欠けた半身を求めて、少女は歩き出す
事の顛末をアカから聞いたナオは、驚きと呆れの入り混じった声をこぼす。
「あたしなんかいなくても、しっかりやってるじゃない。あのひと」
聖女としてそばに立ってほしいなんて言っていたのに、とぼやくナオに、アカが苦笑する。
「王になって最初に、お前たちの安否を確かめに俺を走らせたんだ、あのかたは。民のため、国のためとおっしゃっていたが、お前たちを助けたいがために精いっぱい足掻いたのだろう」
「ふうん」
興味なさげに頷くナオのくちもとは、本人も知らないうちに緩んでいた。
それを横目に見て、アカはくすりと笑う。
「なに?」
「いいや」
楽し気なアカは、ナオとロウを乗せた馬の手綱を引いて歩く。
未だに目を覚まさないロウが落ちてしまわないよう、自身の身体に括り付けたナオは、それでも足りずに前に座らせたロウの身体を両腕で抱きしめた。
「そうだ。お前たちをここに連れてきた男たちも、無事だよ。ばばさまが、うまいこと女王に言って男たちをかくまっていたから」
「ふうん」
アカの乗って来た馬に揺られて、ナオとロウは国のそばまでたどり着いた。
池に近い国の端にまで、以前の静まり返った空気とは違ってそこここであげる楽しげな声が聞こえて来る。杭に囲まれた国のなかは見通せないけれど、ひとびとの活気は明るい陽光によく似合っていた。
それを離れたところから眺めていたナオは、囲いのなかから荷馬車を引いて戻ってきたアカに気づいて立ち上がる。
「姫巫女にあいさつのひとつもしていったらどうだ」
ロウを荷台に乗せながら、アカが言う。
国を気にしながら問うアカは、荷馬車を取りに向かうときにナオが「あたしたちのことは誰にも言わなくていいから」と頼んだことを守ったらしく、杭に囲まれた国のなかから誰かが出てくる様子はない。
あれこれと気を回すアカに、ナオは笑って首を横に振る。
そこに浮かぶのは晴れやかな笑顔だ。
「いいの。タハルには、ロウとふたりで会うって決めてるから」
「そうか……なら、行こう」
「うん」
馬を操れないナオに代わって、アカが御者台に登る。
国の裏手にある池のほとりをずっと進める道があると言い、馬車は国に背を向けて歩き出す。
馬車の荷台で、ナオは膝にロウの頭を乗せて揺れに身を任せる。
波の揺れとはまた違うのだな、と思いながら、ナオは声をあげた。
「ねえ、アカ。どうしてあんたはあたしたちを助けてくれるの?」
詰問ではない。
ただ純粋に、不思議に思う気持ちからこぼれた問いだった。
答えはすぐに返らない。
車輪の音だけが、がらがらと響く。
ナオはロウの寝顔を見下ろしながらその音を遠く聞く。
「……はじめは、偶然だった」
アカのつぶやきは、返事というにはずいぶんと間を明けてから落ちた。
ロウに見とれていたナオが、自分に向けられたことばだと気づかなかったほどだ。
「俺はもともとあの国に居たんだが、聖女に固執するひとの姿や、呪われたサンギを救わない国に嫌気がさして国を出たんだ」
かつて国に居た頃のつながりでロウを女王のそばに置くことができたのだ、とアカは語った。「ばばさまには感謝しなきゃなあ」とぼやきながら続ける。
「あちこちをふらふらしてる途中で、浮浪児が赤ん坊を拾っているのを見かけてな。近寄ってみれば、お前さんの瞳が聖女さまそっくりだったから」
「そう」
ここでも聖女が出てくるのか、とナオはすこし面白くない気持ちになった。
聖女の力を目の当たりにしたいま、彼女の力と良く似た自分の瞳を好ましく思う気持ちはある。けれど、聖女そっくりの容姿ばかりを挙げられるのは、やはり気に食わないとくちを尖らせる。
馬車を操るアカは、後ろで不満げにする少女に気づかないまま、懐かしそうに過去を語る。
「聖女さまに返せなかった恩を返せたら、と思ってロウに声をかけてるうちに、情が移ったんだろうなあ。お前さんたちが育っていくのを見守るのが、楽しみになっていたんだ」
「……そう」
ナオはロウの前髪をそっと手で梳いた。
未だ目を覚まさないロウだけれど、その身体は確かに暖かい。ゆるやかに上下する胸が、彼が生きていることを知らせている。
そこに宿る命と、自身の命を見守ってくれていたひとがいたことに、ナオの胸が暖かなもので満たされる。
ずっと筏で過ごしていたナオはアカと直接会うことはなかったけれど、思い返してみればほかのどの村人よりも彼の赤い髪色を浜辺で見かけた記憶がある。
(あたしたちのことを気にして、うろうろしてたんだ)
村に居場所がないせいでうろついていると思っていた相手が、自分たちを心配して歩き回っていたのだと知って、ナオはくすくす笑う。
「なに笑ってるんだ?」
「なんでもなーい」
ふしぎそうなアカに笑いながら答えてナオは目を伏せた。
膝で眠るロウの前髪をさらりとかきあげ、穏やかな寝顔にささやくように語りかける。
「ロウは、アカの気持ち知ってたのかな。あたしの勘違いを話したら、笑うかな」
愛しいひとの笑顔を思い浮かべて、ナオは微笑んだ。
池を過ぎ、丘をぐるりと回った馬車は木漏れ日に満ちた山道を進んでいき、やがて木立を抜けた。
タハルのおさめる国がちいさく見える。国のある一帯を一望できる景色を眺めながら、ナオは心地よい風に長い黒髪を遊ばせる。
別れ道に差し掛かったところで、アカが馬車の速度をゆるめる。
車輪の音の合間を縫うように、アカがふとくちを開く。
「なあ、どこから探しはじめる?」
どこまででも、いつまででも付き合うぞ、と言いたげなアカの問いかけに、ナオは悩むそぶりもなく一点を指差した。
「あっち。ロウはきっと、あっちにいる」
細い指先が示すのは、広がる景色のその遠く。
タハルの国の横を流れる川をずっとくだった先だった。
隆起した地形のその奥に、ちいさく見えるのは海に面した湾。陽光を受けてきらめく海面が、きらきらと輝いている。
ナオと同じ景色を見つめたアカは、まぶしそうに目を細めた。
「あの海辺の村か」
ナオが指差したのは、ロウとふたりで暮らした海だった。
遠くなってしまったその地を見つめて、ナオはしっかりとうなずく。
「聖女はロウの魂が待ってる、って言ってた。ロウがあたしを待つんなら、あそこしかないでしょ」
「だなあ」
ちがいない、と笑ってアカは手綱を緩めた。
ふたたび回りはじめた車輪が、勢いを増していく。
はやく会いたい、と願うナオの心に寄り添うように、馬車は海辺の村へと急ぐのだった。




