脱出の好機、姫巫女の接触
ナオは赤子のころから金色の瞳をしていた、と聞いている。
けれどそれ以外に特別な力など持っていた記憶は本人になく、育ての親でもあるロウに「ナオは特別。俺の大事なかわいいナオ」と言われて育ちはしたけれど、それだけだ。
そう何度も伝えたというのに、そのことばはオウシには届かない。
「あたしに特別な力なんてない! 誰も癒やせないんだから、もうやめて!」
「いいや、お前は確かにひとの傷を癒やす力を持っていた。ぼくがちゃんと覚えている。今はまだ眠っているだけなのだろう」
目の前のナオが叫んでも、オウシが語るのはかつて彼の隣にいたという聖女の話ばかり。
無理だ、治せないと騒ぐナオの前で世話をしに来た娘を捕まえては切りつけて、オウシは遠い過去に想いを馳せる。
「オウシさま、もうこれで十七人目です。これ以上は世話をする娘が足りなくなりますゆえ」
娘たちをまとめる世話役の女が苦言を呈しても、オウシは聞く耳を持たず暇さえあればナオの瞳をのぞきこむ。
怪我をした娘はそのすきに、足早に部屋から出て行った。きっとそのまま屋敷を出て戻ってくることはないのだろう、とナオはオウシに抱き込まれたままぼんやりと思う。
「娘が足りないのならば女たちがいるだろう。国のなかで賄えないなら、外から連れてくればいい」
「そのようなことを軽々しく! 女王もあなたさまの振る舞いには不満をつのらせておいでで……!」
皆まで言わせず、オウシは抜き身の剣を女に向けた。
その切っ先が女を傷つけることを案ずるよりも、オウシの視線が自分から逸れたことにほっとしてしまう自分に気が付いて、ナオはぞっとする。
「これはぼくの聖女だ。たとえ母上であろうと、口出しはさせない」
「…………」
オウシが昏い瞳で告げると年かさの女は目を伏せて黙り込み、そのまま部屋を出て行った。
(もう、世話を焼くひとなんか連れてこないで。そうしたらあたし、こっそり逃げ出すから。ロウのところに逃げ出して、もう戻ってこないから……)
けれどナオの望みはかなわず、女が減った代わりに邸の周りに男たちが配置された。
静まり返った邸の外をぐるりと取り囲むのは腰に剣、背中に弓矢を携えた男たちだ。屈強な男たちは昼夜を問わずオウシの邸を取り囲み、ナオは逃げる隙を見つけられずにいた。
そうして過ぎる日々のなかで、ある日の明け方、オウシが王女の供として出かけることになった。
「母上と山向こうの国へ行かねばならん。お前ひとりを置いていくのはかわいそうだが」
山向こうの国までは、牛に引かせた乗り物で三日かかるという。「馬ならばその日のうちに行って明日には帰って来られるというのに、母上は無暗と時間をかけたがる」とオウシが愚痴る。
切なげに眉を寄せて頬を撫でるオウシの手を、ナオは振り払いたくてたまらない。けれどここで反抗的な態度を見せれば、いよいよ逃げ出す手立てを無くしてしまう。
ロウの元へ帰ると固く決めたナオは、遠慮のないオウシの手を我慢した。
「この血が残っているうちに戻ってくるから、待っていて」
抜き身の剣を撫でたオウシの指が、ナオのむき出しの胸元を這う。
赤く濡れ、隠れていく痣にほっとする気持ちはあるけれど、それ以上にナオが抱くのは「この手がロウだったらどんなにうれしいだろう」という思い。
そんなことを露ほども想像さえしないオウシは、くつろげたナオの服を直すと名残惜し気に出かけていった。
「……はあ。ようやくいなくなった!」
オウシの足音が聞こえなくなってからしばらく待って、ナオは寝床に転がった。
部屋のなかには誰もいない。
来る者来る者オウシが傷つけるものだから、とうとうナオの部屋には彼以外入って来なくなっていた。
食事は部屋の入口に置かれ、着替えもいつの間にか用意されている。そのため、ナオとしてはとても快適な状況が出来上がっていた。オウシさえいなければ。
