激動の時、新たなる女王
縄を使ってアカに穴から引き揚げてもらったナオは、穴のふちにへたり込んだまま首を巡らせた。
ちいさな島の周囲は波のない水で満たされている。
広い池の周囲には木々が伸びあがり、葉をいっぱいに茂らせた枝が池のうえまで長く伸ばされていた。
「ここ……あの池のまんなかの島?」
ナオが池をおとずれたのは月のない夜だったため、見回したところで確信を持てない。
けれど、広い池の中央にちいさな島がある場所など他に知らないナオは、静かな水面に跳ねる陽光に目を細めた。
「ああ。お前たちを連れて来た奴らが、ここで見失ったと話していてな。来てみれば、確かに小舟は島にあるし松明の燃え残りも島のうえにある。おまけに島は血みどろだ。ここで何かあったに違いないと、水をせき止めて穴を掘ってみたんだが」
血にまみれた島の様子を思い出しているのか。眉間にしわを寄せて登ってきたばかりの穴を見下ろしていたアカは、ふとナオに視線を向けて顔を緩める。
「また会えて、本当に良かった」
その声はやさしかった。
本心から思っているのだろう、やさしい光を宿したアカに見つめられて、ナオはくすぐったいような気持ちになる。
つられて緩みそうになる頬を引き締めたナオが、すこし考えてくちを開く。
「あたしたちのこと助けたりして、女王さまに怒られない? あのひとたちも、心臓を持って帰れなくて怒られたんじゃ……」
男たちに同情するつもりはないが、女王の怒りの具合が気になったナオが恐る恐るたずねれば、アカは彼女の不安を吹き飛ばすようにからりと笑った。
「女王を怒らせたところで、もう怖くない。いまのあの国の王は、姫巫女だからな」
「姫巫女? タハル?」
「ああ。お前たちが池に向かった翌日にオウシさまが戻って、女王ともめてな」
*****
ナオたちが死者の国に落ちた翌朝、オウシは馬で駆け戻った。
そうとうに馬を酷使したのだろう。あまりにも早い帰国に出迎えの者たちは大いに驚いた。
けれどそれ以上に驚いたのは女王であり、オウシであった。
「母上! ぼくの聖女をどこへやったのですか!」
帰るなり、道中の汚れも落とさず自身の邸に戻ったオウシは、無人の自室を見て激高した。近くに控えていた娘たちはオウシの血走った目と怒りの形相に恐れ慄いたが、それすらもオウシの目には入らない。
衣を翻したオウシが一目散に駆け込んだのは、母親である女王の邸だ。
「聖女? あれはただ見目が似ているだけのまがい物よ。あなたには不要なもの」
いくつもの火を燃やす部屋のなか、薄衣をまとって寝床にしなだれかかった女王は、飛び込んできた息子に言い捨てた。
オウシに一瞥をくれた女王は、手にしていた椀を傾けて中身をあおると「ああ、よく効くわ」とつぶやく。
摘んできた花が枯れたから捨てた、とでも言っているかのように軽い女王のことばに、オウシの怒りが飽和した。
「母上……!」
うなるように言った彼は、腰の剣を抜き放つ。
「あなたは……いくつになってもぼくを一人前として扱ってくれない。かつては聖女がいれば、と言ってぼくに王位を譲らず、今度は聖女がまがい物だと……!?」
「オウシ、剣をしまいなさい」
不快げに告げた女王には従わず、オウシは抜き身の剣を構えて床を蹴った。
女王のそばに控えていた武装した男たちは、女王に剣を向けたとはいえ王子を切り払って良いものか悩んで、出遅れる。
その一瞬が、命取りだった。
女王に向けて大きく踏み込んだオウシが、頭上に振りかぶった剣を斬り下ろす。
「不要なのは、あなただ!」
「ぎゃっ!」
叫ぶと同時に斬りつけられた女王は、短い悲鳴をあげて寝床に倒れた。
左肩から右脇腹にかけて裂傷が走るが、肩の骨が刃を受け止めたおかげで傷は浅い。
