45話 飛んで火にいる夏の虫
日本語には、飛んで火にいる夏の虫という言葉がある。ちなみに英語では、「Fools rush in where angels fear to tread」という表現がこの言葉とニュアンスが近い。映画や洋書にもこの言葉が出てくる。
村長宅に向かう私の状況は、この言葉とぴったりだろう。
でも、この前犯人を野放しにするわけにもいかないし、あのスケベ親父の村長はこんな私を見てうっかり犯行や手口について口を滑らすかもしれない。
村人のほとんどは、教会のバザーに遊びに行っているようで、村長宅の周辺は人気がなく静かだ。
緊張はしたが、ポケットの中にはあのプラム特性の撃退スプレーもある。あそれにここに行く事もプラムが知っている。もし何かあっても大丈夫だとどこか楽天的ではあった。
しかし、そんな楽天思考は村長宅に近づいた時の打ち砕かれた。
銃声と何かガラスが割れるような音が響く。一瞬鳥か何かの鳴き声とも思ったが、どう考えても銃声だった。
私は暑さではない理由で背中や首を汗で濡らし、村長宅へ走る。
裏口の戸は開いていて、メイドに部屋に急ぐ。
「ちょっと、メイジー!どうしたの!」
そこには、メイド姿のメイジーが泡を吹いて倒れていた。揺すってみても起きない。
しかし、手首や胸を触るとちゃんと脈が動いている。
ショックな事があり、気を失っているだけのようだ。とりあえずホッとし、アンジェリカや村長を探さなければと思う。ここで銃声がし、メイジーが倒れているなんてカーラの事件と無関係とは言えないだろう。
後ろ髪が引かれるが、私はメイドの部屋を出てアンジェリカや村長を探す。
しかしアンジェリカは私に予想を遥かに超えた姿で食堂に倒れていた。
「そ、そんな…」
アンジェリカの胸は銃で撃たれ、息絶えていた。まぶたは硬く閉ざされ、手首を触っても動いていない。
アンジェリカは誰かに殺された!
誰に?
もう一人しかいない。村長だ。私は力がぬけ、アンジェリカに死体のそばでうずくまる。
足音がゆっくりと近づいている。
私は、ポケットの中に手をつっこみあのスプレーを握った。今はこのスプレーだけが命綱だ。
足音が止まり、私の背後に誰かの気配を感じる。
「なぁ、素人探偵さん!」
振り向くと、銃を構えた村長が立っていた。
私はスプレーを取り出して、村長を目掛けて噴射しようとした。しかし緊張で手先が震え、スプレーが私の手からこぼれて床の転がる。カラコロと虚しい音が響く。
「クソが!」
村長はそう吐き捨て、スプレーを拾い上げてポケットに隠す。命綱は、あっけなく握りつぶされてしまった。
逃げようとしたが、膝がガクガクとして立ち上がる事もできない。この状況が絶対絶命である。
「あ、あなたが犯人だったのね?」
私の声もガタガタと震え、非常に頼りない。でも一応確認しなければならない。
「カーラを殺されたのはあなたね?」
「違う!」
「え?」
「カーラを殺したのがアンジェリカだよ!」
それは予想していたが、なぜアンジェリカは殺されたの?全くわからず、私の全身は恐怖でふるえていた。
「カーラを殺しやがって!可哀想なカーラ!絶対この女は許さない!」
村長は悲痛な声をあげ、アンジェリカの死体を蹴飛ばす。いくら暴言を吐いた女とはいえ、死体を痛めつけるとは。私はついアンジェリカを庇うようば体勢をとる。
「アンジェリカは、カーラに脅されていた?デレクとの不倫をネタに」
「ああ、そうだよ。俺が問い詰めたらアンジェリカは一昨日ようやく吐いたよ!配偶者が犯罪者だなんて、こんな事がバレたら俺のキャリアに傷が着くじゃないか」
「殺人やった時点であんたのキャリアなんてめちゃくちゃでしょ!それにデレクに嫌がらせしたのもあなたね?」
怖いが、こんな酷い犯人にはこれぐらい言ってやりたかった。
「ああ、そうだよ!アンジェリカに色仕掛けしやがって!あいつが全部のきっかけだ!」
村長は再びアンジェリカを蹴飛ばそうとしたが、そうはさせない。結果的に私が蹴られたわけだが、これ以上アンジェリカを傷つけられるのは見ていられない。
それにこんな酷い犯人に頭の中はどんどん冷えてくる。
アンジェリカも殺人犯のわけだが、この犯人も自分のことしか考えていないようだ。こんな人物が村長?冗談じゃない。村のリーダーとして一番相応しくない!