「そんなに母上、母上言うんなら、もうずっといっしょにいればいいのに!」
「ほんと、そう思うわよね。わたくしもよく母上に、兄さまを連れて隠居なさったら、と言うのだけどなかなか聞いてもらえなくって」
誰もいないと思ってこぼしたひとりごとに返事があって、ナオは驚き飛び起きた。
部屋の外に控える男たちの声ではない。軽やかで涼やかな声に、聞き覚えがあった。
「ねえ、あなた。わたくしの方に付きなさいな。悪いようにはしないわよ」
部屋の出入り口に目を向ければ、木陰に咲いた花のように可憐なタハルが、柱にもたれて立っている。
「……国で一番偉いひとが誰になろうがどうだっていい。あたしはただここから出てロウと暮らしたいだけ」
警戒して黄金の瞳でにらみつけるナオを気にも留めず、タハルは長い衣をひらひらと揺らして部屋に入ってきた。
付き人はいないらしく、ひとりきりでやってきた彼女は、ナオの隣にするりと腰かける。
「そう? このまま兄さまのところに居たらあなた、次の新月の夜に殺されちゃうのに」
「えっ」
もうすぐ花が枯れる、くらいの軽い調子で言われたことばに、ナオは驚きまばたきをした。
けれど、金の目をのぞきこむタハルの顔はことばの軽さとは裏腹に固い。
「兄さま、あなたに入れ込みすぎなのよ。昔も囲い込んでいたけれど、今回はもっとひどい。誰にも見せない、触れさせないって自分の部屋に閉じ込めて、そのうえほとんどの仕事を放棄してあなたと過ごしてるんだもの」
「……あたしは聖女なんかじゃないのに」
このひとも過去の聖女と今のナオを同列に扱うのだ、と不満をこぼしたナオに、タハルは目を丸くした。
「あら。あなたが誰だって、わたくしは構わないの。ただ太陽の輝きの瞳を持つあなたがわたくしのそばにいれば、民はわたくしこそこの国を治める者にふさわしいと思う、それでいいのよ」
「聖女の力じゃ、なくて?」
「力なんて! わたくしだって、太陽の姫巫女だなんて言われているけれど、特別な力はないもの」
窓の外にいる男に聞こえないようにだろう、声を潜めたタハルの囁きに、ナオは驚き彼女の顔をまじまじと見る。
ほんのりと笑みを浮かべた涼やかな顔に、嘘はないように見えた。
「でも、あなたは天気を予言する力があるって……」
世話をする娘が話していたのか、オウシが「ぼくにもあの力があれば」と言っていたのだったか。タハルには特別な力があるのだ、と思っていたナオは戸惑いを込めてつぶやく。
「わたくし、雨の前には頭痛がするの。長く続く雨なら寝込むこともあるし、嵐のときなんてもう駄目ね。起きていられないだけじゃなくて、食事もまともに摂れないのよ」
「それって……」
「単に、とっても身体が弱いの。それを天候を予知しているなんて若い頃の母上が言って、巫女に祀り上げられて国を治めるようになったのよ。だから同じように身体が弱いわたくしに王位を奪われるかも、なんて警戒しているのよ」
国の成り立ちの秘密をぺらぺらと喋るタハルに、ナオはぽかんと開いた口がふさがらない。
たおやかな印象だった彼女が、想像以上によく喋ることにも驚いていた。
「わたくしは王の座が欲しい。母上が寝込まないで済むようになった異国の秘術を知るために。そしてあなたはここから出たい。だったら、わたくしを利用しなさい」
不意に強さを増したタハルの瞳の輝きに、ナオははっとする。
「わたくしが女王になるために、あなたの黄金の瞳を利用させてくれるというのなら、わたくしがあなたをここから逃がしてあげる」
「……くわしく、聞かせて」
身に覚えのない力を求められること、身に覚えのない過去を語られることを苦痛に思っていたナオは、ほんの少しだけタハルへの警戒を解くことにした。




