立夏、待ち人来らず
今日も、一本、二本。目の前のホームから列車が止まり、走りを忙しく繰り返している。
と言ってもここは俗に言う田舎で、一本しか伸びてない線路からは電車が一時間に一本か二本程度。全然忙しくもなんともない。
僕はベンチに腰かけ、線路の向かいに見える入道雲を眺めながら電車の行き来を見ている。
ただ最近、このしがない田舎駅のプラットフォームに一人の少年が居座るようになった。
それは立夏を迎えた五月中旬、突如として現れた。僕のお腹らへん程の背丈で、そこから考えれば歳はおそらく十歳前後だと思う。
僕はその少年を少し異質な物を見るような目線で観察していた。
実は僕がそんな目線を向けてしまうのにも少し訳がある。
普通、駅のホームといえば電車を待つか降りる時に通過するかくらいのはずなのにその少年はいくら電車が来ようとそれに乗る気配はない。
その代わり少年は毎回、降りてくる人々の顔に少し目線を向ける。そして全員の顔を覗いた後、決まって期待外れが滲み出た顔を下に落とす。
まぁ、大方誰かを待っているんだろうけど僕を驚かせたのはその時間だ。
少年はいつも始発からホームに来て終電まで降りてくる人の顔を眺めているのだ、それもここ二週間ずっと。僕はそれに強い執念のような物を感じている。
例え誰かを待っていたとしてもこの現代、電話やメールなどで来る日や時間を事前に聞いたり出来るはずなのに見る限りでは少年は待ち人の来る日も時間も知らない様。
そんな不思議な所と執念深さを二週間見ていた僕はこんな事を考え始めた。
もしかしたら少年は幽霊なんじゃないだろうか。
電話もメールもない、簡単にできない時代でこの少年は生きていて、この駅で誰かを待っている日々の中、病か事故で亡くなってしまってその無念から地縛霊としてこの駅に現れているのではないか…と。
突飛した思考だと思うが、それを裏ずける事が目の前で起こっているのだから仕方がない。
電車から降りてくる人達はまるで少年が見えていないかの様に無視しているし、まだ十歳前後の子供が夜遅くまで電車を待っているというのに、迎えに来る両親どころか声をかける人すら居ない。
まぁ、ここが無人駅だから少年が夜遅くまでここに居ても気づかない人がいるのも仕方ないのかもしれないが。とにかくこれら全て、少年が地縛霊と考えれば何ら不思議はない。
ただ、それを知った所で僕は何をする訳でもない。と言うよりも何も出来ないって方が正しい。
だから僕は無視を決め込むことにした。一人きりのホームは居心地が良く好きだったのだがこの際仕方ない。
その日から僕の目には線路の先の入道雲と行き交う電車と黒髪の少年が映るのが当たり前になりつつあった。
五月の風が少年の髪を撫でるように揺らしている。とても涼しそうに。
半袖姿の少年を見ているともう夏も目前かと他人事のように思ったりする。そんな調子で更に一週間が過ぎた。
その間、雨の日もあったし風が強い日だってあった。それでも少年はここに立つのを辞めていない。
こんな年端もいかない子供がこんなにまでするのはやっぱり幽霊なんだと僕の考えが確信に変わっていく。
それと同時に僕の心にも変化があった。やっぱり僕も人間端くれ、こうも毎日顔を見ていると少年に対して好奇心みたいな親近感みたいな物が現れてくる。
少年は誰を待っているのだろう?少年は一体なぜ死んでしまったのだろう?…と言うか本当に少年は幽霊なんだろうか。
少年を見る度に新たな疑惑や知りたい事が増えていく。でもそれを少年に聞く勇気は僕にはない。
人見知りって言うのもあるけどそれだけではなく、もし少年が本当に幽霊だった場合、僕が話しかけたら僕が少年を見える事がバレてしまう。