流れ出した血に身体を染めながら、女王は這うようにして上体を起こす。
「は、反逆だわ! 誰か、オウシを捕えなさい!」
くちから泡を飛ばしながら叫んだ女王に武装した男たちが慌てて応え、武器を手に取る。
けれど、狭い部屋のなかで互いを気にしながら振るう剣は、オウシに弾かれ切り伏せられる。
「反逆だと!? ぼくはずっと母上の言うとおりにしてきたのに! ぼくを欺いたのは、母上じゃないか!」
女王の居室で起きた騒ぎを聞きつけて、国の民が大勢集まった。
手に手に剣や弓、槍や手近な刃物を持って集まった民たちだったが、なりふり構わず暴れるオウシと、血まみれで「はやく助けなさい!」と唾を飛ばす女王の剣幕に気圧されて、近寄る者はいない。
集まった民たちが邸の周りで幾重にも輪を作るそこへ、長い衣を引きずってしずしずと現れたのはタハルだ。
「姫巫女! 女王とオウシさまが!」
彼女の姿に気づいた民がすがるような声をあげるのに、タハルは険しい顔をしながらもしっかりと頷いて返す。
「わかっています。皆は手を出さないように」
大きくはないけれど、きっぱりとしたタハルの声は、群衆のなかに確かに響いた。
付近に立つ民たちが戸惑いながらも頷くのを見て、タハルは人垣に踏み込んだ。
タハルが進む先は、自然と人垣が割れていく。その後ろを影のように薬師のばばが追う。
「姫巫女だ……」
「タハルさま」
「太陽の姫巫女が来てくれた」
民たちのどよめきは、次第に安堵の響きをにじませはじめる。
さやさやとタハルの名が民の間に伝搬するのをよそに、女王の居室に辿りついた。
静まり返った部屋の外とは一転、オウシの叫びと女王の怒声、武器を取り落とし逃げ場を無くした男たちの悲鳴が満ちるその入口に立ち、タハルは背筋を伸ばす。
「母上、兄さま、なにをしておいでです!」
「タハル……」
いつにないタハルの剣幕に、オウシがハッとしたように剣を振るう手を止めた。
それを好機と見たのか、女王が金切り声をあげる。
「タハル! その男を捕えなさい! オウシはわたくしを斬ったのよ、王であるわたくしを、母であるわたくしを! 許されるわけがない!」
血走った目で叫ぶ女王に対し、タハルは冷ややかな目を向けた。
「あなたが王? あなたが母?」
たおやかなタハルから出たとは思えないほど、感情の無い声が放たれる。
驚きに目をみはる女王と動きを止めたオウシの視線を浴びながら、タハルはいっそう背筋を伸ばして凛と言い放つ。
「母とは子を慈しむものです。王とは、民のためにあるものです! わたくしはそのどちらも、あなたから感じたことはありません!」
「た、ハル……?」
「母上も兄さまも私欲のためにしか動かない。そのようなかたに国を、民たちを預けてはおれません。わたくしがこの国の王になります!」
おとなしく、病弱で、良いように利用してきた娘からの突然の宣言に、女王は呆然とするばかり。
それほどに、ひとびとを背負って立つタハルは気高く美しかった。
オウシもまた困惑のなかにあって、取るべき行動に悩んでいるうちに、タハルは素早く周囲に指示を飛ばす。
「この国は、太陽の姫巫女であるわたくしが治めます。ふたりを捕えなさい!」
「は、はい!」
集まったひとびとは、タハルのこれまでに無い厳しい物言いに慌てて従う。
怪我をした女王はくちでは騒いだが暴れる力は残っていなかったらしく、容易に捕まった。
寝床を血で染める女王に、薬師のばばが手当てをする。
あっけに取られたように立ち尽くしていたオウシは、自身が従えていた民に取り囲まれて、抵抗することもなく剣を渡して連れられて行った。
こうして、姫巫女は女王タハルとなったのだった。




