黄昏の世界で
上野の不忍の公園で丸眼鏡の歌い手とカンカン帽をかぶった楽団が古い歌を演奏していたのは10年以上前に見た実際の光景である。
携帯を向けて写真を撮っても良いかとジェスチャーしたら、はにかんで頷いてくれた。
彼らは、今でも古き良き日本の唄を歌っているのだろうか。
夏の夕方の蒸し暑い中に吹く、涼やかな風のような高く澄んだ声を思い出す。
土曜日の夕方の公園。
雨天中止。月に二回僕たちは来る。
3ケ月目になっている。バンド名は実はまだない。
アコーディオンにウッドベースにバンジョーを持って。
音の調子を合わせていると、少しずつ人が集まりだしてくる。
俺たちの歌を聞きに来てくれている。
「よお。待っていたよ。兄ちゃんたち」
声を掛けてきた浮浪者のお爺さんに手を振る。
「もう少しで準備が出来ますので、待っていてくださいね」
おじさん達はニコニコとしている。
空にはコウモリが飛んでいる。
池の蓮の花は閉じている。
日雇いっぽいオジサンたち。
浮浪者さんたち。
年のいった化粧の濃いお水の人。
お爺さんたちが木陰で将棋を打っている。
黄昏の光景。
俺たちは4人の楽団。
おそろいの衣装は白いシャツ。こげ茶のゆったり目のベスト。被りの浅いカンカン帽。
だって、意識したのは昭和初期の歌手だから。
俺はこの日だけ丸眼鏡をかける。
準備が出来た。
マイクはいらない。アンプも必要ない。
大きな場所はいらない。
この小さな場所だけ、言葉が伝わればいい。
タンタンタン。バンジョーの革張りの胴を叩いてリズムを取る。
アコーディオンが前奏を鳴らしだす。
息を吸い歌う。
「東京ラプソディー」
銀座や神田、浅草での恋模様。
どこでだって恋は出来ると思うんだけれど、都会だからこその憧れがあったんだろうな。
簡単に行き帰りのできる場所じゃなかったから、産まれた土地から出ない人も多かったのだろう。
そういえば、僕だって東京に来れば彼女が出来ると思っていた。
場所じゃないんだよ。
お爺ちゃんたちが手拍子をくれる。
ヤクザみたいな人も通るけれど、何も言わずに通り過ぎる。
たまに、少し離れたところで立ち止まっている。聞いてくれているのだろうか。
チワワをカートに入れたお婆ちゃんが嬉しそうに一緒に口ずさんでいる。
歌詞の「ニコライの鐘が鳴るって」って神田に古い教会があったのかな?
今聞いている人たちは知っているのだろうか。
「青い山脈」
雪割桜ってなんだろう。
雪が終わってからじゃないと桜は咲かないのに。
雨に濡れている焼け跡って凄い歌詞だな。戦争だろうか。関東大震災だろうか。
そして花を見つける。
この頃の歌詞は短い。
でも、悲しく重い想いだって軽やかに歌いあげている。
俺は歌うのが好きだ。
でも、話す声も歌う声も女みたいに高い。
高くて引っ掛かりも、かすれもない声だから、アニメタルや高音で歌うメタルもダメだった。
その時、軽音楽部の女の子が
「お婆ちゃんちのレコードの声みたい」
と言ってきた。
昭和初期の歌謡曲の声に似ていると。
ネットで調べてみたら、確かに俺の声質と似ていた。
昭和歌謡曲かよ。
しかも、誰も知らない曲ばかりじゃん。
変に高い声と妙な顔の振り、直立で歌う姿が滑稽に感じて不快になった。
だが、実際にアコーディオンを弾ける友人の田町と学園祭で歌ってみると、学生からは笑われたが、保護者からだけでなく、教師からの受けが良く校長まで聞きに来ていた。
「今の時代に聞けるとは思わなかったよ。その歌を歌っていたころを思い出したよ。ありがとう」
