14話 祭田花火
「おっとここで先頭が交代しました! サッカー部……続いてバスケ部も陸上部新入生チームを追い抜きました! 陸上部新入生チームは先ほどまで好調でしたが、どうしたどうした! 先生、解説お願いします!」
「……やはりな、ここらへんでこうなる気はしていたぞ。分かりやすく言えば、ガス欠だな。80m。ここで無酸素運動の限界が来たんだ。」
「ガス欠ですか! しかし短距離の中でも最短の100mに満たない距離ですが、この距離でもここまで大幅に失速するものですか?」
「体力ある綾乃ちゃんみたいなタイプは経験ないかもなー。でも大多数の未経験者にとって、短距離始めて最初の壁が80mなんだ。学校じゃ短距離と言えば50m程度で、100mなんてなかなか直線で走らないだろ? それより長い距離は、まず最初から全力で走らないし。だから皆走ったことがないのに、100mは”最初から最後まで全力で走れる距離”だと錯覚してるんだ。でも実際はそうじゃない」
ロリ先生が解説する中、花火のポジションはずるずると後ろに下がっていく。
100mを過ぎた今は5位あたりだろうか。
先ほどまで花火の快進撃を見ていたギャラリーは、ロリ先生の解説に興味深く耳を傾ける。
「速いと言われるヤツなら、60mくらいまでは誰でも最初から全力で飛ばせるんだよ。でも、全力の無酸素運動を10秒近くやってバテないヤツなんでいないさ。気付いたときには腕も脚も動きがバラバラになってきて、それが露呈するのが80mってあたりなんだよな」
「なるほど……運動量が多い場合、つまりピッチ型で歩数が多い走り方の場合、より早く限界がきそうですね」
「ご明察。花火ちゃんは小さな歩幅で高速回転させるタイプかつ、あれだけ凄まじいスタートだからなー、燃費はかなり悪いと思うぞ。と言っても、身長が低いとそうならざるを得ないんだけどなー」
「ん? それってつまりロリ先生も同じ……」
「お前みたいに身長と体力に恵まれてるヤツには分からないだろうさ!」
陽子はロリ先生の解説を聞き、なるほど理解して顔をしかめる。
150mという距離は、未経験者にとってはかなり長い距離だ。
短距離の中でも短い種目……ショートスプリントと呼ばれる種目が200mまでで、実際に多くのショートスプリンターが200mにも出場する為、陸上競技の経験者からすれば150mというのは身近な距離だ。
100mの練習でも終盤力をつけるために走るし、200mの練習でもラストスパート前までの流れを確認したいときに走る。
しかしそれは基礎が身に着いた上での話であって、未経験者からすれば50mの3倍という距離なのだ。
50mがどれだけ速くても、距離が伸びて体力切れになるなら……走りのフォームが崩れて体力勝負になれば、基礎体力で勝る他の運動部の上級生達が有利だ。
やられた。と思った。
全力で飛ばさないように言っておけばもう少しマシにはなっただろう。
それこそ、”流し”くらいのペースで走るようにアドバイスしておけば……。
(くそっ。これは自分と瑠那で追い上げないとまずいぞ……)
伊緒は花火を見ているから同じ失敗はしないだろう。
しかし、そもそも伊緒は運動神経が良い方ではないし、体力のある上級生達が有利なことに違いはない。
「さぁ見た目以上に長かった1走区間もまもなく終了! 先頭は2走へバトンが渡ろうとしています! 先頭集団はサッカー部を先頭にして3位まで、やや離れて第2集団がおり……おっ! 陸上部上級生チームは第2集団に追い付こうとしています!」
「歌ちゃん、地味だけど仕事はしっかりこなすタイプなんだよね~」
先ほどまでのリードはどこへやら、花火はすっかり第2集団の中に順位を落としていた。
対して歌は着実に追い上げ、早々に最後尾だった柔道部を抜き去ると、今は全くペースを落とすことなく第2集団に食らいつこうとしている。
体力自慢の運動部とはいっても、基礎スピードが違うのだ。
失速を少なく走っているチームも、トップスピードを維持しながら追い上げてくる歌と比較すればスピードの差は明らかだった。
「流石は400m専門のロングスプリンター、150m程度では失速しません! 余裕の走りで追い上げていく!」
「元々トラックを1周する種目だから、体力の消耗を抑えつつコーナーを走る能力もある。1走勝負は、スキルの差が大きく出たなー」
呼吸が乱れ、顔を真っ赤にしながら花火は走る。
握力も弱ったのか汗でバトンが滑りそうになり、必死に握りなおす。
ボクサーがラッシュをかけるかのように、高速で地面を蹴っていた脚はすっかりスピードを失い、ストライドを大きくすることでなんとか勢いを保っている状況だ。
(苦しい……たった150m、そう思っていたのに、走ることがこんなに大変だったなんて。50m走でタイムが良かったから自分にも才能があると思っていましたが……甘くなかった!)
