の頬は眼鏡を外す為に叩くものじゃないんだが。
私は顔を伏せ、眼鏡を取りに行こうとするが、
「顔を……見せろッ!」
「ひゃ!」
私としたことが思わず変な声を出してしまった。
だが仕方ない。何せこの男、女に手をあげるだけに留まらず、私の髪の毛を強引に掴んで引っ張ったのだ。
いつもボサボサでも気にしないが、今日はフランが丁寧に整えてくれた髪がすっかり台無しだ。
「力で俺様に敵うと思うな! 顔を拝んでやる!」
確かにもの凄い力だ。私には抗う術はない。
しかしこうなったら顔ぐらい拝ませてやってもいいが、その後は私も少し色々と暴れさせてもらうとしようか。さすがに堪忍袋の緒が切れそうだからな。
ここまでされて大人しくしていられるほど、私は人間が出来てはいない。
「何をやっているッ!!」
そんな時。
会場内に勇ましい声が響き渡った。
「おい、そこ! そのご令嬢に何をしている!?」
「ああ!? 誰だてめぇは!?」
「いいからまずはその手を離せ! 可哀想であろうが!」
どうやら何者かが助けに来てくれたらしい。
しかし誰だ? リヒャインよりも高い魔力を感じるが顔が見えず誰だかよくわからない。
私は今コイツに髪を掴まれ、上手く身動きが取れないからだ。
「うるせぇ。俺様は今、こいつの不敬を問いただしてんだよ。関係ねえやつはすっこんでろ」
「関係なくはない! そこのご令嬢は私の友人だ!」
「は! だったらなんだ? 関係あるか。俺様はリッツガルド家だぞ。てめぇがどいつか知らねえが、あんまり調子こいてんじゃねえよ。てめぇも不敬罪として処分してやろうか?」
「お、お前……それは何をしている? なんのつもりだ?」
「俺様はよ、こう見えてもすでに一級魔導師の資格を持ってんだわ。いくつかの上級魔法も扱える。片手でもてめぇを黙らせるくらいはできるんだぜ?」
リヒャインは左手に魔力を集中させ、私を助けに来た男に向けている。
こいつ、正気か。
どんな魔法を使うつもりか知らないが、こんな会場でそんなド派手な魔力を放てば、下手をすれば死者が出るぞ。
「やめろリヒャイン! 私は貴殿と争う気はない!」
「てめぇに無くても俺様にはあんだよ。リッツガルド家の家訓は人に舐められるなってあるんだよ!」
なんつー家訓だ。
しかしこいつ、本当に相当な魔導師だ。ドリゼラなんかとは違ってしっかりと高級なリストバンドをしているし、チラリと見える胸元には小さなハンドブック型の魔導書も携えている。携帯型の魔導書は魔力ブースターにもなるし、低級の魔法なら詠唱すら破棄できるだろうな。
おそらく魔法の扱いもかなり長けている。その気になれば相手の男を即座に倒してしまえるのだろう。この自信の現れが何よりの証拠だ。
「いいか? もう一度言う。関係のないやつはすっこんでろ。でなけりゃ、てめぇの身動きを封じる魔法をてめぇにぶつけて、それからボコボコにしてやる。魔力の精製はすでに済んでいる。妙な動きをしてみろ。すぐに魔法をぶっ放すぜ」
殺す気まではない、か。
この男、キレているように見せて存外冷静だな。
だが引けないのは貴族としての矜持か。
全くもってくだらないな。
「やめろ! 私は話し合いをしたいだけだ! 魔力を収めよ、リヒャイン!」
「うるせぇ! てめぇからは随分と高ぇ魔力を感じるぜ。てめぇも貴族の端くれなら、そのてめぇの魔力でどうにかしてみやがれ!」
貴族の誇示は家名の次に魔力だ。
だから貴族は嫌いなんだ。
だが、もういい加減ずっと髪を引っ張られていて頭が痛い。さっさとこの状況を打開するとしよう。
あの男の登場でだいぶこちらの時間も稼げたしな。
「……リヒャイン様。もうやめましょう」
私は冷静に語り出した。




