24話 宣戦布告
「400mトラックって、こんなに大きいんですねえ」
スタンドから身を乗り出し、花火がしみじみと言う。
朝8時の開場と同時に競技場入りした夏の森陸上部は、陣地設営を終えてこれからウォームアップだ。
雨風を防げるスタンド裏にテントを張り、オレンジの部旗を掲げた陣地は薄暗く狭いが居心地が良い。
しかし花火は落ち着かないようで、すぐに明るいスタンドに出て行ってトラックを見渡していた。
視界に広がるのはオレンジ色のタータンが張られた、400mの全天候トラック。
9レーンまであり、外周で見れば学校の300mトラックとは倍ほど違うんじゃないか、と思えるほどの大きさだ。
「400mってこれ1周走るんですか? ひぇー、死んじゃいますよ。私、100mのエントリーでよかったです」
「何言ってんの! ウチと歌なんて、明日だけでも800mとマイルでこれを何周も走るんだから。見習って体力つけな!」
「た、確かに! 綾乃先輩、体力すごいですね!」
「ほら、そろそろアップ行くから。みんなのとこ戻るよ!」
綾乃と歌は、マイルリレーのメンバーであると同時に800mにもエントリーしている。
2人とも都大会出場が狙える位置にいるため、2日目は予選から決勝まで走ることを考えれば相当にハードだ。
初日はそれぞれ400mと1,500mにエントリーがあるが、どれだけ疲労を残さずに翌日を迎えられるかが戦いになる。
「地区予選は出場校も多い分、なかなかの過密スケジュールだ! みんな予選から決勝までレースの本数が多くなるだろうから、怪我をしないよう、ウォームアップは念入りにすること。1年生は上級生のアップにくっついて行って、どういう動きをしているのか参考にしなー」
2日間で全種目を実施する地区予選は、出番の間隔が非常に短い。
都大会からは2週に渡っての4日間開催となるため、この慌ただしさは地区予選独特のもの。
ベストコンディションであれば都大会進出できる選手でも、疲労やウォームアップ不足で順位を落とすことがあるのが怖いところだ。
3年生は実力がある上に出場種目を絞ったのでまだマシだが、2年生の2人はギリギリ都大会に進めそう、というレベルなため、結果はコンディションのコントロール次第と言える。
「私は大会中は基本的に判定員の仕事あるから、ほぼ見に来てやれないしなー。蒼ちゃん、香織ちゃん、みんなを頼むぞ!」
基本的に、大会運営は陸上部の監督によって構成される連盟によって成り立っている。
都大会、関東大会とステージが進めば、自校の選手が出場しない学校が運営サポートをしてくれるが、全員参加の地区予選はそうもいかない。
どの監督も、できるだけ選手の近くで手助けをしたいからだ。
その点、夏の森は都大会以降の常連であるため、代わりに地区予選ではロリ先生は忙しく運営サポートをしている。
「じゃー私は行くから……あいてっ。あ、すみません。って……お前か……」
「随分と、生徒を信用しているんですねぇ」
ロリ先生は蒼と香織にあとを任せて仕事に向かおうとするも、前に立ちふさがった人物にぶつかってしまう。
目を細めて笑うその女性は背が高く、ロリ先生をじっとりとした視線で見下ろした。
肩まで伸ばした黒髪は艶があり、紅いリップと相まって大人の雰囲気を醸し出している。
「お久し振りですぅ、かのん”先輩”」
「リョウ……何の用だ」
「そんなに怖い顔しないでくださいよぉ。今大会で唯一、うちの相手になりそうなチームがどんなものか、敵情視察ってやつですぅ。そしたら生徒を置いて監督は不在にするだなんて、随分と余裕だなぁと。もしかして、優勝諦めちゃいましたぁ?」
槌屋凌。
東京南地区で夏の森と並ぶ強豪、立身大付属の監督だ。
じっとりとした視線と、ねっとりとした喋り方は、妙に神経を逆撫でする。
「あぁ余裕だよ。うちの子達は自立してるからな。大会当日まで縛り付けてないと走れないようなチームじゃないんだ、私がいなくても勝手に優勝して帰ってくるだろうさ」
「あらあらぁ、それってどこのチームのことを言ってますぅ? なんだか、今年も全然部員数増えてなさそうじゃないですかぁ? 新人戦では確かに不覚を取りましたけどぉ、リレーってやっぱり、選手層の厚みだと思うんですよねぇ」
表情は笑顔のままだが、ロリ先生の発言に凌は明らかにイラついている。
