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待ち人は間に合わず、少女は連れ去られる

「はあっ、はあっ、はあっ……んっ」


 手繰り寄せるうち不意に縄が軽くなって、顔をあげたナオは男が自ら泳ぎこちらに向かっている姿に気が付いた。

 縄を腕に巻き付けて、暗い海を浮き沈みしながらも確実に近づいている。

 その影が筏にたどり着くのを見届けて、ナオは背後の小屋に駆け込んだ。


 打ち付ける雨が、筏にはじけた波がナオの身体をじっとりと濡らし、長い髪の毛を雫が伝う。

 ぐわん、と筏が揺れた拍子にこぼれる雫が床を小屋の床を濡らすけれど、それに構う余裕はナオになかった。

 乱暴に扉を閉め、濡れた服の胸元を引っ張り覗き込む。


「ああ、消えてない」


 息をついたナオの痩せたみぞおちには、ロウが塗り付けた血が赤黒い染みになっている。

 濡れた服が張り付いたせいで赤黒い色はすこし薄れてしまっていたけれど、そのしたにある痣を隠すにはじゅうぶんな濃さを残している。


 ほっとしたのもつかの間、小屋の扉が無遠慮に開かれた。


「呆れるほど何もない小屋ですね」


 暗い小屋の中を見回すなり、呆れたように言ったのはナオが縄で引きあげた男だ。

 さっき筏が揺れたのは、こいつが這いあがってきたからか、とナオは油断なく男をにらむ。

 濡れた長髪が張り付くのをうっとおしげにかきあげて、男はずかずかと小屋に入って来た。遠慮などする気はまったくないらしい。


「盗る物なんかここにはないから。おとなしくしてるなら、嵐がやむまで部屋のすみにいさせてあげる」


 舐められてたまるか、とナオはことさら声を強めた。

 男はロウよりも背が高く、身体もがっしりとしている。そこから見下ろすナオはさぞちっぽけだろうと思いながらも、ナオは目に力を込めて相手を見つめた。


 それがいけなかったのだろうか。


「……おや」


 興味なさげにナオを見下ろした男が、わずかに眉をあげる。

 かと思えば、大きな一歩を踏み出した次の瞬間、男はナオの前髪をつかみあげていた。


「いたっ!」

「おやおやおや」


 痛みに悲鳴をあげるナオに構わず、男がうれしげに笑う。

 間近で見下ろしてくる男の目に、金の光がちらついてナオは息を飲んだ。


(見られた!)


