33話 『日本式』アンダーハンドパス
「今日はみんな調子いいし、四継もタイムが期待できそうだよね」
「個人種目の疲労があるとはいえ、4人の表情を見る限り、むしろ良いウォームアップになったって感じでしたね」
「ロリ先生のためにも優勝したい! っていう気合も入ってましたしね!」
四継メンバーを送り出してから、留守番組はスタンドでスタートを待っていた。
予選と同じく、ゴール横のオペレーター席には香織が座っており、留守番組は瑠那以外の1、2年生、そして新聞部だ。
「よーしお前ら、今日の最終種目だからな、楽しんで走ってこい!」
「「了解!」」
ロリ先生も判定員の仕事を終え、オペレーターブースで香織の後ろに立っていた。
人数は少ないものの、夏の森陸上部全員で応援する。
「いぃ? あなた達。必ず、勝つのよぉ。勝利のみが私達の存在を肯定するわ」
「「はい!」」
隣のレーンを走る立身大付属は、夏の森とは逆にピリピリとした緊張感を漂わせていた。
そしてレース前の監督の凌の言葉で、さらに緊張感が増したように感じる。
号砲が鳴り、雌雄を決するレースが始まった。
「流石、瑠那! 速い! もう詰めてる!」
5レーンを走る瑠那は、4レーンを走る選手を早くも大きく引き離し、6レーンを走る立身大付属、宗との差も詰めている。
しかし初期加速こそ差が詰まるものの、4レーンの選手との差がどんどんと開いていくのに対して、6レーンの宗との差はすぐに変わらなくなる。
5レーンの瑠那、6レーンの宗が揃って他のチームを置き去りにする形だ。
「立身大付属の本田さん、200mを本職にするだけあってコーナーが上手い! 瑠那さんも上手いけど、100mで競ったときよりも差がついてない……0.1秒くらいしか変わらないかも!」
伊緒が即時に目測で差を教えてくれる。
スタートからの初期加速で稼いだ分しか、2人には差がついていないようだ。
ほぼ同時にテイクオーバーゾーンに飛び込み、パスが行われる。
「なんですか!? あのパスは!?」
「ここでアンダーハンドパス!?」
瑠那から麻矢へのパスは予選同様、問題なく行われた。
立身大付属も同様にスムーズに、いや、スムーズ過ぎる流れでバトンが渡る。
観衆がざわめくが、その理由はそのバトンパスの方法によるものだった。
オーバーハンドパスしか見たことのない花火も、初めて見たアンダーハンドパスに驚いている。
「アンダーハンドパス……予選ではオーバーハンドパスだったよね? 決勝で突然かましてくるとは!」
「綾乃先輩の言う通り、予選ではベーシックな……夏の森と同じプッシュプレス式のオーバーハンドパスを使用していました。しかしあれは、通称『日本式』の新型アンダーハンドパスですね……あんな高難易度なものを決勝だけ投入してくるなんて、一体どういうことなんでしょう!?」
伊緒が驚きを隠せないといった顔で解説する。
四継のバトンパスには、大きく分けて2種類が存在する。
腕を大きく振り上げて受け取るオーバーハンドパスと、腕を下げた状態で受け取るアンダーハンドパスだ。
オーバーハンドパスにも、後方からバトンを押し込むように渡す安定度の高いプッシュプレス式と、上からバトンを乗せるように渡す、最も利得距離(そのまま走るよりも、腕を伸ばした分だけバトンパスで短縮できる距離)を稼げるダウンスイープ式があるが、これらはどちらも一般的に見られるものだろう。
対してアンダーハンドパスは、歴史こそオーバーハンドパス以上に長いものの、近年は世界大会でもほぼ見られない方式となっている。
互いに腕を伸ばし合ってバトンパスをするオーバーハンドパスとは逆に、ピッタリと距離を詰めて、次走者の腰の位置あたりでバトンパスをする。
