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16話 脇役

 美咲の走りに効果音をつけるならば『するする』という擬音がぴったりだろう。

 特に上下への重心のブレが生まれやすいコーナー走において、まるで蛇が滑り進むような走りだった。

 遠心力、地面からの反発……その他、自身の身体に及ぶ、あらゆる外からの力学を理解し、制御している。

 天性のセンスによって自身の身体を完璧に操る天才肌の瑠那に対して、美咲のそれは努力の枠を超えた経験の蓄積。

 ”この環境で、こうすれば、こうなる”そういったシミュレーションを、途方もない数こなした結果だった。

 

 体格に恵まれたわけではない。

 天性のセンスがあったわけでもない。

 土壇場で限界を超えた実力を発揮できる根性や、いわゆる”主人公属性”のような力もない。

 個人種目では東京都大会の予選落ち。

 東京有数の強豪チームである夏の森で四継、マイル共にリレーメンバーを務めるが、序列で言えばどちらも3番手。

 他校から見れば、モブキャラとも脇役とも呼ばれる。それが美咲のポジションだ。


 しかし脇役も、リレーというステージに立つことに変わりはない。

 最高の状態で、主演とも言えるエースへバトンを繋ぐ。

 

 そのために必要な技術は全て身に着けた。

 1走を任せられればスタートを。

 2走を任せられればバトンパスと持久力を。

 3走を任せられればコーナー走を。

 全ては、共に入部して以来の不動のエースにして4走……『蒼炎(そうえん)』の名を持ち、主演たる蒼へ最高のステージを用意して繋ぐために。


「陸上部上級生チーム、差が開いていた4位、5位まで一気に迫ります! そしてすぐ後ろには陸上部新入生チーム!」

「伊緒ちゃんは己の役割を、第2集団というポジションのキープと判断して、そしてライバルを出し抜くことで達成したようだな。同じく美咲ちゃんも、第2集団まで追いつくことを役割と判断して、達成した。あの二人、意外と似た者同士かもなー?」


 自身の実力を冷静に認識し、取れる打ち手を着実に実行していく。

 今はまだ実力に大きな差があれど、美咲は後に伊緒にとっての道標となる。

 このレースは、その切っ掛けとなった。

 だが今は、まだ互いに最後の仕事が残っている。


「さぁ先頭集団は3走へのバトンパスを終え、後半戦へ突入しました! そしてやや遅れ、第2集団もほぼ横一線になってテイクオーバーゾーンへ入りました!」

「テイクオーバーゾーンは内側から、75m地点の通過順で並んでるぞー」

 

 内側から4位のラクロス部、5位の自転車部と並び、3番目の位置に陸上部新入生チームの陽子が立っている。

 今でこそ6位だが、75m通過時点では後方にいた陸上部上級生チームは外側だ。


「美咲ーっ! ここだー!」


 コースの端から、ここがゴールだとアピールする麻矢が手を振る。

 美咲は麻矢の位置を確認すると、インコースを離れ、バトンパスのために外側へコースを横断していく。

 

「伊緒ーっ! ラストファイトーっ!」


 同じく、陽子も声を出して手を上げる。

 伊緒がバテているわけではないが、走力のある陽子はテイクオーバーゾーンの手前に陣取って手を伸ばす。

 伊緒が夢にまで見た、リレー。

 そして初めてのリレーで、バトンを繋ぐ相手は憧れたスターの2人。

 嬉しさと感動から自然と目元に溜まった涙は、誰にも見られず風に溶けた。


 外側までの移動でやや多めに走った美咲。

 他のチームよりも手前でバトンパスをする伊緒。

 2チームのバトンパスは、ほぼ同時に行われた。


 

「麻矢っ!」

「陽子っ!」


 差し伸べられた手のひらに、バシッと音を立ててバトンを乗せる。

 バトンをぐっと力強く握ると、麻矢と陽子は前を向き直して駆け出した。


「陽子ー! 瑠那さんのもとまで……いっけぇぇぇ!」


 普段大声を出さない伊緒だが、お腹の底から精一杯の声援を送った。


 後方からは、ヘロヘロになって走ってきた水泳部の選手達が現れる。

 邪魔にならぬよう、伊緒達は急いでコースを離れた。

 コース外から彼女達のバトンパスを見るが、その肉体は、伊緒とは比較にならないほどに鍛え上げられている。

 それぞれの専門スポーツに特化した鍛え方をしているとはいえ、小枝のような伊緒に負けたとは、このレースを見た者しか信じられないだろう。

 肩で息をしながら水泳部の選手達を見つめる伊緒の隣に、呼吸一つ乱れていない美咲が歩み寄る。

 

「伊緒ちゃん。彼女達に、あなたが勝ったのよ。信念を感じさせる、いい仕事ぶりだったわ」

「美咲先輩……! ありがとうございます。私、遅いし、とにかく瑠那さんと陽子の足手まといになりたくない。っていうのが目標だったんです。あの2人が一緒に走るのに、私のせいで負けるなんて許せなくて。だから、そのためにできることを考えて……まさかここまで上手くいくなんて思ってなかったんですけど、とにかく……少し、自信になりました!」


 興奮気味に話す伊緒に、美咲は優しくふふっと笑いかける。

 まるで、かつての自分のようだと思った。

 当時から圧倒的な実力を持っていた蒼、そして他校ならエース級となる麻矢。

 ライバルだとは、一度も思ったことがない。

 しかし、視界から存在を消したこともない。

 むしろ、美咲の視界には、2人が常に映り続けていた。

 憧れと友情と、劣等感。

 感情が混じり合った末に辿り着いたのは、仕事人とも言えるプロ意識。

 2人がリレーという種目でより上のステージで走れるように、ただひたすらに己の武器を磨き続けた。

 常に前を走る2人に、少しでも近づくために……そして、表彰台の上で隣に並んだとき、自分がチームに相応しくなれるように。


 個人としての勝負や結果、感情をチームのために諦めたわけじゃない。

 リレーに軸足を置き、本気の勝負と、最高の結果を求めたからこそ、望んで脇役に徹したのだ。

 自分の役割を決めてから、美咲は心の底から勝負を楽しめるようになった。

 誰よりも(うま)く走る、その先に最高の結果が待っていると気付いたからだ。

 美咲はその磨き上げた武器を、技巧を、チームのために振るえることがなにより楽しいと感じる。

 憧れるだけじゃない、対等にレースを楽しめている。そう感じるから。


「私も、伊緒ちゃんと同じ。蒼と麻矢がいて、それを全力で支える香織がいて。自分がチームメイトとして恥ずかしくないように、やれることを全力でやる。そういう気持ちでやってきて、いつしか本心から勝負を楽しめるようになったの。だから、伊緒ちゃんの気持ちも分かるわ。」


 この時の伊緒と美咲の気持ちは、きっと二人にしか理解できなかっただろう。

 だが同じ使命を帯びて走った二人には、仲間意識が生まれた。

 美咲が笑顔で手を差し伸べ、伊緒が握る。


「グッドジョブ、伊緒ちゃん。さぁ応援するわよ! 繋いだ先を見届けなきゃ!」


 レースは、ここから、後半戦だ。

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