35話 勝利を求める理由
「そんな……あんなに速かったのに、嘘でしょ?」
「信じられない、けど事実よ……」
「先輩達、凄い速かったです! 今日は負けてしまいましたが、都大会への切符は手にしました! きっと都大会で、リベンジしてくれると……うぇっうぇっ」
花火は泣きそうな顔でポジティブな発言をしようとするが、結局泣いてしまう。
無理もない、今日まで短い間だったとはいえ、共に辛い練習をしてきた仲間、そして尊敬する先輩達なのだ。
あれほどの速さで走るために、一体どれほどの汗を流し、涙をぬぐい、負けそうな心に鞭打ったのだろう。
その末の全力のレース、素晴らしい走りだった。
しかしそれでも、立身大付属には負けた。
積み重ねた努力を、敗北という言葉に否定された気持ちになる。
共に走ってきた分、その悔しさが分かるからこそ、観戦者だった花火も涙が流れるのだ。
「おいリョウ……どういうつもりだよ」
「あらあらぁ、かのん先輩。どういうつもりって、何がですかぁ? 勝敗のことでしたら、これが結果、ですよぉ」
レースを終えたリレーメンバーのもとに香織が走って行ってから、2人になったタイミングでロリ先生が口を開いた。
珍しく、その表情は怒りに満ちている。
「勝敗はいい。負けたのはうちの実力不足だ。これからまた速くなる、そのチャンスもある、何も問題はない。私が言いたいのは、お前のところの話だよ」
「負け惜しみじゃないならぁ、一体何が言いたいんですかぁ?」
夏の森に勝ったことがよほど嬉しいのか、凌は余裕げな、態度を見せている。
「アンダーハンドパス……それも『日本式』。あれは、元々ここで使うつもりじゃなかったって風に見えたぞ。観衆の目には、針に糸を通すような繊細なバトンパスで勝利を掴んだ。そういう美談に見えているんだろうが……私の目には、どのパスにも”失敗への怯え”を感じた。ここで使うつもりで練習してきたなら、あんな風にはならない。あれはどこで綻びが生まれてもおかしくなかった。お前、どうしてあんな不安定なものを使わせたんだ」
「やっぱり~、先輩の”その眼”は誤魔化せませんねぇ。えぇえぇ、元々あのパスは未完成、練習こそすれ、お披露目はまだまだ先……秋の新人戦に向けて試験的に練習していた、言わば秘密兵器だったんですよぉ」
凌はオペレーター席の椅子に座ると、長い脚を組む。
デスクに肘をつき、背の低いロリ先生と同じ目線で楽しそうに語り掛ける。
「でもぉ、あの子達が、勝つために自分達の判断で使ったんですよぉ。私は優勝しろって言っただけですしぃ? 自己判断で使って、ちゃんと勝てたんだから偉いですよねぇ」
凌は「バトンパスを教えはしましたけどねぇ~」と付け加える。
「生徒の自主性も、難しいことへの挑戦も、大いに結構だ。しかし、一歩間違えば失格になってたんだぞ! 地区予選は12位まで通過できるんだ、もっと安全に通過して、練度を上げてからアンダーハンドパスを導入してもよかったはずだ。むしろ、監督ならそうアドバイスすべきじゃなかったのか! 今日はあくまで通過点だろう!? もしもここで失格になっていたら……生徒達が可哀そう過ぎるだろ! そんなに優勝が……私達、夏の森に勝つことが大切か!?」
立身大付属はこれまで通りのパスでも、余裕を持ったタイムで2位に入れただろう。
もしかしたら、多少タイムが落ちても着順は変わらず、同じように優勝できていたかもしれない。
それでも、立身大付属のメンバーは危険な賭けに出ることを選んだ。
勝利への強迫観念、敗北への恐怖心がそうさせたとロリ先生は非難する。
インターハイまで、戦いはまだまだ続くのだ。
陸上競技のキャリアと比較すれば、今日のレースなど、とても長い道のりのただの通過点でしかない。
そんなところで、つまづくリスクを背負うのは割に合わない。
それなのに、大人が子供を脅迫し、追い込むような真似を、ロリ先生は許せなかった。
しかし、凌にもロリ先生とは別の矜持がある。
「通過点だろうと……終着点だろうと……勝てなければ、どんなステージでも一生勝てないんですよ! 敗者はじきに、走るステージにすら立てなくなる。負けてもいいレース、勝たなきゃいけないレース、そうやって切り分けている選手は一生敗者なんですよ! 常に勝つ、勝たなきゃ居場所を奪われる、そういう気持ちでうちはやってるんです! 仲良しクラブの夏の森とは違ってね!」
凌は普段のねっとりとした口調ではなく、早口で吐き捨てるように言う。
「適度な緊張感はいいだろう、しかしお前のところの選手達は……走っていても、勝利を得ても、まったく楽しそうじゃない! そんな勝利に……いや、走りに、意味はあるのか? 本質を見誤るな、私達はスプリンターだったが、今は教育者だぞ!」
ロリ先生の説教とも取れる発言にイラ立ちの限界を超えたのか、凌はダンッと椅子を蹴り立ち上がる。
長身の凌はロリ先生を見下ろすように立つと、意地悪そうな顔になり、いつものねっとりとした口調で耳元に囁く。
「先輩も本当は分かっているくせにぃ。負けたら終わり、勝てるから楽しく走れるんだ。ってぇ」
「……そんなことはない!」
「だってあの日……”私達が負けた日”、敗者に走れる舞台なんてないってぇ、心底嫌になるくらい、この身に沁みましたもんねぇーえ?」
「あれは……」
ロリ先生が言い淀むと、フンッ。と鼻を鳴らし、凌は背を向けた。
「まぁいいですよぉ~。どちらのチームがより強いか……ストイックに勝利を求める私達、立身大付属かぁ~、あの頃からいつまでも”楽しく”なんて言い続けてる、先輩の夏の森かぁ~。嫌でもマイルの結果に現れるでしょうしぃ? 明日を楽しみにしてますよぉ~」
そう言い残して、凌は立ち去る。
残されたロリ先生は唇を噛み、無言でその後ろ姿を見送った。
しかしいつまでもこの表情ではいられない、こんなときこそ、自分が生徒達をケアしなければならないのだから。
自分達は間違っていない、そう信じ続けるためにも。
深く深呼吸をすると、いつもの表情を無理やり作る。
その想いは胸の奥にしまい、ロリ先生はリレーメンバーを労いに向かった。




