抱いた希望は、打ち砕かれる
ひとりきりの部屋で、ナオは久しぶりに見たロウの姿を思い返していた。
(笑顔は見られなかったけど……でも、あんなきりっとした顔のロウも、かっこいい。髪の毛整えたところも良かったな……でも、いつもの無造作なぼさぼさ頭もかわいいんだけど)
思い出すだけでナオの顔はゆるむ。
(ロウってば、きっちりした格好も似合うんだ。いいもの見たな。でも、いつものよれた服だと胸板とか膝とか見えてて、あれはあれでかっこいいんだよね。あの服持って帰れないかな。どっちのロウもすごく良いもん)
それを指摘する者もいないため、ナオの思考はますますロウでいっぱいになる。
(それに、あの低い声! あんな声はじめて聞いた。低くて落ち着いてて、どきっとしたなあ。今、ロウが外にいるんだよね。誰かロウに話しかけないかなあ)
わずかな期待を抱いて、ナオは狭い窓から外を見回す。
部屋を取り囲む男たちの姿は見えたけれど、そこにロウはいない。部屋からは見えない位置に立っているのだろう。
少しの落胆と、見えないけれどロウがすぐそばにいるのだ、という喜びでナオの胸はいっぱいだ。
寝床に腰かけては窓をのぞきに立ち上がることを繰り返し、そわそわどきどきしているうちに、日が落ちた。
夕暮れの空の色がすっかり闇に呑まれてしまうころ、ナオの部屋に娘たちがやってきた。
部屋のすみで燃えている木を足しに来たのだろうか、と眺めるナオを取り囲んだ娘たちは、ことばを発さないままナオの衣服を剥ぎだした。
「なに? 着替えるの?」
「…………」
問いに応えはなく、けれどあっと言う間に着ていた服は剥ぎ取られ、着せつけられたのは両腕とひざがむき出しになる簡素な服。
「ああ、動きやすい」
久しぶりに長い衣から解放されたナオは、ひとつに括った髪に触れられなかったことにほっとしていた。
長い黒髪のなかに、薬師のばばからもらった短剣を隠していたのだ。娘たちが髪にまで手を出したらどうしよう、と思っていたけれど、ナオを着替えさせた娘たちはそのままナオを囲んで外に連れ出す。
「どこへ行くの?」
「…………」
訊ねてもやはり答えはなく、明かりを持った娘について邸を出たところでナオは男たちに囲まれた。
部屋の外で見張りに立っていた男たちだ。何人かの顔に見覚えがあったナオは、そう確信してそうっと視線をさまよわせる。
(ああ、ロウがいる)
暗がりのなか、炎の色に赤く照らし出される愛おしい横顔を見つけて、微笑みそうになったナオは頬の内側を噛んで耐えた。
真っ暗な夜闇に包まれ、頼れるものは先頭を行く男が手にした松明だけ。
歩みが遅ければ後ろの男に小突かれ、早ければ前の男が立ちふさがる。弓や剣を持つ男たちを相手に戦う術はなく、ナオはただ揺らめく炎が作る影を踏みながら歩くことしかできない。
そして連れられて向かったのは、国の最奥。
ひとびとの暮らしから遠く、王族の住まいからも離れたさらに奥。国を囲う杭に設けられたちいさな出入口をくぐったその先の林の奥の、深く暗い水たまりのほとりで一行は足を止めた。
水たまりは大きな池のようで、松明の頼りない明かりでは端まで見通すことはできない。
「この池の真ん中に、島がある。そこでこの娘の心の臓を抉り出せ」
松明を持つ男が小ぶりな剣を差し出し、ロウに言った。
途端に、感情を押し殺していたロウの顔に驚きが浮かぶ。
「心の臓を!? 胸を突くだけではなかったのか!」
「ばばはそう言ったが、女王がそれでは足りないと。二度と息を吹き返さないよう、お前が抉った心の臓をよこすまで、我らも帰ってはならぬと言われている」
これに臓物を入れろ、と男がちいさな袋を差し出した。
ロウの戸惑いを、行いの無残さにためらっていると思ったのだろう。わずかに同情をにじませながらも、男は女王の言いつけをやぶる気はないらしい。
「女王は……」
手にした剣で今にも男たちに飛びかかりそうなロウを見ていられず、ナオはつい声をあげた。
ナオに目を向けないようにしていた男たちは、はっとしたようにナオを見て、けれどすぐにまぶたを伏せる。
「女王は、穢れるからと来なかった。お前も、血の穢れを洗い落としてから国に戻れと言っていた」
陸に戻らなくとも心臓を届けられるよう、男のひとりが弓を小舟に乗せた。「矢はあとで渡す。万一、俺たちに射られたらたまらないからな」そう言った男のことばもまた、女王の入れ知恵なのだとしたら、相当に用意周到だ。
ナオを殺すための準備をすっかり終えた男たちは、陰鬱な表情でうつむいている。
そのなかのひとり、ここまで先導してきた男がくちを開く。
「あんたが何をしたわけでもないんだが……俺たちはあの国の民になりたいんだ」
すまない、とは男は言わなかった。
ただ、目を伏せて唇を噛み締める。他の男たちも似たり寄ったりで、それぞれ拳を握り顔を強張らせ、ナオと視線を合わせようとはしない。
男たちには男たちの事情があるのだろう。
恨む気持ちはナオのなかには無かった。
(そっか。あたし今から死ぬんだ)
ひどく落ち着いた頭のなかで、突き付けられた現実がすとんと落ち着く。
タハルの企みは、女王を欺くことはできなかったのだろう、とナオは納得する。あるいは、女王の疑り深さがもたらした結果なのかもしれない。
いずれにせよ、ナオが逃げる手段は失われた。
(タハル、あなたのお願い叶えられないや)
あの可憐な姫巫女が語った、彼女の治める国でロウとふたり暮らすことは、夢で終わるのだろう。
諦めと寂しさを覚えたナオは、男が照らす池のほとりで揺れるちいさな舟に目をやった。
あれに乗って逃げだしたなら、男たちの持つ弓がしなって矢を射かけられるだろう。
ナオとロウが今すぐ手を取り合って駆け出したとしても、剣を持った男たちに追いかけられてふたりとも斬られてしまうだけだろう。
そうとわかれば、ナオの心は決まっていた。
ナオの心臓を手土産に、ロウが今より良い暮らしをできるのならばそれでいい。
(最後にロウに会えて、良かった)
暗闇を裂くように愛おしいひとの未来を見据える黄金の瞳は美しく、心を決めた少女をよりいっそう気高く見せる。
「ここから先はふたりだけで」
池のほとりまでやってくると、男のひとりがそう言った。
手にしていた松明から火を分けて新たな松明を作ると、男はそれをロウに手渡す。
「この火が途絶えたら、逃げたとみなして矢を射かけることになっているから、気をつけろ」
「……わかった」
うめくように応えたロウと、抵抗しないナオを舟に乗せて男たちが離れていく。
がんばれ、とも早くしろ、とも言わずに暗がりに消えていった男たちは、みなナオ以上に沈痛な面持ちをしていた。
「行こう」
舟底に腰かけたナオは、未だに剣を見つめたままのロウを促す。本当は名前を呼びたかったけれど、男たちに聞こえるかもしれない、と飲み込んだ。
「……ああ」
闇に呑まれそうなほど暗い返事をして、ロウが舟をこぎ出した。
舟の先端に差した松明が、ゆるやかな風にくすぐられて闇夜に踊る。
ナオとロウを乗せた舟は、静かに岸を離れていった。