そこから面倒くさい事に巻き込まれるかもしれないし最悪の場合、呪われる…なんてこともあるかもしれない。
僕は幽霊を題材にした映画や小説を人並みに読んでいるつもりだけどそのどれもがバットエンドに終わってるものが多い。それもあって僕は少年に話しかけるのを臆している。と言って何もせずにいると、どんどん少年へ聞きたいこと知りたいことが増えていくばかりで仕方ない。でも少年本人には聞きたくない…
ならばと僕は妙案を思いついた。本人に聞けないなら第三者から聞けばいいじゃないか。
その案は正直、少年の情報を知ることが出来る確信もない、完璧な運任せの選択だが臆病な僕にはぴったりだった。
そうと決まれば抑えていた僕の好奇心は止めることは出来ない。ベンチからゆっくり立ち上がって出口に向かう。あの場所から離れるのに恐怖感を感じざるを得ないが今の僕には好奇心が勝っていた。
駅の入口まで歩いてきた。いくら田舎と言えど駅の前はそれなりに住居が並んでいる。
無計画に出てきたはいいけどその際どうするかが空白のため足が止まる。
周囲を見渡せど人影もない、仕方ないので道路に沿って歩いていくことにした。
アスファルトの坂道を登っていく、目の前の景色が流れていくのに新鮮さを感じながら。道に面する家の庭先には散りかけたハナミズキが咲いていた。
なんて歩いていたら思いのほか早く人の気配を道の先に感じた。そこは僕が覚えている限り雑貨屋だった。
また更に近づいていくとその雑貨屋の中から二人分の話し声が聞こえる。その声的にお婆さんの様。それだけならただの世間話かと思うのだけど僕が気になったのはそのお婆さん方の話し声が陰口を言う時のような、秘密を打ちあける時のような、やけにひっそりとした声だったから僕は気になって玄関傍で聞き耳を立てることにした。
「それであの駅の事件はどうだったの?自殺?事故?殺人?」
「それがね、どうやら病死らしいのよ。元々心臓が悪かったらしくてね。それが駅にいる時急に悪化したらしいって」
「へーでも気の毒よね、その子も。まだ若いのに」
「本当に。うちにもよく来てくれてたのよ、その子。なんでまたあんな夜中に駅なんかにいたんだろうねぇ」
「それなんだけどね、わたし知り合いから聞いたんだけど、どうやら亡くなる直前その子がおとう…」
その時、雑貨屋の引き戸を開けて「こんにちわ」と言って入っていく人がいた。
それを知るなり「いらっしゃい!」とさっきとは打って変わって元気な声でひとりが挨拶をする。
僕はその後、少し聞き耳を立てていたがもうくだらない世間話しかせず、あの話の続きはとても聞けそうになかったので僕はその場を後にした。
少し心に尾を引く思いもあるが知りたい事は大体分かったので良しとしよう。
やはりあの駅では若い子が亡くなっていて、その人は病死だった。それに夜遅くまでそこにいたとなればもうあの少年のことしか思い浮かばない。
僕の少年への探究心はそこまで知ったあと消沈した。確かに何故少年があそこにいるのかを知りたくはあるが、あのホームでの少年の様子ではやはり誰かを待っていたって言うのが妥当だろう。
僕は目標達成の脱力感と目的を失った喪失感で、もう何をする気にもなれず、早々とあの駅に帰ることにした。
西の山からは沈みかけの太陽が家や木の陰影を伸ばして茜色の光を空と町に溶かしていく。
森の新緑がその光を受けて嬉しそうに揺れているのが見えた。そんな中駅の方から明らかに嬉しそうではない、いや寧ろ明らかに悪いことがあったかのような暗い表情を浮かべたスーツ姿のサラリーマンらしき人が短い歩幅で歩いていた。
仕事で失敗して上司にでも叱られたのだろうか、大人とは大変だなぁと心の中で思いながらすれ違った。