もう自分は殺されてもいいと思っていた。ただ、この男をこのまま村ぼリーダーという地位につかせて置くのはなんとしても阻止しなければ。でもどうやって?とりあえず、時間を稼ぐしかないだろう。
「そ、そんな事して許されると思ってるの?あなたはアンジェリカを殺してるのよ?死体はどうするつもり?」
「そんなの決まってるだろ。湖に沈めるんだ。あそこに沈めれば一生出てきない。お前もデレクも殺す!妻の不倫も俺の評判に傷がつくじゃないか」
「なんて自分勝手な…」
「どうとでも言え!」
そして村長は汚物でも見るかのような視線で私に唾を吐く。顔に汚い唾がかかり、心底気持ち悪いがここで心が折れるわけにはいかない。
「カーラはあなたの事を愛してたのよ」
「あぁ。だからこそカーラを殺したアンジェリカが許せなかったんだよ。可哀想なカーラ。僕が救ってあげたかったよ!」
さっきかけられた唾以上にこの男の思考が気持ち悪い。まるで女性をモノ扱いしている。アンジェリカが不倫に走る理由もよくわかってしまう。中途半端なヒーロー気分に浸り、ちょっと仕事やプレゼントを与えただけで本気でカーラを救う気などはなかっただろう。その証拠にカーラは、ミッキーやジェイク、牧師さんまで色仕掛けをしていた。
こんな男でもかっこよき見えてしまったカーラの境遇に心底同情する。やっぱりこの犯人は、許せないだろう。
「本当にカーラを愛していたら、結婚してあげればよかったじゃない。アンジェリカと離婚して」
「それはできないな。離婚なんてしたら俺の評判に傷がつくだろ」
私は深いため息をつきそうになる。
可哀想なカーラ。どうか天国で安らかに居る事を願わずにいられない。
「全く村をウロチョロしやがって。素人探偵気取りかよ」
村長は私にゆっくりと近づき、銃口を向ける。やっぱり腰が抜けて動かない。もうダメだろう。
あぁ、最後に牧師さんに会いたかったし、聖書も教えて貰いたかった。
「助けて神様…」
日本語で呟いた。全くこんな時だけ神頼みをする典型的な日本人である事が嘆かわしい。
銃口がこめかみに突きつけられる。もうダメ!
死を覚悟した瞬間だった。
いくつかの足音と声が聞こえた。
「ふざけるな!このクソ男!」
プラムだった。
ゴツいブーツで蹴り飛ばし、村長は痛みでのたうち回る。銃も手から抜け、デレクがつかさず確保。
そしてプラムはロープあっという間村長を縛り上げてしまった。鮮やかで見事な手捌きだった。村長は何やらうめいていたが、全身を縛られてもう身動きは取れない。袋のネズミ状態であった。
夢かと思ったが、頬をつねると痛い。ギリギリのところで助かったようだ。神様が守ってくれたとしか思えないタイミングだった。
「マスミ、大丈夫?」
デレクに抱え起こされ、ようやく身体の震えが止まり立ち上がった。
アラン保安官、ジェイクやミシェル、牧師さんまでもきて村長は縛られたまま連行されていく。
「大丈夫だけど、私本当に助かった?」
本当に死ぬところだった。今生きている事実が奇跡みたいでちょっと泣けてくる。そして助けびきてくれたプラムが一瞬王子様の見えるようカッコ良かった。
「本当、ホッとしたよ」
牧師さんはあまり心配していないようで、ちょっと笑っていた。
「神様って本当に居るかもしれない…」
私が、事件の解決した嬉しさと助かった安堵で、もうそうとしか思えなかった。牧師さんの呑気な笑顔を見ながら、今生きている事を強く実感していた。




