ずっと、待っていた
サンギのあとを追って飛び込んだ暗がりのなかにいたのは、ひとりの少女だった。
豊かな長い黒髪を背に流し、たよりなく細い首がちいさな頭を支えている。
もともと白い肌は生気を失っていっそう青白く、岩に腰かける姿は神霊かなにかのように、うすぼんやりと光っているようだった。
彼女の姿をはっきりととらえたサンギは、感極まったように歩みを遅くする。震えて力の抜けたその腕からずるりと落ちたロウの頭をナオは慌てて抱き止めた。
「聖女!」
「ああ、サンギ!」
駆け寄ったサンギの異形の頭におびえることもなく、聖女はゆるりと立ち上がって広げた両腕のなかに彼を迎え入れる。
サンギもまた聖女の肩に手を伸ばし、けれど彼女の細い肩に触れようとした手はためらい宙をさまよった。
「サンギ、ああ。わたくしを守るために、訃渦に呪われてしまうなんて……」
ほろり、と涙をこぼした聖女は、ためらいもせず異形の頭に手を伸ばし、細い指先でサンギの頬に触れる。
その手を恐れるように、サンギがよろめき後ずさる。
「聖女、サンギの呪い、知ってる……?」
「ええ、ええ。死したわたくしの身体を守るため抗って、訃渦に呪われたのでしょう。オウシさまに、わたくしが生き返って呪いを解くのを待つよう言われたのでしょう」
ほろりほろりと泣きながらサンギの頭をなでる聖女に、サンギは戸惑い黒目をぐりぐりと動かした。
「どうして? 聖女、見てた?」
「いいえ。死した身では地上を見ることはかないません。けれど、あなたはわたくしの亡骸のそばで泣いていたでしょう。その声をずっと聴いていました」
「じゃあ、どうして……どうして、生き返ってくれなかった……?」
ぼうぜんと立ち尽くすサンギのつぶやきに、聖女は悲しげに目を伏せた。
白い頬を透明な雫がこぼれて落ちる。
「わたくしが癒やしの力を持って戻れば、力に執着するオウシさまはまたおかしくなってしまわれるから……」
「だったらなんで、さっさと消えてなくなっちゃわなかったの?」
ぐすぐす泣く聖女に、ナオは苛立ちを隠さず言い放つ。
ロウの身体をそっと地面に横たえて、立ち上がった彼女は聖女の元へ大股で歩み寄った。
「あなたは……」
いままでナオの存在に気が付いていなかったらしい聖女は、ナオの視線を正面から受け止めて息を飲んだ。
聖女の瞳に映る自身がひどいしかめ面をしているのを知りながら、ナオはますます眉間にしわを寄せる。
「なに。同じ顔してるからって文句があるっていうの? 文句を言いたいのはむしろあたしのほう。あんたがあたしと同じ顔して何してたかなんて知らないけど、顔が同じだからって『聖女、聖女』っていろんなやつに間違われて、迷惑してるんだ、か……ら……」
ずっとため込んできた不満をここぞとばかりに吐き出すナオの頬に、聖女がそっと触れた。
細い指先が、ひんやりとナオの頬を包み込む。
「ああ、この金の瞳……わたくしの『姿』を持って生まれてくれたのですね」
そのつぶやきで、ナオは気が付いた。
同じ高さでナオを見つめる聖女の瞳は、黒い。
ワタツミやオウシが「聖女の瞳だ」と称し、タハルが「太陽の色」と言ったナオの黄金の瞳とは違っている。
そして、聖女がくちにした言葉もまた、ナオの心に引っかかる。
「あんたの姿? どういうこと。あたしはあんたなんて知らない」
「ええ。あなたはあなた。わたくしと関わりのないひとりのひととして生まれたはずです」
涙をぬぐった聖女に、ナオはくちをへの字にした。
「回りくどい言い方しないで。つまり、どういうこと?」
「あなたの胸に、痣はありますか?」
苛立つナオを愛おし気に見つめる聖女は、同じ年ごろのはずなのにどうしてもナオにはそう思えない。
その瞳をどこかで見たような気がして、ナオは苛立ちを抑えて彼女の目を見返した。
(……そうか、薬師のばばに似てるんだ)
少女である聖女と、年老いた薬師の姿かたちは似ていない。
けれどその瞳に宿る包み込むような優しさに満ちた光に、見覚えがあった。
それを慈愛と言うのだとナオは知らないけれど、心を許した相手と似た優しさを宿す聖女の瞳に、すこしだけ苛立ちをおさめる。
「痣なら、ある。あんたの死体にもあった」
「そう……あの痣が、わたくしの魂が死者の国の底へ下るのを許さないのです。そのせいでわたくしは十四年間もこうして、道の途中で過ごすことになりました。サンギにも、長く苦しませてしまいました」
言って、聖女は横にしゃがんだサンギの頭をなでた。
うれしそうなサンギを見つめる聖女の瞳は、申し訳なさそうにうるんでいる。
「わたくしの亡骸に刻まれた痣は、わたくしの魂を縛りました。けれどいかなる秘術を用いても生き返ることのないように、とつながりを絶ち切ったわたくしの『姿』は、新たな命を得るべく死者の国の底へ向かったのです。それが、あなた」
見つめられて、ナオは自分の身体を見下ろした。
貧相で、頼りなくて、けれどロウが好きだと言ってくれたナオの身体。
「……じゃあ、あたしは『聖女』じゃないんだね? あたしは、ただのナオ」
「ええ。わたくしとあなたは別のひと。ただ、姿形が似ているだけの……」
どうしてか済まなそうにする聖女の前で、ナオはふにゃりと笑った。
安心して顔が緩んだナオを目にして、聖女が目を丸くする。
「力を、聖女の力を渡さなかったことを怒りはしないのですか?」
言われて、今度はナオが目を丸くした。
「そんなものいらない。あたしがロウとふたりでいられればそれでいい。聖女の力なんか持ってたら、それこそ変なやつらが寄ってきて大変なことになっちゃう」
「まあ!」
黒い瞳をきらきら輝かせた聖女が、ころころと笑う。
姿形はそっくりでも、笑い方は違うのだな、とナオはふしぎな気持ちで彼女を見つめた。
「本当に、あなたはわたくしとは違うのね。気持ちのいいひとだわ」
聖女のほうでもナオとの違いを感じていたらしい。同じことを思っていたのだと知って、ナオもくくっと笑う。
「そう。あたしは聖女じゃない。ワタツミもオウシも、ほんと目が節穴なんだから」