僕は日が暮れる前に駅に着いた。その流れのままホームまで来るといつもと違う景色に目がいった。
ホームの端に花が添えてあったのだ。それは少年が居る方と逆、さらにその花の傍には今しがた花を添えたであろう女性とその隣に六歳くらいの子供がいた。
僕はさっきの様に傍で聞き耳を立てれば何か聞けるかもしれないと不自然ではない距離で盗み聞きをこころみた。
女性は花に向けて手を合わせているらしかった。後ろで髪を束ね、顔はしばらく眠れていないのかくまも出来ていた。その二人の間の沈黙を解いたのは子供の方。
「ねぇ、お兄ちゃんはここにいるの?」
女性はしばらく黙っていたが合わせていた手を離して何かを抑えるような口調で子供に答えた。
「それはお母さんにも分からない。でももしここにお兄ちゃんがいた時のために一緒に手を合わせてお兄ちゃんに挨拶しておこうね」
「うん!分かった」
それから数秒静かに手を合わせた後、女性…母親とその子供はこのホームから去っていった。
僕はそれを見ると同時に少年の方も見ていた。恐らくこの女性は少年の母親で、ここに花を手向けに来たのだろう。その光景を彼はどんな様子で見ているのか時になったから。
やはり少年は母親と子供を見ていた。胸から込上げる物を抑えているような口元と憧れや羨ましさを含んだ目線でその二人を彼はホームから出る最後まで見ていた。
その時僕は僕らしくもなく、少年に同情してしまっていた。ほんの数メートル先にいるのに母親には少年が見えていない、少年も何も言えずにただ自分が欠けた家族を眺めていることしか出来ない。
そんなストーリーは幽霊物の小説ではありがちだった。でも、それを自分の目の前でやられたらどうだ。もう胸も脳も…心臓も、はち切れそうなほど切ない気持ちでいっぱいになってしまった。
太陽が沈み外灯で照らされるホーム、東から吹いた風がまた少年の髪を涼しそうに通り過ぎていった。
僕は冷めやらぬ動悸を沈めるためベンチに体を預けた。僕は少年から目をそらすため反対に顔を向ける。ただ、丁度そこには彼のために供えてある花があった。
オレンジの外灯で薄暗く照らされている花を改めて見ているとさっきは気づかなかった物がそこにあった。
綺麗に包まれた花束と一緒に勿忘草が二、三本添えてあったのだ。
茎から伸びた可愛らしい小さな青紫色の花を沢山咲かせている。恐らくあの子供が道で生えているのを供えるために摘んできたんだろう。
偶然その花言葉を知っていた僕はまた胸に来るものがあった。あの子供が花言葉を知って供えたかは知らない、でもその言葉の温度だけ伝わっていればいいなと心の内で願うばかりだった。
その時、周りの草木を大きく揺らす風が吹いた。僕は何故かとても嫌な予感がして少年の方に振り返った。
でももうそこには見慣れた少年の姿はなく、外灯で薄く照らされたホームしかなかった。
僕の心臓は誰かに優しく握り締められているかのように切なく、今にも泣き出してしまいそうな情動が住み着いていた。
でも不思議なことに涙は一粒の落ちないし、気づけば僕は無表情に少年がいた場所を見つめていた。
彼は成仏したのだろうか、それともあの母親について行ったのか。初めて現れた時は鬱陶しいと思っていたのに、今ではこのホームが無駄に広く感じてしまう。
僕は何ともなしに空を見上げた。星座なんて、てんでわからないけどその星空は今の僕の心を少し落ち着けてくれた。
…なんて僕が少年が消えたことに対して感傷に浸っていたのにも関わらず、東から太陽が昇る頃には少年が知らぬ間にいつもの場所に立っていた。
僕は僕の心を勝手に掻き乱した少年に対して八つ当たりに等しい怒りを腹の中で育てていた。
