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さよなら

作者: 藤村ひろと

 

彼女は金持ちの娘だった。


俺は彼女に近づき、あらゆる手を使って彼女の心をとりこにした。自慢じゃないが、その辺の手管にかけて、俺は絶対の自信を持っている。彼女みたいなタイプの女を口説き落としたことだって一度や二度じゃないのだ。


彼女は俺を愛し、俺も彼女に愛の言葉をささやく。


そこから先、ある程度までは簡単だ。


結婚を申し込み、当然のことながら彼女もそれを承諾する。俺は彼女の家に赴き、結婚させてほしいと彼女の両親に頼み込む。が、俺のナリや俺の話、そんなところで俺の人間性がわかるなどと言って、彼女の両親は結婚に反対した。


彼女は両親に泣いてすがるが、両親は頑として聞き入れようとしない。そのうち彼女はだんだん疲れ果て、絶望し始める。


ここからが一番難しいところなのだ。慎重に慎重を要する、最大の難所といってもいい。


俺はどうしても一緒になりたいと言って、彼女を精神的に追いつめる。彼女だってそうしたいのだが、もともと優しい娘だ。両親の反対は非常に重大な心の重荷になる。


それでも俺は愛の言葉を吐きつづけ、彼女は両親を振り切る決心をした。かなりつらかったのだろう、しばらくは泣いてばかりいたが、それでも俺の持ってきたプレゼントを見て、彼女は幸福に瞳を輝かす。


婚姻届。


たかが紙切れ一枚だが、彼女にとってはこれ以上ない贈り物になったようだ。彼女がその書類に判を押したとき、俺はようやく事の半分まで来たと安堵のため息をつく。


その喜びの最中、彼女は体調不良で通っていた病院の医師から、衝撃の事実を聞かされる。


彼女は不治の病に冒されていた。


気の遠くなるような絶望の淵に突き落とされて、彼女は泣いて泣いて泣き尽くした。俺はそんな彼女を慰めながら、頃合を見計らって、ついにそのひとことを言う。



「いっしょに死のうか?」



俺を愛しているからそんなことは許せないと、彼女はずいぶんがんばったが、俺だってここで引くわけには行かない。もてる弁舌のすべてを尽くして、彼女を説得した。二人で泣き、わめき、怒鳴りあいながら、俺達はこの話をしつづけた。そしてついに、彼女が折れる。


いっしょに死ぬと決まったときの、彼女の顔を俺は忘れないだろう。彼女はこれ以上ないほど愛くるしい顔で、幸せそうに笑った。


天使の笑顔、そのままに。



「ホントはね、怖かったんだ。怖くて、怖くて、どうにかなっちゃいそうだった。でも、あなたがいっしょに死んでくれるなら、もう何も怖くない」



その笑顔に、俺は少し心苦しさを覚えたが仕方ない。どっちにしろ、いずれはこうなると決まっていたんだから。


その晩、俺は彼女と最上級のワインを傾けながら、朝がくるまで一晩中話し込んだ。昔話から、あるはずのない未来の夢まで、彼女は終始屈託なく笑い、俺もしたたかに酔った。


 


それまでの経緯に比べると、決行はあまりにあっけなかった。


彼女は今、俺と一緒にホテルのベッドで横になり、致死量の睡眠薬を飲んで向こう側へ旅立ったばかりだ。


俺が飲んだのはもちろん、ただのビタミン剤。


この手のすり替え作業は、お手の物だ。


しばらくの間、彼女の幸せな死に顔を見ていた。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。俺は冷たい唇に軽くキスをすると、ゆっくり立ち上がった。


受話器を取り上げ、彼女の両親に電話する。




終わった。


後は彼女の両親が、遺体を引き取りに来たときに金をもらって、俺の仕事はそのすべてを終了する。


死期の近づいた人間に、最後の夢を見せる


という仕事が。


彼女の両親は彼女自身より一足先に、医師から告知を受けており、迷った挙げ句、俺に仕事を依頼してきたのだった。


ふと、テーブルの上の書類が目に入った。俺はゆっくりと手を伸ばすと、出さなかった婚姻届を摘み上げて、灰皿の上で燃やす。炎を眺めながら、ホテルの冷蔵庫からビールを取り出してひと息に空ける。


炭酸がのどを刺激しながら身体に染み込んでゆくのを感じつつ、飲んだ缶をテーブルに置いた。


彼女のほうを見ないようにしながら、帰り支度をはじめる。


俺は、仕事の後のビールを美味いと思ったことが一度もない。



 

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