異形の男と、聖女
死出虫と訃渦の消えた通路は、ひどく静かだった。
うす暗闇を満たしていた緊張が解けると、あたりの寒さが肌に染みるように感じられて、ナオはふるりと肩をふるわせる。
「聖女、寒い?」
目ざとく気づいたサンギが異形の首をかしげて、腹に巻いていた布に手をやる。
上半身裸の彼は、腰の毛皮を押さえるための布をナオに差し出そうとしていた。
サンギの行動を察したナオは、彼が丸裸になる前に声をかける。
「いいよ、あなたの服がなくなるから。あたしなら、ロウを抱きしめるから大丈夫」
変わらないサンギの親切に顔をほころばせたナオは、むしろ彼の軽装が心配になった。
「それより、あなた寒くないの? そんな格好で……」
言いかけたナオは気がついて、ことばを途切れさせる。
けれどサンギはナオの顔に浮かぶ悲しみに気づくことなく、異形の黒目をぐりぐりと動かして首をかしげた。
「サンギ、寒くない。ここ、静かでおちつく」
「……そう」
答えたサンギの肌の青白さから目をそらしながら、ナオはうなずく。
異形の頭ながらも遠慮を知るサンギの肌の色を間近で見た記憶は、ナオにはなかったけれど、今目の前にいるサンギの肌の青白さからは温度というものが感じられない。
その生気の無さと、樹海で最後に見たサンギの姿を知るナオは、彼がすでに死者の国に迎えられた生き物なのだとわかってしまった。
「……あの、さっきは助けてくれてありがとう。でも、あまり無茶しないでね。ここは……あいつらの巣みたいなものだと思うから」
ここは死者の国だから、とは言えずに、ナオはことばを濁らせる。
ナオのためらいに気づかないサンギは、自身が死んでいることを知っているのかいないのか。
異形の瞳をぐるぐる動かしてナオを見つめ、鋭い牙をむき出しにして笑う。
「サンギ、聖女を守る。サンギ、呪い解いてもらう!」
そのあまりの無邪気さに、ナオは息をのんだ。
自身を見つめる白目のない異形の瞳を見返せず、目を伏せながらナオはささやく。
「ごめんなさい、サンギ。あたしは聖女じゃ……」
ナオが意を決して聖女ではないのだ、と打ち明けようとした矢先。
サンギの鼻がひくひくと動いた。
続いて、ひとの身体に見合わない訃渦に似た頭がぐるりと回る。
「サンギ? どうしたの」
「匂いする……」
きょとんとしたナオが問いかければ、サンギは首を伸ばしたまま返事をする。
もしや死出虫や訃渦がまた現れるのか、と身構えたナオをよそに、サンギは鼻をひくつかせながらふらふらと歩き出した。
危なっかしい足取りのサンギは、うす暗い通路を下るほうへと進んでいるようだ。
「サンギ……?」
「これ、この匂い、聖女の力」
「え。待って、サンギ。待って!」
暗く湿った道をふらふらと下っていこうとするサンギに驚いて、ナオは声をあげた。
はたと立ち止まったサンギは、黒目をぐりぐりと動かして坂の下とナオとを交互に見て首をかしげる。
「聖女、ここ。でも聖女の匂い、向こうから」
ぐりぐりぐりぐり。どういうことだろう、と言わんばかりに首をかしげ目玉を回すサンギに、ナオは手招きをする。
「行くなら、あたしたちも連れて行って」
「聖女が、聖女探す?」
不思議そうに言ったサンギは、けれどかしげた首を戻すとロウの身体を肩にかついだ。
ひょい、とあまりに軽々持ち上げるものだから、ナオは目を丸くしてしまう。
ナオの腕では引きずって歩くことすらできなかった青年の身体をかつぎあげ、サンギはすたすたと歩き出した。
「あ、待って。置いていかないで」
「ん」
頼めばサンギは立ち止まって待ってくれる。
(やっぱりほかの男たちよりも、ずっとやさしい)
ロウの次くらいに信用しても良いのかもしれないと思ったナオは、ふとサンギと意思の疎通が取りやすいことに気が付いた。
「そういえばサンギ、ふつうに喋ってる」
異形の頭ゆえかたどたどしさはあるものの、サンギのことばはその口から出てナオの耳に届いていた。地上では唸り声を発し、頭のなかにことばを落としていたサンギの変化にナオは首をかしげる。
頭が訃渦に似ていることと、何か関係あるのか。
そう思いはしたものの、本人にたずねるのはためらわれてナオは黙々とサンギの後ろについて行く。
湿った岩壁の通路はときおり途切れながらも、どこまでも続いていた。
壁が途切れた箇所は暗く深い闇が広がり、ときおり横切る訃渦や死出虫の姿を横目に歩く。
道中、サンギは「のどかわいた」と岩のくぼみに溜まった水をがぶりと飲んだ。
「聖女も」
「……ううん、いい」
すすめられたナオも長く歩いたことでのどの渇きを覚えていたけれど、それ以上に身体が冷えて辛かった。
冷ややかな通路は下るほどに温度を無くしていくようで、ナオの裸足の足の裏がちくちくと痛む。
(死者の国の底にはなにがあるんだろう)
ナオは脚を止めないままそっと自身の胸に手を当てた。
冷えた手に、かすかな鼓動が伝わってくる。
(まだ、生きてる……あたしはまだ生きてるんだ)
死んでしまったサンギと、動かないロウを追って地の底にたどり着けば、いよいよ自分の心臓も止まってしまうのだろうか。
考えて、震えたナオは頭をふって拳を握った。
「サンギ、あたしは聖女じゃないの。あんたの探してる聖女はもう……」
ナオが言いかけたとき、前を歩いていたサンギが足を止めた。
気づいたナオが目を向けた先では、視界の暗さが一段と増していた。
道中、壁が途切れた先の闇よりはやさしく、けれど今までよりもいっそう濃い闇と冷ややかさが広がっている。
立ち止まったサンギは、その暗がりの奥をじっと見つめている。
ナオの目にはただ闇が濃くなり、近寄りがたさが増したようにしか見えないけれど、異形の頭を持つ彼の目には違うものが映っているのか。あるいは、死者の国に迎え入れられている彼だからこそ見えるものがあるのか。
「…………」
沈黙が空気の冷ややかさをいやでも感じさせる。
耐えきれなくなったナオがそろりと視線を動かしたとき、不意に、静まり返った暗がりのなかでなにかがきらりと光った。
かすかな、けれど木漏れ日に射す陽光のようにはっと目を引きつける光。
「なにが」
光ったものは何なのか。
警戒するナオの前で、サンギが強く地を蹴った。その肩にかつがれたロウの身体が力なく跳ねる。
「聖女! うぉおおうううぅるるぅ!」
弾んだ声に、抑えきれない唸り声が続く。
「聖女!?」
驚きながらもサンギのあとを追ったナオは、暗がりのなかに飛び込んだ。




