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軽やかに地を駆ける少女に、枷を

 揺れない、軋まない小屋のなかで、ナオは床に丸くなって布をかぶって寝た。

 女は「寝床で寝ないのか」と言いたげな視線をナオに向けていたけれど、何も言うことはなかった。


 迎えた朝。日の出前に起きたナオは、離れたところで眠る女を起こさないように小屋を抜け出した。

 軋まず、揺れてもいない床のうえを足音もなく歩くことなど、ナオにとっては造作もない。


「あっちが、泉。こっちが、海」


 小屋の前に立ったナオは右を向き、左を向き、ちいさくつぶやく。

 海側の見える範囲に、船はなかった。きっと、ワタツミが乗っていってしまったのだろう。

 いちばん近い島は見える距離にあったけれど、ナオは泳げない。泳ぎ方を知らないし、水に浸かって胸の血が落ちれば嫌なものが来ることも、わかっている。


「海を渡るには船がいる」


 ふむ、とうなずいたナオは小屋を背にして正面に足を踏み出す。

 踏み固められた道のない、草むらだ。


 ざく、と踏みしめた草がはだしの足の裏をくすぐる感触に、ナオは口元を緩める。

 ざく。もう一歩進めば、尖った石が足の裏をじくりとえぐる。

 それでも、はじめて踏みしめる大地は面白く、次第にナオの足取りは早くなっていく。


「草、草、木! 岩、石、あっイタドリ!」


 数少ない名前を知っているものを呼びながら、ナオは島を駆け回る。

 ずっと筏のうえで過ごし、駆けまわるという経験もないナオの息はすぐに切れて、それでも脚を止めず島をぐるりと回った。


 ロウと暮らした筏よりもよっぽど広いとナオは感じていたが、付近で暮らす者たちにしてみればずいぶんとちいさな島だった。

 小屋と泉と海辺の岩場。それ以外には何もなく、島長の不興を買ったものを閉じ込めるためだけの島。


 ひととおり島を巡ったナオは、今は抜け出せないと理解して小屋に向かう。

 ナオが駆け回る間に陽は水平線を白く染め、朝の光が島を包む。

 それほど長い時間、小屋を出ていたわけではないが、女が小屋の外で顔を青くしていた。


 けれどそれは、ナオが逃げたと案じてのことではない。

 目の前に立つワタツミに怯えているのだ。


「ああ、そこに居ましたか。どうです? 島は気に入りましたか」

「……ロウがいないなら、どんな場所だって意味がない」


 吐き捨てるように言って近寄るナオに、ワタツミは楽し気に笑う。


「相変わらず、かわいげのないくちですね。そんなあなたにいい物を持ってきましたよ」

「?」


 そう言いながら、ワタツミは懐に手を伸ばした。

 ゆったりした動作と男の目にどう猛さが無かったこと、その手が向かう先が腰の刀でなかったことからナオは油断していた。


 黙って見守るナオに、ワタツミは取りだした首飾りをかける。

 きれいな貝殻を連ねた首飾りはナオの首に収まって、しゃらんと澄んだ音をたてた。


「それは……!」


 美しい首飾りだ。

 だというのに、それを目にした女は青ざめた顔を強張らせる。

 女の反応に不審を抱いたナオは「どうしたの?」と問いかけようとした。


「……?」


 声が聞こえない。

 ナオの口はぱくぱくと動くのに、そののどから出た音が空気を震わせることはなかった。


「っ!? っ!!」

「はは。静かで良いでしょう。あなたは品のない口をききますからね。音を奪わせてもらいました」


 取り乱すナオを嗤って、ワタツミが手を伸ばしたのはナオの首に下げた首飾りだ。

 連なる貝の中央に鈍く光る青黒い勾玉を撫でて、ワタツミはナオの目を覗き込む。


「音を食う勾玉です。私たちの一族に伝わる秘宝なのですよ。あなたのくちがその顔と同様にかわいらしくなるまで、貸しておいてあげましょう」

「っ!! っ!!!」


 憤怒に燃える黄金の瞳に反して、ナオの口からはその怒りがかけらさえもこぼれはしない。

 その様を愉快そうに眺めたワタツミは、ナオから目を離さないまま女に声をかける。


「船に食糧を乗せてきました。下ろしてきなさい」

「はい!」


 船、と聞いたナオが顔色を変えて、女より先に駆け出そうとする。

 けれど、駆けだすナオの身体に遅れをとって宙に残った首飾りをワタツミがつかんだことで、踏み出した足が空を掻く。


「っぐうぅっ!!」


 強い力で絞められることになったナオの首から、苦悶のうめきが漏れる。

 小走りに岩場へ向かおうとしていた女が立ち止まり、気づかわし気に視線を向けるのにも答えられず、ナオは首飾りを握りしめてのたうった。


「げっ、げほ! うえっ……」

「頑丈でしょう。千切ろうとしても無駄です。我が一族の血を引く者にしか外せませんから。今ので、あなたでも覚えられたでしょう?」


 吐きそうなほど咳き込むナオに、ワタツミはにこにこと親切ごかしに話しかける。

 ついでのように空いた手で女に行くよう急かして、ワタツミは握りしめていた首飾りから手を離した。


 どさり、と土のうえに崩れ落ちたナオは、痛みと苦しさで立ち上がれない。

 振り返り、振り返りしつつ女の姿が消えたころ、ワタツミはナオの服の帯に手をやり無造作にほどいた。

 帯を放ったその手が、ナオの身に着ける服を剥ぎ取る。


「っ!?」


 朝日の元に裸体をさらされて、ナオはとっさにか細い腕で自身の身体を抱きしめた。

 羞恥心からの行為ではない。ロウの前で裸をさらすなど、ナオにとっては日常だ。

 けれど、今目の前にいるのがロウではないということが重要だった。


 俺だけのナオでいて。ロウのことばを守ろうと、ナオは獣のように四肢を地につき、黄金の瞳をぎらつかせてワタツミをにらみ上げる。

 威嚇のためのことばを発せないナオは、代わりに歯茎をむき出しにしてワタツミに唸り声を向けた。


「まったく、野生の獣ですね」


 ナオの裸体になど興味なさげにため息をついたワタツミは、肩に羽織っていた服を脱いでナオに投げる。

 ばさりと落ちた服が白く細いナオの身体を隠した。

 

「あなたは口も野蛮で、行動も粗暴だ。それでも着て、早々にひとに成りなさい。あなたがしおらしさを覚えたなら、あるいは聖女の異能が開花したなら、わたしの妃として表に出してやりますよ」


 言って、ワタツミはナオに背を向ける。

 戻ってきていた女が慌てて膝を折るのに「着せつけてやりなさい。しばらく、空けます」と告げて男は去って行く。


 その背を追いかければ船がある。

 わかっていて、ナオは立ち上がることができないでいた。


 船を奪うには男を倒す必要があることもまた、わかっていたからだ。

 ナオは地に四肢をつけたまま、いつまでも男の背をにらみつけていた。

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