それでもやっぱり彼がここにいることに対して満更でもない僕も腹の中に住みついている。
そんな僕の一喜一憂も知らずに少年は今日も今日とて、止まる電車から降りる人達を彼は眺めている。でもその様子が今日はいつもと少し様子がおかしかった。
いつもの悲しさ混じりの顔じゃない、明らかに今日何かがあるかのような希望に満ちた表情をしている。まさか今日、彼が待っている誰かが来るのだろうか。
昨日花を手向けに来たのが母親らしかったからその線は薄いとしても僕には見当もつかない。
父親か友達か、もしかしたら彼女って線もあるかも知れない。
しかし今の僕は誰が来るかなんてこの際どうでもよかった。ただ気がかりなのはその待ち人が来た時に少年の姿が見えるのか、言葉が届くのか。
地縛霊である少年の事は今のところ僕以外の誰にも見えていない。不思議な愛の力とか神様の慈悲でも無い限りきっとその待ち人にも彼の事は見えないだろう…
それは昨日の母親の時と同じように…伝えたい言葉も合わせたい目線も全てが空に舞う。一方的な感情を抱えたまま、去っていく背中を見ることしか出来ないあの時のような…
僕はまた哀情による情動で今にも心臓が破裂していまいそうになっていた。
昨日、あの少年の悲しそうな顔を見たあとでは尚更だ。もうこれ以上、あの顔を見たくない。さらに少年を苦しめる物を増やしてあげたくない。
連なっていく思考は僕が最初に捨てたものを拾おうとしていた。
もういっそ少年に君は幽霊だと教えてあげるのがいいんじゃないか。君は幽霊だから姿も言葉も僕以外には見えないんだと、はっきり伝えてあげた方がきっとこれから来るであろう大切な人との再開で傷つくことも無くなるだろうから。
でもそれは僕に災難が降る可能性もある。真実を突きつけられた少年は逆上して僕に何をするかわからない。
…ただ、もうそれで彼の傷が減るなら僕はそうなったとして一向に構わないと馬鹿な事を考え始めている。
無関係な少年、血も繋がってなければ知り合いでもない。ぼくが毎日一方的には眺めていた幽霊に過ぎない。放っておけば何事も無く僕の日常は進んでいく。…本当にそれでいいのか?なんて。
僕はどうやら他の人より情が移るのが早いらしい。ただ毎日見ていただけで自分の身すら捧げようと言うんだから。
馬鹿らしい、辞めておけ、関係ないだろ。脳は常にそう言ってるが、それに反し僕はもうベンチから立ち上がっていた。
もうこうなればなるようになれと少年の方に足を踏み入れた時、僕の後方からトンネルで反響する電車の音がした。
その音はどんどんこちらに迫っていた。そしてトンネルから顔を出したらもうこの駅まではすぐだ。
僕はまたベンチに座り直した。もしこの電車にその待ち人が乗っていたら今彼に話しかけても間に合わないし、この電車が行ってからにしようと思ったから。
二両編成の電車は徐々にスピードを緩めてゆっくりとホームの横に止まった。その中から一人、また一人と電車から降りていくのを少年は逃すことなく目を配る。そして全員降りたかと思ったその時、少年の顔が太陽のように明るく輝いた。僕はその後の光景をただ眺めていることしか出来なかった。
「お母さん!!!」
そう叫んで少年はある一人の女性の元へ抱きついた。
「ただいま、拓也」
優しい声でそのお母さんと呼ばれた人は少年の頭を撫でている。
「お母さんもう体は大丈夫なの?」
「うん、心配かけてごめんね。もうどこにも行かないから」
そう言い合って二人は暫く、抱き合っていた。少年の顔は今まで抑えていた涙が際限なく零れていた。
「でも拓也。お母さん、おばあちゃんから聞いたんだけど、お母さんが帰ってくるすごく前から駅で待ってたんだってね」
