36話 夏の森陸上部の文化
地区予選2日目、最終日。
初日に続いて快晴で、グラウンドコンディションは上々だ。
しかし、陽子と伊緒、花火のテンションは曇り空だった。
早めに到着した3人は、競技場を見上げながらハァとため息をつく。
「陽子、寝れた?」
「一応寝はしたけど、いまいちテンションがなぁ」
「伊緒さんと私は昨日で出番終わりですが、陽子さんは今日も出番があるじゃないですか! 元気出してください!」
「そうよ陽子、200mで都大会目指すんでしょ」
「そうなんだけどさぁ……昨日の終わりがあれじゃあなぁ」
「それはまぁ……」
「はい……」
3人揃って、どよんと落ち込む。
昨日の帰り道はお通夜モードだった。
四継の決勝、瑠那が入ったこともあって、ベスト記録を1秒以上更新した46秒66。
4人ともがベストを尽くした結果の好タイム、関東大会でも、いや、全国でも十分通用するような記録だ。
地区予選にしては、あまりにもハイレベルな戦いだった。
しかし、夏の森は負けた。
自分達だけの名誉を背負い、ただ負けただけならば、さして気落ちはしなかっただろう。
都大会には余裕で行けるのだ、準優勝は悔しくても、記録を考えればむしろ上出来だ。
しかし、昨日のレース、夏の森はロリ先生の名誉を背負って走った。
自分達を信じて見栄を切った先生が間違っていないと証明したかった。
ただ勝利だけを求める立身大付属のやり方には負けないと、証明したかった。
しかし、それは成らなかった。
ロリ先生は必死に励ましたが、リレーメンバーも、応援をしていた陽子達も、誰一人として晴れた気持ちで喜べはしなかった。
「リレー走ってない私達が落ち込んでたら、余計にいけない。って分かってはいるんだけど……切り替えられないよなぁ」
「でも先輩達が来たら、気分切り替えて挨拶だけでも元気にしなきゃ」
「そうですよ、今日はマイルもあるんです。出場しない私達が盛り上げていかないと!」
「よしっ、そうだな! 気分上げていこう!」
よしっ! と3人で気合を入れ直す。
すると、瑠那と麻矢が現れる。
「おはよう。なんだ、みんなだいぶ早いな。まだ競技場開くまでだいぶあるぞ」
「おはよーっ! なんだい、気合入ってんねぇ?!」
昨日とは打って変わって元気な麻矢に驚く。
瑠那のテンションはいつも通りだが、少なくとも落ち込んでいる様子はない。
2人の様子に陽子達は安堵した。
「私と花火は出場種目ないので、早めに来て何かお手伝いできればなと」
「私は家が近所なので、伊緒と花火に合わせて来たんです」
「お、ありがたいねー。じゃあ早速、荷物番お願いしちゃおうかな。ちょっと身体あっためてくるわ」
麻矢はそう言って伊緒と花火に荷物を預けると、軽く身体を動かしに出掛けた。
「おはよー。あれ、麻矢は? もう着いたって連絡来てたけど」
「身体あっためるって、走りに行っちゃいました」
「みんなおはよう。麻矢ちゃん、朝から随分とやる気満々じゃない?」
「じっとしていられないだけじゃないの? 麻矢、負けたレースの翌日っていつもこんな感じ。分かりやすいんだから」
美咲と香織が合流し、麻矢の残した荷物を見ながら話す。
この2人もいつも通り、3年生らしい(麻矢は例外だが)落ち着いた雰囲気で、落ち込んだ様子は見せない。
その後続々と部員が集まり、競技場が開く少し前にロリ先生を含めてミーティングをした。
「みんなおはよう! 今日は200mと800m、そしてマイルだな! レース当日だ、いつも通り多くは言わん。ただ、楽しんで走ってこい!」
「「はい!」」
簡単な情報共有だけすると、ロリ先生は早々にミーティングを切り上げて運営の仕事に向かった。
部員も初日に設営した拠点へ荷物を置いてから、すぐにウォームアップへ向かう。
「なんか、思ったより先輩達、立ち直り早いんですね。やっぱり経験と実績がある分、私よりメンタルも強いっていうか」
陽子は一緒に200mに出場する美咲、瑠那とトラックをジョグしながら言った。
「それはもちろん、昨日のレースは落ち込んだけどね。でもうちは、ネガティブな感情の翌日持ち越しは、しないようにしているの。特にそうしようって言われてるわけじゃないんだけど、昔からそうなんだって。私の先輩もそうだったし、その先輩の先輩も。だから、いつも朝になったら明るく元気に、走ることを楽しもうって気持ちで競技場に来るの。先輩達のそういう姿を見てると、自分もそうしよう! って自然となったのよね」
「走ることを楽しむ。夏の森らしい、いい文化だと思います」
笑顔で語る美咲に、珍しく瑠那が真剣にうなずいて相槌を打っている。
「それに私達がレースを楽しんで、その上で勝つことが、ロリ先生が間違ってない。っていう証明になるから。ね、だから2人も今日は楽しみましょ?」
昨日の敗北を、美咲も、他の上級生も忘れているわけではない。
しかしその上で、あえて走りを、レースを、楽しもうとしているのだ。
「それでこそ、私が選んだチームです」
「あぁ、だな!」
陽子は瑠那の気持ちを察する。
おそらく、瑠那も入学前にいくつか学校を調査したのだろう。
当時の夏の森が地区で最強とはいえ、これからがどうかは分からない。
瑠那にとって大事だったのは、仲間達と楽しく走れる、そして成長できる環境。
一人ぼっちで走ってきたからこそ、仲間や、楽しさ、そういったものに重きを置いたのだろう。
そしてこうした文化が根付いているからこそ、瑠那は夏の森の陸上部を選んだのだ。
(だったらなおさら……その選択が間違いじゃなかったって、示さないといけないな)
瑠那は、ロリ先生と上級生のいる陸上部を見て、夏の森を選んだ。
それは次に入部してくる者達も、文化を継ぎ、同じように走りを楽しめる者達だと信じられたから。
それだけの文化が、脈々と受け継がれてきたことを肌で感じたのだろう。
だったら、陽子は瑠那の期待に応えなければならない。
夏の森陸上部の部員として、同期として、仲間として、そして、いずれはライバルとして。
「200m……都大会、絶対行きましょう。3人全員で。立身大付属より上の順位で」
やや自信のなかった200mだが、勢いにまかせて陽子は宣言する。
一番実力の低い、なんなら都大会出場できるかはお前次第だよ! と笑われかねない発言だが、瑠那と美咲は笑わない。
陽子の発言にまったく動じず、真剣に受け止めた上で、瑠那と美咲は同意して目標を宣言した。
「当然だ。私は本田宗を倒して、優勝する」
「じゃあ私は、松下幸さんに勝って3着狙いね。才能の差はあるけど、2年相手だもの、上級生として勝ちに行くわ」
「じゃあ私は……あれ、あそこの200mの3番手って誰だろ?」
陽子も流れに合わせて格好良く宣言するつもりが、上手く決まらない。
「あーあそこのレギュラー、しょっちゅう変わるのよね。あとで確認しないと分からないわ」
「四継の3走は100mだけのエントリーだったし、未知の選手だと思うぞ」
「あら、それはお楽しみね。でもあそこは200mが強いから、いずれにせよ決勝に残る実力はあると思うわよ」
「え、えぇ~!? と、とりあえず、3番手に勝って都大会に行く!」
格好はつかなかったが、陽子もなんとか宣言をした。
美咲はくすくすと笑い、瑠那はゴーグルで表情は見えないが、口元だけ少し緩んでいた。