そんな、校長からの言葉を直々《じきじき》にいただいた。
保護者からのアンケートに、「祖父や祖母と来ればよかった」などとも書かれてあったのを目にした時には、心を動かせることが出来たんだと一表現者として嬉しかった。
俺の声だけが出来る事なんだと感じた。
それ以来、面白がってウッドベースの広川が来て、軽音部でギターを弾いている三崎が、お土産でバンジョーを貰ったと加わった。
バンジョーの音はギターよりも高い音色で軽やかだ。ギターのギブソンを弾くときには腰くらいに落とした位置で弾いているのに、バンジョーだと弾きやすい腹の位置に持ってくるのが可笑しい。表は革張りだけれど、枠や裏が金属で重いんだと。
やっぱりギブソンは格好よく弾きたくて、バンジョーは格好良さよりも弾きやすさ重視か。
ちょっと見は軽薄そうな三崎だけれど、バンジョーの弾き方も色々勉強して、本人はギターよりも弦は少ないし、コードも少なくてネックは細いから弾きやすい!とカントリー風の曲を即興でかき鳴らしていた。
このメンツならアメリカのオールウェイズとか良いんじゃない?とも出たが、やはり俺の声が絶望的に合わなかった。
カントリーならば、オールウェイズとかだったら格好良かったのに。
だから、俺たちは昭和歌謡曲を歌う。
俺たちにしかできない演奏だから。
他にバンドを組んでいるギターの三崎だけれど、月に二回の公園ライブは必ず来てくれている。
そういえば、このバンドは誰が抜けても昭和歌謡曲にはならないんだよな。
ドラムが欲しかったけれど、俺がしっかりリズム取るから大丈夫だよと言ってくれたベースの広川。
アコーディオンではなく、バンドネオンにして本格的に「昭和」の空気を出したいな。と進化を考えている田町。
格好良くないバンドだけれど、楽団って感じだけれど、この聞いてくれる人たちの心の近さが俺たちの結束を強くする。
「ゴンドラの唄」を歌う。
買い物カートに座っている、お婆ちゃんが目をぬぐって聞いている。
俺の声は女性の歌も楽に歌える。
「夜のプラットホーム」
列車で行ってしまった恋しい人を、柱の陰から見送る女性。って感じだろうか。
「いつ帰る」と聞きながらも、別れを知っている。「さよなら さよなら」
昭和歌謡曲の歌詞というのは今の歌とは少し違う。
悲しい曲が多く、別れを見送ったり、夢破れたりと最近の希望ばかりを歌うのと、かなり違う印象だ。
当時の都会へ行く人との別れは、人生での別れだったんだろうな。
その一方で都会に出た恋人を追って汽車で来たけれど、すでに恋人が出来ていて「さよなら幸せで」と帰る歌。
「夜汽車で帰ろう」
なんで、そんなに優しいのだろう。なんで、自分を裏切った人の幸せを願って帰れるのだろう。きっと、夜汽車の窓から見る景色は滲んでいるのだろうな。
唄い終わって、たった一人、一人の心を歌っている。一人称は「おいら」とか「あたし」でひどく個人的な細かな心情だ。
なのに、たくさんの人が共感をしている。
一方で「我ら」となると胡散臭いくらいに明るい歌詞となる。「青い山脈」なんていい例だ。
俺の爺ちゃんの時代よりもっと前かもな。
高度成長期で皆が頑張っていた時代だ。「もう戦後じゃない」を合言葉にしていた。嫌でも前を向いていたのだろう。
今の無気力な俺らとは違う世界だ。
そこまで熱くて羨ましくもある。でも、そんなエネルギーなどありはしない。
未来に対する希望も大してない。恋人。就職。結婚。子育て。まあ、就職はするが、あとはどこか他人事だ。