「うちは今も昔も少数精鋭だ。そっちこそ2年連続でエースに逃げられてるじゃないか。そろそろ、無理やり縛り付けるやり方は通じないんじゃないのか?」
「ご心配どうもぉ。でも、弱いから去ったまでですよぉ。孤独に戦い続けられない子は、勝ち続けることもできませんからぁ」
ロリ先生は「”孤独”に、ねぇ」と呟いてから、鋭い目つきで凌に向き直る。
「うちは、今も昔も同じやり方だ。そのやり方に喧嘩売るってんなら、決勝で相手してやるよ」
「あぁ~いいですねぇ。”昔の”かのん先輩みたいですねぇ。ほらほら~出てきてよく見ておきなさぁい。これが今大会、潰す相手ですよぉ」
凌が声をかけると背後から、長い髪をツインテールにした、ツンとした表情の少女が現れる。
「次期エースの1年生、ソウちゃんですぅ。本来、故障がなければ関東6強に入るのはこの子だったんですよぉ」
「本田宗です。2年生の頃に200mで関東まで行ったことがあります」
凌は自慢げに、まるでトランプで自分の手札を見せつけるかのように宗を紹介をした。
宗もまた、聞かれていないにも関わらず、自身の経歴を誇らしげに語った。
「そうか。怪我は辛いからな、高校では気を付けて走るんだぞ」
「……っ! 敵になる生徒にまで、本当に優しいですねぇ!」
ロリ先生が全く動じなかったことが気に障ったのか、凌はあからさまに不機嫌になる。
不安そうな表情でロリ先生を見つめる夏の森の部員達を見て、凌は陽子に気付いた。
「あらぁ~日向陽子ちゃんじゃない。夏の森に進んだのねぇ。驚かないで~、南地区の子は大体みんなチェックしてるのぉ~」
陽子を自分の手札である宗よりも格下と判断したのか、凌は少し機嫌を直す。
宗も、かつて負けたことのない相手である陽子を見て余裕気な表情だ。
「先生、学校受付終えてきました」
そう言って学校受付の事務手続きから戻ってきた瑠那は、緊張感のある空気に気付いた。
凌にペコリと頭を下げ、こんにちは。とだけ挨拶をすると、何事だ? といった表情で陽子の横に並ぶ。
「瑠那ちゃん、学校受付ありがとう。こちらは立身大付属の槌屋監督と、次期エースの本田宗ちゃんだそうだ。今大会で負かす相手が、ご丁寧に挨拶に来てくれてなー。瑠那ちゃんは、本田ちゃんのこと知ってるか?」
「そうでしたか。申し訳ないですが存じ上げないですね。これからよろしくお願いいたします」
「『磁器人形』……まさか夏の森にぃ……」
「わっ私を知らないって……知ってなさいよ! さては他の選手に興味がないタイプね! 『眠れる森の美女』も知らないんでしょう、そうでしょう!」
「『眠れる森の美女』……木下昼寝か、それならよく知っているぞ。立身大付属のエースは彼女だと思っていた。どうやら、すでにこの地区にはいないようだが」
悪気なく宗の地雷を踏む瑠那の答えを聞き、宗の顔はみるみる赤くなる。
凌もまた、本物の『関東6強』である瑠那を前にしてわなわなと震えている。
「そうかー、じゃあ今回のバトルが楽しみだなぁ! はっはっは!」
余裕気に笑うロリ先生を見て我慢の限界を迎えたのか、凌は「帰るわよ」と宗に言うと、立ち去ろうとロリ先生に背を向ける。
宗もまた、悔しそうな顔で瑠那を睨みつけると、凌について背を向けた。
「あーそれから、私はあんまりこういうマウントの取り合いは好きじゃないんだが」
やや声を張り上げてそう言うロリ先生の声に、凌は耳だけ向ける。
「警戒すべきは1人だけじゃないぞー。うちの部員”全員”を警戒しておいたほうがいい。来年、再来年に、成長したうちの子達の眼中から消えたくなかったらなー」
ニヤリと笑うロリ先生の顔を見ずして、凌はフンと鼻を鳴らして立ち去る。
一瞬振り向いて、今度は陽子達のことも睨みつけてから宗が小走りでついていく。
「いやー相変わらず面倒くさいヤツ!」
「でも先生、格好良かったですよ」
まったく。と頭を掻くロリ先生を、蒼が褒める。
「ついムカついて啖呵切っちまったけどなー、これで負けたらめちゃくちゃ恥ずかしいぞ! けどな、私は達成不可能なことは言わない主義だ。お前ら全員が強い選手に成長すると私は信じている! だから、いいかお前ら! まずは今大会のリレー2種目、絶対優勝するぞ!」
「「はい!!」」
夏の森陸上部は、自分達を信じてくれたロリ先生に恥をかかせないため、そして自分達のプライドのため、優勝を誓った。