「うん…だって心配だったから…」
「でもお母さん、帰ってくる日を教えたでしょ?」
「…もしかしたらそれよりも早く帰ってくるかもしれないし…」
「それにしたって夜中までいちゃダメでしょ。いくら田舎だからって危ないしおばあちゃんも足が悪くてここまで迎えにこれないんだから」
母親の説教の後、少年は下を向いて黙り込んでしまった。それを母親は手で涙を拭いたあと優しく抱きしめた。
「ありがとうね、拓也。でももうこんな危ないことしちゃダメだからね」
「うん…うん…!」
また二人は泣きながら抱きしめ合っていた。その隣、気がつけば一人髭を生やした男性がたっているのに気がついた。
「拓也、いい子にしてたか」
男性がそう少年に尋ねた。
「うん。いい子にしてたよ」
「よし!じゃあ今日はおとうさんが家まで肩車してやろう!」
そう言うと男性は軽々と少年を肩に乗せてみせた。
「男の子はやっぱ、このくらい根気強くなきゃな」
男性は笑いながら女性に問いかけた。女性はそれに少し反論しているようだったがやはり、その顔は笑っているように見えた。
そして三人はこの駅のホームから姿を消した。
僕は一体目の前で何が起こったのか、当然理解できなかった。自分が今までそうだと思っていたものが一瞬にして全て崩れ去ったのだ。だからそこ分からない事もたくさん増えて、もう訳が分からない。
少年は幽霊ではなかった?二週間もここにいたのは待ちきれなかったから?夜中でも迎えが来なかったのは少年のお婆さんの足が弱かったから?
じゃあ、何だ。あの雑貨店で聞いた話は。
じゃあ、何だ。花を手向けに来たあの親子は。
じゃあ…何だ。この心をざわつかせる何かは。
僕は頭を抑えていつの間にか怯えていた。これ以上、この事を考えては行けない。そう脳が叫んでいた。
ベンチに座っていながら心臓の鼓動が早く、重いものに変わっていく。このままいけば心臓が喉から吐き出てきまいそうな、破裂してしまいそうな、そんな気がするほどだ。
僕は暫く、その症状と渦を巻く思考回路を押さえつけた。それから数時間経って僕はやっと顔を上にあげることが出来るほどに回復した。
この時の僕はあの少年に対して恨みのような呪いのような利己的感情を抱かずにはいられなかった。でもそんなことを考えていたらまた頭が痛くなっていくので深く深呼吸してから僕は立夏の夜空を眺めることにした。
丁度、その空に黒い鳥が宵闇に紛れて空高く飛んでいくのが見えた。
ふと、僕の耳に一人分の足音が近ずいてくるのが聞こえた。あの少年以外、滅多に夜のホームに来る人なんて居ないのに一体誰だろうと音の方を見ていた。暫くしてその足音の正体がホームに姿を現した。それは前に一目見たあのスーツ姿の男性だった。
何やら緊迫した様子でこちらに寄ってくる。どんどん近ずいて行くにつれ、顔のやつれ具合や目のくまも見えてくる。
そしてずんずんと近ずいてきて、僕の目の前を通り過ぎ、あの花束が添えてある場所で足を止めた。
それは今僕がいる場所とそれなりに近く、せっかく静かに夜空を眺めていたのに邪魔だなと思った。
夜空に目を向けようとしても誰か近くにいたんじゃ気になって仕方ない。僕は男性の背中に目を向けた。
さっきからずっと花束を見て静に佇んでいる。今の僕はそんな悲しそうな背中を見ても同情も何も浮かんでなんか来ない。ただ、何もしないなら早く帰ってくれと冷たく思うだけだ。
それなのに男性は動く気配すら見せず数十分がたった頃、風が草を切る音に紛れて声が聞こえた。
「…ごめんな」
「父さんはお前のこと…何も分かってなかった…分かってる気でいたんだよ」
「あの時はまた無茶なことを言ってるって思ってしまったんだ…お前がどれだけ本気だったとも知らないで…」