 とっさに隠そうと持ち上げた両の手は、男の片手で簡単に掴まれてしまう。

 顔を隠すことも身じろぐこともできないナオの顔を覗き込んで、男がにやりと歯を見せて笑った。


「黄金に輝く瞳。太陽の目。かつてその目を持った聖女がいたと聞きましたが、あなたですか?」

「なに、それ! 聖女なんか知らない。いいから離せよ、この手を離して、どっか行け!」


 男の質問の意味がわからず、ナオは唯一自由になる脚で男を蹴りつけて叫んだ。

 必死に脚を振り回すナオだけれど、いくら蹴っても男に効いている様子はない。わずかに眉を寄せ不快げな顔をするばかり。


「いいえ、聖女は何年も前に死んだはず。ならばこのような子猿めいた容姿であるはずがない。ならばあなたは……」

「離せ! 離せ、離せっ」


 ぶつぶつとつぶやく男を相手に必死で暴れていたナオは、唐突につかんでいた手を離されて床に転がった。


「いったぁ!」

「まったく、やかましい子猿ですね」


 ため息をついた男は、打ち付けた痛みに動きのにぶったナオを手早く縛りあげる。ナオを縛る縄は、暇を見てはより合わせて作り上げ、小屋の隅に積んであったものだ。


「なっ、なにすんだ!」


 腕と胴体とをまとめて縄で巻かれてしまったナオは、床に転がったまま男をにらみあげた。

 けれど男はすでにナオを見ておらず、小屋にあるわずかな衣服や大切な保存食を手に取っては眺めて肩をすくめる。


「本当に、なにも無い。このような場所で暮らすと、そんな貧相な身体になるのでしょうかね」

「うるさい! はやく出てけよ、ここはあたしとロウの家なんだ!」

「うるさいのはどちらですか」


 しゃん、と澄んだ音を耳にしたナオは、目の前にぎらつく小刀に息を飲んだ。

 暗い夜のなか、冷たい金属の光がナオの瞳を映して昏く輝く。


「私は島に戻る手だてさえあれば良いのです。邪魔な付属品は切り捨てて海に捨てることもできるのですよ」

「…………」

「そうそう。そうやって静かにしていたなら、手土産に持ち帰ってやりましょう」


 緊張に汗をにじませるナオとは裏腹に、男は軽く言って刀をちらつかせる。

 ナオがすっかりおとなしくなったのを見た男は、刀を腰のさやに戻してナオを縛る縄をつかんだ。

 

「いたっ」


 ぎり、と食い込んだ縄の痛みに呻くナオに構わず、男はナオを引きずって小屋の外に出て行く。

 雨はいつの間にか小降りになっていたが、波は高さを増していた。

 いよいよ嵐が近づいているらしい。


 筏を係留している縄が濡れ、波に引かれてぎしぎしと軋んだ音を立てている。

 そのそばまでナオを引きずって歩いた男は、無造作に腰の小刀を抜くと縄を切り捨てた。


「なっ、あんた、なにを!」


 驚いたナオが叫んだときには、縄でつなぎ留められていた筏は波に乗って大きくうねっていた。

 ぐらん、と揺れる筏のうえ、縄で戒められて身動きの取れないナオは海に落ちそうになる。


「ひっ」


 暗い水面におびえた身体を引き寄せて、男が嗤う。


「言ったでしょう。私は島に帰ります。嵐に遭ったのはついていませんでしたが、聖女と同じ色の目をした餓鬼を見つけるとはね。安心なさい、あなたはちゃんと持って帰ってやりますよ」


 ナオが呆然と目を見開いたとき、風に乗って届く声があった。


「ナオーーー!」


 男の腕を振り払い顔をあげたナオは、荒れる波の合間に小舟を見た。

 遠く、波に半ば飲まれかけながら進む小舟は、今にも闇夜に消えてしまいそうだ。

 けれどナオは、そのうえに確かにロウの姿を見た。


「ローーーウ!!!」


 声の限りに叫んだナオの背後で、くすりと空気をくすぐる笑いが落ちる。


「あれがこの小屋の主ですか? 今にも嵐に食われそうだ」

「そんなことない! ロウは、強いんだ! ロウはぜったい海になんて負けない!」


 ぎり、と強い眼差しでにらみつけるナオに、男はうるさそうに髪をかきあげた。そしてその手で、ナオの首を握りしめる。


「あっ、ぐ、うぅっ!」

「うるさくするなと言いましたよ」

「あ……」


 空気を求めてはくはくと動いたナオの唇は、けれど首を締め付ける指に呼吸を許されず力なく開いたまま動きを止めた。

 静かになった少女の身体を筏のうえに投げ落とし、男は小屋のなかで見つけた適当な棒で波を漕ぎ出す。


「あなたの男がどれほどのものでしょうね。私はワタツミ、海の神の名を冠する男なのですよ」


 笑うワタツミは雨に打たれるのを気にも留めず、力強く波を漕いで湾を出て行く。途端に、勢いを増した波にちっぽけな筏がぐわり、と持ち上げられるが、ワタツミは慌てるどころか楽し気に唇を歪めた。

 

 海は彼の狩場だ。

 荒れ狂う波を飼いならすことこそ、彼の喜びだった。

 嵐に巻き込まれ危うく死ぬところであったけれど、こうして生きているのが何より己の強さを表しているのだと、ワタツミは機嫌よく広い海に向かっていく。


 存外しぶとく付いて来た「ナオ、ナオ!」という声は、やがて風に呑まれ波の音にかき消され聞こえなくなった。


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