願いのため、少女は居丈高に振舞う
異形を利用すると決意したナオは、身体の震えを押し込めて声を張る。
「あたし寒いの。なにか着るものを持ってきてちょうだい」
言いながら、ナオが頭に思い浮かべるのはナムラの姿だ。
あごをそらし、居丈高な物言いをする彼女の記憶はろくなものではないが、相手のうえに立ちたちときには有効なはずだ、と精いっぱいの真似をする。
ナオの急な頼みというより命令に、サンギは黒い目をぐりぐりと回す。
『服、服? 聖女の、服!』
「ええ、そう。獣の皮じゃ嫌、汚れていない麻の服。それから食べ物と、飲み物も用意して。もちろん、あたしが食べられる物でなくちゃだめ」
頭のなかでことばに変換される唸り声に、ナオは矢継ぎ早に告げる。
サンギの腰に巻かれた獣の皮にちらりと目をやり、付け加えるのも忘れない。ロウ以外の他人の腰巻や、腹にぐるぐると巻き付けられ黒く汚れたぼろ布を身につけろ、と差し出されてはたまらない。
食べ物にまで注文をつけたのは、その姿形から、ひとの身体をしてはいてもこの異形がひとのような営みをしてはいないだろう、と考えたのだ。
『服、食べ物、聖女の物……』
「そう。急いでちょうだい。このままじゃ寒くてひもじくて、倒れてしまう」
考える隙を与えれば、自身の対応にほころびが出ることをナオはよくわかっていた。これ以上の会話を避けるため、彼女はサンギを急かしつつ胸を焦がす焦りを押し込めて瞳に力を込める。
黄金の瞳に魅入られたように、ぐるぐる動く黒い目を止めたサンギがかぼそく唸った。
『サンギ、行ってくる。聖女、待ってる』
唸り声を残し、サンギが地を蹴る。
敷き詰められた落ち葉を物ともせず、サンギの脚は大きくしなり、その身を生い茂る葉の合間に飛び込ませる。
ひとの形をしてはいても、その身に宿す力はひとのそれではないのだろう。
サンギは見上げるほどの梢のうえへと、ひと跳びでたどり着いた。
ざん、ざん、ざん、と木の葉をかきわける音と「おおぅ、おおおおぅぅぅぅ!」という唸り声があっと言う間に遠ざかる。どこか喜色をはらんだ唸り声は、いっそう不気味さを増して木立ちに響く。
跳びあがる拍子に宙へ踊った木の葉の最後の一枚が地に落ちるころには、不気味な唸り声も木の葉をかきわける音もすっかり聞こえなくなっていた。
「はあ……」
力が抜けたナオは、息をつきながら落ち葉のうえに身体を預けた。
もともと弱っていたところに続いた過度の緊張が、ナオの体力をごっそり奪い去る。
緊張の糸が解けたナオの意識は、訪れた睡魔に抗うことなく深く沈む。
暗く湿った樹海のなか、少女はひとまずの安寧に浸っていった。
―――――
枝を蹴る。
枝を蹴る。
枝を蹴る。
ひと蹴りごとにサンギの身体は突風のように木の葉を蹴散らし、進んでいく。
常人であれば速さをまとって触れる枝葉に傷つき、血を流しただろう。
けれどサンギの訃渦に似た異形の頭部は、傷つくどころか触れた枝を折り、その葉を宙に散らせる。
サンギがいくら傷つけようとしても、無駄だった。
削り取ればひとの顔形が戻ってくるのではないかとかきむしっても、破れるのは己の爪。指。
夜陰に紛れて人里から盗ってきた小刀を突き立てたときには、折れた小刀に映る異形の姿に慟哭した。
どれほど悲しくとも涙さえ流れない異形の姿が憎かった。
けれど長い、長い不遇の時代が終わるのだと思えば、苦しい過去さえも遠く感じられ、サンギの喉が歓喜の唸り声をあげる。
『やっと、やっと救われる……!』
もう何年も近寄ることをしなくなった人里を目指すサンギの脚は、その心を映したかのように軽い。
軽やかな気持ちのまま森を駆けていたサンギは、ふと脚をとめ地上に目を向けた。
頭の左右についた黒い目がぐりぐりと動いて映すのは、変わり映えのない木立ちから見下ろした樹海の景色。
けれどサンギは、そこに『愛おしいもの』がいることを知っていた。
湿ってかび臭い森とは違う、愛おしい香りを異様な頭の先端に開いた鼻の穴で嗅ぎ取ったサンギは、木の枝から無造作に飛び降りる。
ばす、と鈍い音をたてて木の葉に着地したサンギは、樹海になかば以上埋もれた苔むした一枚岩の岩盤を見下ろして異様なくちをかぱりと開いた。
ぬらつく牙の連なりを見せつけるように、けれど当人にとっては笑顔を形作りながら、サンギは岩盤のまわりをぐるりと回る。
『報告、報告。もうすぐ聖女と……』
低く「おぅぅぅう」と唸るサンギが、ふと身体を屈めた箇所には、岩盤の切れ目があった。
切れ目の先には、樹海の暗さに紛れて見落としてしまいそうな、暗く深い穴が続いている。
けれどどれほど木の葉に埋もれようとも、苔に隠されてしまおうとも、サンギはこの一枚岩を見失うことはないだろう。
サンギが呪われた理由でもあり、サンギが樹海に留まる理由でもある場所なのだから。
『呪いにさよなら。聖女におはよう』
機嫌の良い狼が獲物を目の前にしたかのような唸り声を漏らしながら、サンギは岩の下に続く穴へと入っていく。
暗い樹海の底へと続く穴は、濃縮した夜闇に塗りつぶされたように暗い。けれどひとではないサンギの目は、ぐるりと動いて光のない世界を映し出す。
『……聖女、聖女。聖女が、ふたり?』
獲物を追って偶然、飛び込んだ海のなか。異形の鼻が嗅ぎ取った聖女の臭いに惹かれて波をかき、か細い少女を持ち帰ったサンギは、慣れ親しんだ暗闇に身を浸してふと疑問を抱いた。
サンギの聖女はひとりきり。いつか目覚めて呪いを解いてくれる日を待ち焦がれている。
けれどサンギは持ち帰った少女に聖女の香りを嗅いだ。奪うやつが来ないように、胸元に潰した獣の血を滴らせたのもサンギだ。
胸元の痣を隠してしまえば、少女から聖女の香りはしなくなった。
けれども黄金の瞳は、間違いなく聖女のものだとサンギは知っていた。
『聖女、増えた? いっぱいは、良いこと』
新たな聖女が現れたのかもしれない、と結論ずけて、サンギの機嫌はますます上向く。
はだしの足で冷たい土を踏みしめて、サンギは愛おしくて憎らしい彼女に会うために、闇のさらに奥へと脚を進めていった。




