彼を目指して歩き、たどり着いたのは
広い樹海のなか、必死に歩くナオは自分のちっぽけさを思い知らされるような気になっていた。
行けども行けども景色は変わらず、腰の袋の貝殻とナオの体力ばかりが減っていく。
夜以外は変わらないうす暗さのせいで、歩きはじめてからどれだけの時間が経ったのかもわからない。
疲れてのどに渇きを覚えるたび、苛立ち紛れにあおってきた水袋の軽さが不安を誘う。
それでも、立ち止まるという選択肢はナオのなかに生まれない。
「ロウ、ロウ、今帰るから……あたし、きっとロウに近づいてるから……」
うわごとのようにつぶやいて、自分を鼓舞する。
そのことばを否定する者もいなければ、否定する者もいない樹海のなか。
ただひたすらに静けさと湿り気に支配された空間で、自分が立てる足音と荒い呼吸の音だけを聞き続けるのは、ナオの心を確実に削っていく。
「まだ、日は落ちないよね」
のろのろと進みながら空に顔を向けたナオは、生い茂る梢のすき間に見えた日の光に金の瞳を細めた。
光が遠い。
暗がりに慣れた目にまばゆい光が恋しいような、けれどまだ脚を止めることはかなわないのだと知らされて苦しいような心地で、ナオがうつむいたとき。
ひゅおう、とかすかな風の音が彼女の耳を通り過ぎた。
「何? どこから……」
ナオの周囲の落ち葉はどれもしんと静まり返って、樹海の地面を埋め尽くしている。
振り仰いだ空を覆い隠す暗い緑の葉も、ちらりとも揺らぎもせず時が止まったような空間を作るのに力を注いでいるようだ。
ならば、音はどこから。
周囲を見回したナオの目がとらえたのは、敷き詰められた落ち葉のなかのわずかな隆起。
どこまでも変わらないように見えた樹海のなか、落ち葉のすき間に苔が生えたあたりにナオは違和感を捉えた。
「……なんか、変に平らな気がする」
つぶやいた彼女がこれまで歩いてきた樹海の道は、張り出した木の根と降り積もった落ち葉、そして余すところなく飲み込もうと広がる苔で構成されて、ぼこぼこと不規則に盛り上がっていた。
けれど、ナオが目を止めたあたりには木の根が無いのか、妙に平坦に落ち葉が積もっている。
「何かあるの?」
変わり映えのしない景色に疲れていたナオは、ささやかな違いに好奇心をくすぐられてあたりを歩き回ってみる。
ほどなくして、平坦なのはそこに大きな岩盤が埋まっていることを発見した。
そして、その岩盤と地面との間にできたすき間が風の音を鳴らしていたのだと、解き明かす。
「……ここに居たら、あの化け物に見つからないかな」
つぶやいたナオは、岩盤のすき間をのぞきこんだ。
うす暗い樹海をさらに濃縮したような、濃い闇が広がっている。ほんの少し先も見通すことはできないけれど、奥から忍び寄る冷気と風がすき間の奥の深さを知らせている。
ナオがぶる、と身体を震わせたのは、頬を撫でた風が冷たかったせいか、あるいはあまりにも深い闇に恐れをなしたせいか。
一歩、暗がりから離れたナオは、すこし考えて背負っていた荷物を地面に下ろした。
毛皮に包まれたあれこれのなかから火起こしの道具を取りだして、岩盤にどっかりと座り込む。
腰を下ろしたナオは、自分が思っていた以上にくたびれていたことに気が付いた。
知らないふりをしていた疲れがじんわりと体中に広がり、脚といわず腰といわずナオの身体を重くする。
もう立ち上がりたくない、と思ってしまう身体をなだめるためにも、ナオは座ったまま火を起こすべく手を動かす。
板切れに乾いたガマの穂を千切って撒き、そのうえに細長い木の枝を突きつけた。棒を板切れに押し付けるように回し続けてしばらく、白く細い煙があがりはじめて間もなく、ガマの穂に赤いちいさな火が灯る。
生まれたばかりの火種を育てるために、着ていた衣の端を裂いてガマの穂ごと包み込めば、間もなく板切れの上で火が踊りだす。
サンギの獲って来た獣の脂をしみこませた布を適当な木の枝に撒いて火を移したナオは、手早く荷物をまとめて背負い直すと立ち上がった。
「筏が燃えなきゃ、毎日でも火起こしするのに」
大切な住居が燃えてしまわないよう、ナオたちはひと気のない時間帯に浜辺でこっそり火を起こして暮らしてきた。それでもロウさえいれば不満はなかったけれど、海から上がってきた彼のために温かい食事を用意できたなら、どんなにか幸せだろう、とナオは夢想する。
ナオがどれだけ立派に火を起こせると言っても「火傷したらどうする」「火の粉がナオに跳ねたら危ない」とロウは心配をやめない。
彼からの心配はくすぐったくて心地よいけれど、要らない心配をさせるのはナオの本位ではなかった。
「帰ったら、あたしがどれだけじょうずに火を起こせるのかロウに見せてあげなくちゃ」
この先の人生で、必ずまた彼に会えると信じて疑わないナオは、松明を強く握りしめて岩盤のすき間に脚を進める。
松明の明かりを頼りに進むうち、落ち葉さえ入り込まない深さにたどり着いたことを、ナオのはだしの足裏が捕えた地面の冷たさが教えた。
脚を止めないまま見下ろしたナオは、むき出しの土が火の熱を拒むように広がっているのを目する。彼女が陸地で暮らしていたならば、その土が道具を使って掘られたものだと気が付いただろう。けれど土と触れあう機会をほとんど持たずに生きてきた彼女は「こんなに広い穴が開いてるなんて、うえから崩れてきやしないかな」と思うばかり。
岩盤のしたにできたすき間は広く、大人の男が三人ほど身を屈めることなく歩いていけるだけの広さがある。
もともとそこにあった狭い洞窟を、十何年も昔にある男が執念めいた想いの元、掘り広げたものだとは、ナオには気づきようもないことだ。
「なんか、すごく冷えてきたな……」
ぶる、と身体を震わせたナオは背負っていた毛皮を身体に巻き付けて、中身の荷物を服のなかに押し込んで再び歩き出す。
その先が彼女が化け物と称する男、サンギの通いなれた場所であるとも知らずに進んで行く。
やがて、裸足の脚の裏が張り付きそうなほど冷え、ナオの吐いた息が白く視界をかすめるころ。
彼女は穴の底にたどり着いた。
部屋のような空間になった場所は、関節がぎしぎしと軋みそうなほどに冷え切っている。
行き止まりだろうか、と松明を掲げたナオは、暗がりの中央を照らしてぎくりと動きを止めた。
「なに、これ……」
そこにあったものを目にして、ナオは絶句した。