社会全体が活気がなく、物価の高騰で疲れている。俺たちの世代はコロナで高校生活の思い出がなく高校時代の人間関係は希薄だった。
物欲も少なく、恋人を作る事への執念もない。
「はあ。時代が違うんだよなぁ。全然実感ないよ」
俺は思わず独り言を言っていた。
「そりゃー違うさ」
後ろから声がした。ヤクザのおっちゃんと、頷いている浮浪者の爺ちゃん。
「俺らの時代は男は精一杯ブランド物でお洒落をして、良い車を買って、毎晩ディスコで美女と踊っていた。金が無ければ借金してでも体裁を整えた。それが格好いいと信じていた。金があればあるほど男ぶりが上がるってね。今から考えると、唯物主義や拝金主義なんだろうな。俺から見れば、今の時代は自分と向き合って良く考えている思慮深い奴らが多いと思うぞ」
ヤクザのおっちゃんは胸元の喜平の金のネックレスを引っ張りながら言った。
「わしらはなぁ」
浮浪者の爺さんが話し出した。
「とりあえず、皆で働くしかなかった。中学を卒業して集団就職で夜行列車に乗った。そこで金属加工の工場に入った。会社の寮だって個室でも四畳半でトイレ共同でな、飯は会社で出る弁当があってな、おかずは少ないんだが飯は多いのよ。2合くらい詰まっていたんじゃないか。それを一日の食事にしていたよ。飲み物なんて水か昼飯時にヤカンで出る麦茶くらいだ。金なんてなかったけれど、年に一二回会社で映画を観に連れて行ってくれてな、それだけが楽しみだったよ。10年も働けば一人前になって、それでやっと結婚できたけれど、若い頃はとにかく貧乏で苦労したよ」
爺ちゃんが続けた。
「お前さんは食べるのも学業だって苦労しているようには見えねぇ。でも、虚しくなっちまうのは、生きるのに不自由しねぇから、心だけを充電しなきゃいけなくて疲れるんだろうなぁ。ワシから見れば生きていくだけで大変のなのも辛いけれど、不足が無いと心ばっかり見詰めちまう。今のあんた等は気苦労が多いのだろうねぇ」
ヤクザさんも言う。
「欲しいもの、求めるものが無いっているのも、案外不幸なもんなのかもな。でも、お前さんには唄があるじゃねぇか。今時の格好いいもんじゃねえけれど、ここの奴らは皆、あんたの唄声が必要で来ているんだぜ。それって、表現者としては最高の心持なんだと思うがね」
表現者。と言われた。
その言葉が格好良くて口の中で繰り返す。
表現者。
自分が作った歌じゃないから、そんな考えた事が無かった。
でも、俺が歌って、誰かの心が動けば、それは表現者なのだ。
そうだ。カートをひいたお婆ちゃん。気だるげな年のいった水商売のおばちゃんが待っている。
日曜日にここを通ったら、この辺りには誰もたむろって居なかった。ここに今いる人たちは、俺たちの唄を聞きに来てくれていたんだ。将棋を打っている爺さんは、ここに常駐しているのかと思っていたのだけれど。
違った。みんな、俺達の唄を聞きに来ていたんだ。
どこか、社会から弾かれたような人たちだ。失礼な感想だけれど。
でも、そんな疲れた心が擦り切れた人達に必要とされている俺たちって、実は凄いんじゃないか?
なんだろう。この心の高揚は。
俺は今、感動をしているんだ。
この、夕焼けの中で少し疲れた人達に必要とされているんだ。
あ、そうだ。
後ろを向いてメンバーに言った。
「バンド名さ、「黄昏楽団ってどうかな?」
俺たちは「黄昏楽団」として活動を始めた。
巣鴨での催し物に呼ばれたりもしている。
まだ小さい活動範囲だし、命の短い活動かも知れない。
でも、俺たちの演奏で目を潤ませてくれる人がいるのならば、続けても良いんじゃないかと思っている。