覚悟を胸に、動き出す
樹海での暮らしは島に比べれば、悪くはなかった。
少なくとも喋ることを許されていて、身動きの取りやすい服でいられることは、ナオにとってありがたいことだ。
時間の経過がわかりづらくとも、朝日が昇るころに目を覚ましたナオは、日が高く昇るのを待って起き上がる。
何度か化け物の持ってきた食事を摂り、じゅうぶんな睡眠をとればナオの若い身体はすっかり回復していた。
「サンギ!」
ナオの張りのある声がうす暗い樹海に高く響く。
途端に、ナオからすこし離れたうねる木の根の間から、むくりと起き上がったのは異形の頭をした男だ。
サンギは包まって寝ていた毛皮を引きずりながら、のろのろとナオに近寄ってくる。
異形らしく日の光に弱いらしい。昼に眠り夜に動く暮らしをしていることを知ったうえで、ナオは彼を昼日中に呼びつける。
『……聖女、元気? 呪い、解ける?』
「まだ。だから、魚を獲ってきて。海の魚を。それから、これを海に撒いてちょうだい」
日が落ちて彼の活動時間になれば、なんども繰り返される問いに冷たく答えて、ナオはサンギに用を言いつける。
ついでのように突き出した手から受け取ったものに、サンギは異形の首をかしげて黒い目をぐりぐりと回す。
『乾いた魚? 聖女、食わない? サンギ、食う?』
「だめ。あなたにじゃない。海に撒いてきて。できるだけ、村が近くにある海に」
獲ってこさせた魚の内臓を出して、湿っぽい樹海のなか苦労して干物にしたのだ。それはナオが作りなれた魚の干物。もしもロウが見つけたなら、ナオが生きていると気づいてくれるかもしれない、というかすかな願いを込めたものだ。
けれど、獲ってきた魚を干しては海に返すという行為が、おかしなものだとナオもわかっていた。
目の前にぶら下げた干物を不思議そうに見つめるサンギに、ナオは付け足す。
「儀式なの。あたしが力を発揮できるよう、聖女の儀式。だから、ちゃんと海まで持って行って」
だめ元で『聖女』の呼称を出すと、サンギは今にも大きなくちに落としてしまいそうだった魚の干物を顔からぐっと遠ざけた。
『サンギ、食わない! 海に撒く。新しい魚獲ってくる。聖女に呪い解いてもらう!』
張り切る異形を前に、どうやら騙されてくれたらしい、とほっとする気持ちを隠してナオは神妙にうなずく。
「ええ、あなただけが頼りなの。しっかり頼んだから。帰りは遅くなってもいい、食料はあるから。その代わり、ちゃんと海辺の村のそばで撒いてきて」
『サンギ、行ってくる! 聖女、待ってて!』
「貝殻も、またお願いね。できるだけたくさん」
ナオがうなずけば、異形の男は喜び勇んで樹上に跳びあがった。
その姿と「うおぅぅ」という鳴き声が消えるのを待って、ナオは動き出す。
「干した飯と獣の肉、水袋と毛皮、火起こしの道具とそれから貝殻」
数日をかけてサンギに持って来させた品々を湿った木の葉のうえに並べていく。
食料はいつでも獲ってくる、というサンギを「あなたがいないときに困らないよう」と説き伏せて持って来させたもの。
水袋も、のどが乾いたらいつでも背負って湧き水のある場所に連れて行く、というサンギに「水袋に入れて持ってきてもらえばじゅうぶんだから」と伝えて手に入れた。
毛皮と火起こしの道具は寒さをしのぎ、獣と出会ったときのために用意したものだけれど「寒くて寝られない」というサンギに伝えた理由も事実である。
木の葉に包んだちいさな貝殻の山は、手に入れるのに一番時間がかかったものだ。
身を飾るために、と言えば他の品々のようにどこかの村から首飾りなりを奪ってくるかもしれない。それでも貝殻は手に入るけれど、ナオの知りたいことを調べるには足りなかった。
「貝殻を取りに出てから戻ってくるまでに、ひと晩かかった。村の近くに、って言ったから、今日海にたどりついても浜辺に出るのはきっと夜になってから。だから、あしたの夜までに戻って来たらばれない、はず」
用意した品を大きな毛皮にまとめて背負うと、ナオは周囲をぐるりと見回して無造作に一歩を踏み出した。
「あの化け物が進んだほうに、海がある」
服や保存食を頼んだとき、サンギが向かう方向。
貝殻や魚を頼んだとき、サンギが向かう方向。
それが微妙に違っているのをナオは見ていた。
厚い葉の覆いに隠されて太陽がどちらから昇るのかわからない。日暮れにはうす暗い森のなかから光が消えるだけで、夕焼けがどこにあるのか見えはしない。
方角などわからない樹海のなかで、辛うじて見つけ出した進むべき道は、化け物の残したあとをたどること。
「ひと晩歩いて、戻る。森を抜けられたらそのまま海まで向かう」
樹海がどれほど続いているのかわからない。
悪くすれば、戻ってきたサンギに見つかって逃げ出そうとしたと怒り食われるかもしれない、とナオは自分のなかで決まりごとを作った。
戻るための目印が、サンギにねだった貝殻だ。
持ち運べて、獣に食われず、目印になるものならなんでも良かった。ただ手に入れるための方便として「慣れ親しんだ海を思いだせるものが欲しい。腐らなくて、たくさんあるとすごくうれしい」と言ったナオに、サンギが持ってきたのが貝殻であったのだ。
「貝なんて、食べたら終わりなのに」
歩いては貝殻を置き、また歩き出すナオが思い出すのはロウが獲った大物の貝殻だ。
ワタツミを助けるために縄をくくりつけて投げ、砕けてしまったあの貝殻。
きれいな貝殻はどれも村人と物々交換をするために持って行ってしまうなか、ナオとロウの思い出のなかにある貝殻といえばそれしかない。
「あんな男、助けなければよかった」
見捨てていれば間もなく帰ってきたロウを出迎えられただろう。
温かく抱きしめてくれる腕を思いだして、ナオの目に涙がにじむ。
「……きっと、帰るから。待ってて、ロウ」
ぼやけた視界をごしごしと乱暴にぬぐって、ナオはうす暗い樹海の先をにらみすえる。
海が恋しい。波の揺れが恋しい。ロウが恋しい。ロウに会いたくてたまらない。
湧き上がる思いすべてを帰るための決意に変えて、ナオは樹海の湿った地面を踏みつけて、前に進んだ。