腕を伸ばさない分だけ利得距離を稼げないが、加速姿勢を崩さず自然に近いフォームで受け取れる、つまり次走者のスピードを引き出しやすいというメリットがある。
他にも熟練すれば安定性が高いというメリットもあるが、しかし利得距離を稼げない、また安定させるまでに多大な調整時間がかかるというデメリットは大きく、採用例は少ないのが実情だ。
しかし日本代表チームは、その技術を長年に渡り磨き続けた。
まるで一振りの日本刀を研ぐように、アンダーハンドパスの可能性を信じて、改良に改良を重ねて鍛え続け、ついに五輪でメダルを獲得したのだ。
しかしメダル獲得後も改良は止まらない。
そして旧来のアンダーハンドパスを超えるパス、通常『日本式』が生み出されることになる。
旧来のアンダーハンドパスは加速姿勢を崩さないために、利得距離を犠牲にしていた。
対して『日本式』のアンダーハンドパスでは腕を下げながらも後方へ伸ばし、自然な加速姿勢を保ちつつ利得距離を稼ぐことに成功した。
しかしその代償として、旧来のアンダーハンドパスのメリットでもあった安定性を欠くことになる。
旧来のアンダーハンドパスは元々利得距離を犠牲にする前提であるため、受け渡し距離をかなり詰めた状態で設定している。
その結果、受け渡し可能距離は短いものの、受け渡し可能範囲は広くなり、安定性に繋がっていたのだ。
対するオーバーハンドパスは、前走者と次走者の距離が詰まった場合、離れた場合どちらでもミスが発生しやすく、受け渡し可能距離は長いものの、受け渡し可能範囲は短いという特徴があった。
そのため、アンダーハンドパスの安定性というメリットは、失格を恐れず全力で走れるという無視できない効果を発揮していた。
しかしそのメリットをあえて捨て、利得距離とスピードの両取りを狙ったのが『日本式』のアンダーハンドパスだ。
当然、双方のメリットの恩恵を受けると同時に、双方のデメリットも負うことになる。
オーバーハンドパス並みにジャストタイミングでなければバトンが繋がらず、アンダーハンドパス並みに熟練しなければ効果を発揮できない。
立身大付属は、その『日本式』アンダーハンドパスをここで投入してきたのだ。
この高難易度のバトンパスが完璧に繋がれば、利得距離では夏の森と同等、そして次走者の加速効率では夏の森を上回ることになる。
「まずいですよ、2走で逆転されてます!」
バトンの受け渡しは夏の森の方が速かった。
その後の麻矢の加速も決して悪くない、むしろ本日4本目のレースにしては上々だ。
しかし、立身大付属の2走、幸の加速はそれを上回る。
100mの決勝では麻矢に敗れ4着だったが、今は麻矢よりも確実に速い。
「幸ちゃんの強みのトップスピード、活きてるわねぇ。100mでは加速に乗り切れなくても、加速してからバトンを受け取れるリレーならぁ……しかも加速を助けるアンダーハンドパス、ここまで条件が揃えば、前半型の100mの選手ごときには負けないのよぉ」
麻矢の強みは常にベストを出せる心の強さ、前半の加速力、そして前半型の選手にしては珍しい、マイルで鍛えたスピードの維持力だ。
加えて、100m決勝で見せたトドメの跳躍という技もある。
対して幸の強みは、麻矢を超えるトップスピードと、そのスピードの維持力。
まずこのレース、負けられない想いから幸も全力を発揮しており、ベストコンディションなのは麻矢も幸も変わらない。
そして2走は加速してからバトンを受け取るため、麻矢の加速力という強みは活きづらい。
加速後のトップスピードでは幸に分があり、その後の維持力でも、200mを本職とする幸が僅差ながらも上手と言える。
さらに2走は4区間の中で最も長く走るエース区間だ。
幸のトップスピードと維持力をもってすれば、たとえ麻矢が相手だとしても、多少の遅れを取り戻し、さらに抜き去るのは当然と言えた。




