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豪奢な檻に、見当違いの嫉妬

 ワタツミが去ったあと、駆け寄って来た女がナオを立たせて、残された服を裸身に巻き付けた。

 ナオが自身の服の他に唯一知っている、ロウが身に着けていたものよりも裾の長い服。ワタツミが羽織っていたときは膝にかかる程度の長さだったそれは、小柄で痩せたナオの身体を足首まで隠す。


「……」


 動きづらい、とむくれるナオを押さえつけて女は帯を巻いて行く。そしてその一枚で終わらず、袖が引きずるように長い合わせのある服や、飾り帯を腰に巻き付けていく。


 色の異なる麻を織って作られたのだろう帯は、二周三周してもまだ地に着きそうな長さがあった。女がそれを垂らしたままにすることから、ナオの腰が細すぎるせいではないようだ。


「できました。とても、お似合いですよ」


 最後に首飾りを服の上に引っ張り出して、女は満足そうだ。

 反対に、ナオはずるずると長い衣に戸惑いながら、不満げな顔をしている。


「…………」

「諦めてしまったほうが、あなたのためになるかと」


 首飾りをつけたままのナオの口からは何の音も出ないけれど、恨みがまし気な顔を見た女には言いたいことが伝わったらしい。

 目を伏せて言い聞かせる女に、ナオはますます口をへの字にする。


「粥が煮えるまで、まだかかりますから」


 ナオが出かけている間に、女は火を熾していたらしい。

 小屋の横手で湯気をあげる鍋からほど近い場所に、女がむしろを敷いた。

 長い衣に身動きの取れないナオの手を引いてむしろに座らせ、女は櫛を取りだす。


「長さは申し分ないのに、ずいぶんと潮で焼けてしまって。それにひどく絡まって……。あなたの家族は櫛のひとつも持たないのですか」

「…………」


 挿したそばから動きを止めた櫛に女がぼやく。

 ナオは反論できず、おとなしい。

 けれど胸のうちでは「いつかたくさん魚が採れたときには、きっとナオのために櫛をもらって来よう」とロウは言っていたのだ、と思い返していた。

 それがいつになるかはわからないけれど、ロウがくれた未来の約束がナオにとっては大切だった。


 櫛を入れては引っかかって手でほぐすことを繰り返すうちに、粥はすっかり煮えたらしい。

 解きほぐしたナオの髪を手早く結い上げて、あちこちに貝で作った飾りをつけた女は、粥を碗によそう。一緒に火で炙っていた魚の串を添えてナオに差し出す。


 アワやヒエの混ざる米の粥と焼いた魚の飯のおいしさにナオが目を丸くしていると、坂を上ってくる音が聞こえた。


 足音というよりも、するすると何かを引きずるような音。

 聞きなれない音に顔を上げたナオは、そこに若い女の姿を見た。


「あなたが、ワタツミさまの連れてきた娘ね?」


 豊かな黒髪を波のようにうねらせた女は、何人もの付き人を従えてナオを見下ろす。


「おかしな瞳」


 吐き捨てるような物言いに同意の感情を抱きながらも、ナオが傷つくことはない。

 それがロウからもたらされたものでない限り、ナオの心に響きはしない。


 ナオが気にしたのは女のことばより、女の装いだった。

 その衣服はゆったりとしていて、立ち働くのに向いてはいない。

 他の者たちと違い布の多い服を着ていることから、ワタツミのような相手だろうかと、警戒を抱いた。


「?」


 武器は持っていない。

 女を見上げて、ナオは首をかしげる。両手には魚の串を持ったまま、口いっぱいに熱々の身をほおばった。次いで、椀の中身をすする。もちろん、手にした串は離さないままだ。

 

 飢えた獣のようなナオの振る舞いに、女の額に青筋が浮いた。

 己の声かけに返事をしないのにも、腹が立ったのだろう。加えて、ナオの装いが自分よりも豪奢なのが、女の気に障った。


「返事をなさい!」


 ぴしゃり、と言いつける女に答えたのは、ナオではなかった。


「お許しください、ナムラさま。この娘はワタツミさまより、音食(おとはみ)の珠を賜っております」

「ワタツミさまから?」


 ひざまずいたナオの世話女が顔をあげないまま告げたことばに、ナムラの声から険しさが消える。


 ナムラはワタツミの妻になるため、よその集落からやってきた女だ。

 勢いのあるワタツミの一族と縁を取り持つために選ばれたという自負があるため、気位が高い。それを理解して告げた世話女の発言は、ナムラの不機嫌をやわらげたものの、完全に取り払うには弱かった。


「ふうん。ワタツミさまから直々に、賜ったの」

「…………」


 島長の妻になるためにやってきてひと月。あちらこちらへと船を出し忙しくしているワタツミとゆっくり過ごす時間を取れずにいるナムラは、自分より先にワタツミから飾りをもらったという小娘に嫉妬した。


 たとえそれが呪いの珠であったとしても、ナムラの豊かな胸に湧いた苛立ちを打ち消すには至らない。


 ぱしん、と軽い音がしてナオの片頬が赤く染まる。

 ナオは衝撃で口のなかの物をごくん、と飲み込みながら、叩かれたのだ、と気が付いた。


「あの方の妻はわたくしです。お前など、この離れ小島で飼われる愛玩動物に過ぎないのだと、覚えておきなさい。珍しい瞳の色をしているから、一時の情けをかけられたのだと」


 冷たいことばに、ナオはぱちぱちとまばたきを繰り返す。

 ぱく、と開けた口が音を発することを許されたなら「そんなのいらない」と火に油を注いでいただろう。

 幸か不幸か、ナオのことばは呪いの首飾りに食われて消えた。


 叩かれたお返しに引っ掻いてやろうか、とも考えたナオだったが、身にまとう衣が邪魔で立ち上がるのが億劫だった。

 結果として、ワタツミの望む野蛮な口を聞かないおとなしい娘として、ナオはナムラの前で振舞うこととなる。


「せいぜい、この何もない島でワタツミさまを待ち侘びていると良いわ」


 ゆったりと顔を巡らせたナムラは、勝気な笑みを残して去っていく。

 頭を下げたまま見送る世話女の横で、ナオが赤くなった頬をひとつかいた。


 遠ざかる女の背にべ、と舌を出したナオはすこし冷めた粥をすすって、恋しいひとの温もりに思いをはせるのだった。

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