花火は、これまで運動部に所属したことがなかった。
中学時代、特に興味を持ったスポーツがなかったからだが、運動自体は得意だった。
何でもできると思うほど思い上がりはしていない。
しかし運動部に入部してみようと思ったとき、”走るだけ”なら活躍できるかもしれない、そう思って選んだのが陸上部だった。
(もうダメです……腕を振っているのか、肩を回しているのか。感覚がありません……もうここまでやったら、皆も”許して”くれますよね……?)
例えるなら水中で走ったときのような、まるでもがくように走る花火の心は、完全に折れていた。
よろめき、転びそうにならないように地面を見ながら足を前に進めること、バトンを渡すことだけを考える。
このバトンさえ渡せば、楽になれる……。そう思って前を向く。
「花火ちゃん! ラストファイト―!!」
目の前には、テイクオーバーゾーンの一番手前で手を振りながら声援を送る伊緒がいた。
花火の状況を見て、できるだけ手前でバトンを受け取ろうと考えたのだろう。
他の選手よりもかなり手前に立っている。
花火は自分が楽になることしか考えられなくなっていた自分が、急に恥ずかしくなった。
レースは、まだ始まったばかり。
花火の運ぶバトンを、3人が今か今かと待っているのだ。
そしてこれから自分の走る距離が長くなろうとも、歩み寄って手を必死に伸ばしている仲間が目の前にいた。
「っ! 伊緒さ……ん……!」
最後の数m。
もう一度、脚の回転を上げようと力を入れる。
途絶えていた”速く走ろう”という気持ちが再び燃える。
そして感覚のない腕でバトンを掲げ、振り下ろすように、体ごと倒れるように、腕を伸ばした。
「よく頑張ったね」
他のチームが走りながらバトンパスをしていく中、ほぼ止まった状態でのバトンパスだった。
しかしそれ故に、しっかりと互いの顔が見えた。
バトンを受け取る伊緒は優しく笑うと、そう告げて走り出す。
地面にうつ伏せで倒れ込み、全身で息をしながら見送る花火は声を振り絞った。
「伊緒さん……ファイトー!!」
最後の数m、再び本気を出せたのは僅かに数歩だった。
体力が尽きた、そう感じてからの自分は、本当に全力を尽くせたのか。
確かに体力に余裕はなかった。しかし、絞り出せるだけ絞り尽くしたのか?
否。
ここまで頑張れば許してもらえる、そんな外からの評価、外への言い訳。
戦いの中で、走るべき時間の中で、くだらないことを、考えていた。
「花火、大丈夫か。肩を貸せ」
「瑠那さん……恥ずかしいです。悔しいです。心が負けるまで、自分の弱さに気付けなかったことが」
「そうか。だったら、強くなればいい」
「……はい!」
コースから運び出されながら、花火は泣いた。
悲しくはない。痛いわけでもない。
ただ自分の責務を忘れ、楽な方向へ流れてしまった自分への憤りから、泣いた。




