太陽の姫巫女、ただのナオ
陽が落ちても、オウシは戻って来なかった。
部屋に大勢いた女たちは日暮れ前に姿を消して、残ったのは四人だけ。
それぞれ部屋のすみに位置取り、赤々と燃える火の番をしている。
部屋にひとつだけの窓の外はすっかり暗くなり、部屋のなかを照らすのは四隅で燃える炎だけだ。
「ねえ。もっと動きやすい服はないの? 足元がずるずるして、転びそうなんだけど」
オウシの名を呼んでいた年かさの女がいなくなったから、とナオは残った女たちに話しかけた。
火を燃やしていることに加えていつもより何枚も厚着をしているせいで暑かったのと、あの年かさの女はこちらの主張など聞き入れないたぐいの人間だ、と悟っていたためだ。
けれど、部屋に残る女たちも年かさの女と同じであったらしい。
「…………」
そろって黙り込み、ナオと視線を合わせようともしない。
それでいて「のどがかわいた」と言えば水差しを持って寄ってきて、腹が減ったと言えばたっぷりの食事を用意してくれる。
暑いと訴えたときに火が弱められるのではなく、羽織る服を薄いものに替えられたのには驚いた。
火は、何がなんでも消さないつもりらしい。ナオからすれば燃やす木の無駄だし、建物のなかで火を燃やすなどいつ火事になってもおかしくない愚かな行為だと思うけれど、ここに暮らす者にとってはそうではないのだろう。
(あたしを生かすための世話はするけど、あたしの要求を満たすことはしないつもりか)
あれこれと要求して女たちの反応を見たナオは、まるで家畜を生かすためのやり方だ、と腹立たしさを覚えはしたけれど、それを表に出すことはしなかった。
(閉じ込められたらたまらないし、暴れてみるのはまだ先でいい。いまはとにかく、抜け出す道を探すためにどうにかしないと)
部屋のすみにある寝台に腰かけて、ナオは窓の外に視線を向ける。
そばで火を焚いているせいで、外がいっそう暗く感じられなにも見えない。窓の外に立てられた板のせいで空を見上げることもできず、ナオはあきらめて足元に視線を落とした。
そのとき、部屋の外の廊下でざわりとざわめきが起きる。
「姫巫女さま! オウシさまはまだお戻りでは」
「ええ、知っているわ。兄さまに用があってきたのではないの」
慌てたような女に返すのは、高く澄んだ声だ。
聞き覚えのない声を波間にはじける陽光みたい、とナオが思ったとき、部屋の入口に人影が立った。
入口に垂らされた布をはらい、入室してきたのはほっそりとした娘。
腰まで伸ばした黒髪が火の赤を映して艶々と輝き、抜けるように白い肌や折れそうに細い首を際立たせている。裾を引きずるほどゆったりとした衣は、ちらりとのぞいた手首の細さを強調する。
(なんて儚いひと)
ナオはこれほどに儚い生き物を見たことがなかった。
見るからにか弱く、野では生きていけないであろう娘は、すらりと伸びた背丈からしてナオよりいくつも年かさだろう。
薄い身体に凹凸はほとんど見られないけれど、それでも不思議と女の色香を漂わせている。
ぱっちりとした黒目勝ちな瞳にナオを映したそのひとは、ただでさえ大きな目をさらに見開いて「まあ!」と喜色のまじった声をあげた。
「まあまあまあ! あなた、本当に生き返ったの? それとも生まれ直したのかしら。兄さまが聖女が戻ったと駆けこんできたときにはまさか、と思ったけれど、その目」
澄んだ声をはずませながら、するすると部屋のなかを進んだ娘は座ったままのナオのほほに手を添える。
ナオの黄金に輝く瞳をのぞきこんで、娘はほうっと息をついた。
「なんて美しい黄金……本当に、あなたは太陽の使者のよう」
「あ、あの?」
抜けるように美しい娘に間近に迫られて、ナオはたじたじだ。
吐息さえも甘やかな気がして戸惑えば、娘がそっと頬に添えた手をそっと離す。すこしだけ寂し気に微笑んだ娘は、ひどく儚く美しい。
「ああ、記憶はないのね。わたくしはタハル。この国を治める女王の娘よ。太陽の姫巫女とも呼ばれているわね」
ほほえんだ娘、タハルの笑顔のやさしさに、ナオは初めて自身が聖女と思われていることを不快に思わなかった。
「……あたしは、ナオ。言っておくけど、聖女じゃないから。あんたたちが聖女って呼んでるひとは、森の奥の氷室で眠ってる」
低い声でナオが告げれば、タハルの周囲でおろおろしていた女たちがぎょっとした顔をする。
その反応に、優し気に見えて気性の荒いひとだったか、とナオは自身の失敗を感じた。
厳しい叱責がくるか、柔いその手で叩かれるのか。
身構えたナオをよそに、タハルは「まあ!」と両手を胸の前で合わせて少女のようにほほえむ。
「そうなのね。兄さまはご自分の聖女が戻ってきたと言っていたけれど、別人なのね!」
「う、うん。そう」
ここに来てようやく信じてもらえた訴えが、あまりにもあっさりと受け止められたものだから、ナオは驚き戸惑う。
そんなナオをよそに、タハルはにこにこと笑う。
「でしたら、ぜひわたくしの聖女になってくださいませ。太陽の瞳を持つあなたが隣にいてくれたら、わたくしも姫巫女から女王になれますもの」
「た、タハルさま! なんということを!」
顔を青ざめさせて声を震わせたのは、廊下からタハルに着いてきた女だ。
そのほかの女たちも声こそあげなかったものの、目を見開いて血の気の失せた顔でタハルを見つめている。
「あら、そんなに驚かなくても。わたくしと兄さまが次の王の座を巡って争っていることは、誰だって知っていることでしょう?」
言って、ころころと笑うタハルはたいそう美しくか弱く見えるけれど、その中身まで見た目通りではないのだとナオは悟った。
(あたしを争いの駒扱いするつもりなんだ)
オウシはもちろん、タハルにも気を許してなるものか、とナオが決意したとき。
「けほっ」
涼やかな笑い声を立てていたタハルが、不意に咳き込んだ。
「けほ、けほっ」
「タハルさま! 夜風はお体に障ります。はやくご自分の邸にお戻りください」
みるみる青ざめるタハルの顔色に、ある女は駆け寄ってその背を支え、ある女は上掛けを手に駆け寄る。
甲斐甲斐しくタハルの世話を焼く女たちの姿に、オウシに対して見せていた怯えはない。
(……悪いひとではないのかもしれない、けど)
上っ面だけを美しく取り繕うひとを見て来たナオは、タハルを簡単に信じる気にはなれなかった。
女たちに囲まれたタハルは、咳がおさまってもまだ肩を上下させながらもよわよわしい笑顔をナオに向ける。
「今日は加減が良いと、思っていたのだけれど。明け方には雨が降る、かも。また、会いにくるわ、ナオ」
苦し気な呼吸をくり返すタハルはそう言うと、女たちに支えられて部屋を出て行く。そのうちの何人かは「タハルさまの予言を女王にお伝えしなくては」とささやき合って、廊下の暗がりに消えていく。
じきに、ナオの部屋は四隅で黙り込む四人の女だけが残されて、元の通りに静まり返った。




