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聖女の生まれ変わりだと言われても、自覚も能力もない少女には迷惑でしかない  作者: exa(疋田あたる)
死者の国の章

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呼びかけに、こたえはない

 光射す地上には生者が暮らし、陽光の届かぬ地の底では死者が暮らす。

 ふたつの住処を明確に分ける壁はなく、けれど両者は互いの住処を行き来することはない。


 ないはずであったが、ナオは生きたまま死者の国へとやってきた。


 それを彼女が感じたのは、骨の髄まで冷えてしまいそうな暗がりから、不意に放り出されたときであった。


「ここが、死者の国……?」


 つぶやきとともに、白い息がこぼれる。


 ナオの周囲にあるのは、暗く湿った岩の壁だ。足元から頭上まで、切れ目なくつながる岩の通路がどこまでも続いている。

 ところどころ岩の窪みに水が溜まり、その周囲には苔が広がっていた。


 ひとが立って難なく歩ける程度の広さを保ったまま続く通路は、緩やかな坂になっているらしい。

 坂を下るほどに暗くなるようで、しゃがみこんだまま振り向いたナオは坂の上のほの明るさを見た。


 訃渦の口か、あるいは腹のなかよりは温度というものを感じる余地があるけれど、死者の国はずいぶんと冷える。

 その冷ややかさに、ナオは樹海の穴の底の空間を思い出した。薄明るく静けさに満ちた市の国は、横たわる聖女を何年も腐らせず、保ち続けたあの部屋のように冷え切っていた。


「ロウ、ねえ」


 抱きしめて離さずに済んだ愛おしいひとの身体を揺する。

 死者の国に来たのならば、きっと目を開けてくれるだろう。


 そう信じたナオの呼びかけに、答える声はない。

 

「ロウ?」


 ナオが自身の膝に乗る頭を揺すれば、ロウの頭は抵抗することなくぐらりと揺れて地面に落ちた。


「ロウ……?」


 地に転がるロウの顔は青白い。そこに生気はなく、触れた肌も大気と同じく冷え切っている。

 けれど、ここは死者の国だ。死者が暮らす国だというのならば、死者が目を覚ますはずなのに、とナオはその身体を揺さぶる。


「ロウ、ロウ! どうして? ここは死んだひとが暮らす場所なんでしょう? ねえ、起きてよ。ねえ、ねえ!」


 ナオの悲痛な叫びは洞窟めいた通路に響き、けれどこだますることはなくどこかに吸い込まれて消えていく。

 返らない声の代わりにナオの耳に届いたのは、地を這う六つ脚の不愉快なかすれた音だ。


「死出虫!」


 どこに隠れていたのか、黒光りする死臭にまみれた甲虫が岩壁の横と言わず天井と言わず、びっしりと寄り集まってナオとロウに迫る。

 逃げ道は坂の下の暗がりしか残されていない。


「ロウ、ロウ起きて!」


 叫びながらナオはロウの身体を引きずって歩き出す。

 駆けだしたい気持ちで踏ん張るナオだが、華奢な少女に自分より大きな男の身体を抱えて走れるはずもない。


 見る間に迫る死出虫の群れに、焦りと苛立ちをあふれさせたナオが叫ぶ。


「来るな! ロウはあんたたちなんかに食わせない! あたしのだ!」


 叫んだ拍子に、振り乱した髪がほどけて落ちたのは、薬師のばばに渡された短剣だ。

 冷え切った地に落ちた短剣が、ナオの瞳のように黄金に光る。


 途端に、ロウの肉に群がろうとしていた死出虫の足がにぶる。


「これ、(まじな)いをかけたって……」


 異国の呪いなど、ナオは知らない。

 闇を祓う呪いだ、と言っていた薬師の老婆がどのような手法で作ったものなのかなどわかりはしないが、手渡すときに老婆が言ったことばは覚えていた。


「あのひと、ふたりで逃げろって言ってた」


 隙を見て命を絶てとは、言わなかった。

 それはつまり、ふたりがともに生き延びることを願ってくれたということ。


「……ぜったいに、ロウと離れないから」


 他者からもらった未来を示すことばが、ナオの背中を押す。

 ロウを背にかばったナオは、短剣を拾って死出虫をにらみつける。


「蹴散らしてやる。あたしからロウを奪うものなんて、ぜんぶ蹴散らしてやる!」


 威勢良く叫んだナオは、掴んだ短剣を振り回す。

 刃物など、魚をさばくときくらいしか使ったことのない少女の武器さばきはめちゃくちゃだ。

 それでも短剣に込められた呪いの力のおかげで、寄ってくる死出虫を追い払うことはできた。


 しかし、それも長くは続かない。


「もう……もう、来るな……来ないでよぉ……!」


 短剣を振り回す腕はしだいに疲れ、動きを鈍らせる。

 口からこぼれる威嚇の声にも勢いはなく、泣き言が混じり出す。


 だというのに、死出虫のほうは変わらず湧いて出る。

 切り捨てられても切り捨てられても絶え間無く迫り来るちいさな虫に、ナオは息を切らしてへたり込む。


「来るな、来るな!」


 くたびれて座り込んでも、ナオは腕を止めない。

 けれどそんな少女の足掻きをあざ笑うように、死出虫の群れの影から巨大なひれがずぶりと持ち上がる。


「うそ……なんで訃渦が」


 呆然とつぶやいたナオの声が聞こえたかのように、異形のひれは暗く湿った岩肌の影を縫って少女に迫る。


(来ないでっ!)


 願うと同時に目を硬く閉じたナオは、けれど諦め悪く短剣を前に突き出して衝撃に備えた。


「…………?」


 覚悟した衝撃はいつまでも来ない。それどころか、この機を逃さず群がるはずの死出虫さえも、寄ってきていない。


「なに……」


 おそるおそる顔をあげたナオは、目の前に立つ誰かの背中に気がついて瞬きをした。


 ナオを背にして、誰かが訃渦を蹴散らし死出虫を粉々にしている。

 巨大な顎を持つ訃渦に喰らいつき、死出虫を打ち砕くそのひとは、ひとの手足に異形の頭を持っている。


 がちがちと牙を鳴らし、自分よりも大きな訃渦を食い削るその姿に、ナオは見覚えがあった。


「サンギ……!?」


 ナオの呼び声に応えるように、異形の頭をした男が「うおおぉぉ!」と吠える。

 吠えざま、訃渦の首に食いついたサンギは、頭を大きく振って死の国の化け物の身体を地面に打ち付けた。


 訃渦の巨体と硬い岩壁に挟まれた死出虫が、ぼろぼろと形を無くして砕けて消える。

 サンギに振りたくられた訃渦もまた冷たい地面にぐったりと身体を倒し、湿った岩肌に溶けるように沈み込んでいった。

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