「お前が言い争って出て言った時もすぐ帰ってくるだろうって楽観視してたんだ、どうせいつもの親子喧嘩だって…」
「父さんが直ぐに追いかけていれば…お前も死ぬ事なんて……」
「許してくれなんて言わない…ただ一方的に謝らせてくれ。お前の夢を馬鹿にして本当にごめんな………」
…何言ってるんだこの人は。赤の他人がすぐ近くにいるのにベラベラと。
当の本人はいつの間にか地面に膝を着き、声を殺して泣いていた。
正直、僕にはここで僕の知らない誰かが死のうと、そのせいで誰かが涙しようが心底どうでもいい。とにかく今は少年のせいで狂わされた脳を正常に戻すのが先決なんだよ。
だから供えられた花も勿忘草も知らない人の謝罪の言葉も、頭のノイズを増やす余計な情報でしかない。
本当に早く帰って欲しい。邪魔で仕方ない。煩くて仕方ない。今更、謝罪なんてして欲しくない。
謝罪なんて…?謝罪なんて余計なノイズでしかない。
頼むからこれ以上僕に余計な情報を与えないで欲しい。次から次へとキリがない。
それにこの人はいつまでここにいるつもりなんだ。いるだけで邪魔なのに啜り泣かれていたら更にだ。
もうこの際、面倒臭いが直接話しかけて帰るよう促すしかないか。さぁなんて言おう。なんて言おう?
いや、適当に夜遅いから早く帰った方がいいとか言って帰らせよう。…いや、違うそうじゃない。
何だ、何なんだよ、僕は。冷静になれよ。きっと色んな事が立て続けに起きたから混乱して思考もまともに動いてないだけなんだ。
もういい、この男性に話しかけなんてしなくても僕がここから逃げればいいだけの話だ。
そう、遠く、遠くだ。逃げるために。誰にも見つからないような。無人の……違う…
全部違う…なんもかも僕の目に映るもの僕自身で全部ねじ曲げている感覚がある。いや、それは事実だ。僕は目を背けてた。
少年だって人だった。お婆さん達の話も知っていた。花束も女性も、この男性も知っていた。僕自身も人なんて物じゃ…
気づいたら僕は泣いていた。というのは比喩でしかなく、僕は泣くことなんてできない。
少年の様に立夏の風を感じることも、夕日の温度を知ることも、供えられたは花の匂いも、誰かに僕の言葉が届くことも…
ただ、今自分は泣いているんだろうなと思わせる心があった。渦を巻く記憶が僕を僕でないものとしようとしている。いや、僕を僕にしようとしているのかも知れない。
ならもう…待たなくて…いいのかな。
その一瞬、頭の中の煩わしいもの全部が消え去った。突風が草木を揺らす、僕の体を通り過ぎて。
すっとベンチから立ち上がった。そしてしゃがんでいる男性を後ろから抱きしめた。僕は…
「ごめん…なさい…変な意地はってごめんなさい…邪魔なんかじゃない…僕はずっと父さんを…待っていんだから」
透明な僕は父親の温度すら感じることは出来ない、涙さえ流せない。でも、謝罪の言葉だけが届かないと知っていても滝のように口から落ちていく。
でもその時僕の耳には小さくても確かに「ありがとう…」そう聞こえたんだ。
僕の抱いていたもの全てが報われた気がした。それに気づいた時、僕は風になっていた。森の木の間を縫うように進んで、川に流されるように僕は空に昇っていった。外灯で照らされたホームも、町の薄明かりも小さくなっていく。
悲しさもあった、寂しさもあった。でも僕の体は周りに流され、どんどん登っていくばかり。
僕はまだ伝えきれてない。謝罪だけじゃないもっと色んな事が、伝えたい言葉が沢山あるんだよ…
あの時は悔しくて逃げてしまったけど、本当はそんな結末にしたくなんてなかった。
…僕は満点に輝く星の海に一つお願いをしてみる。
もし、僕の罪が許される時が来て生まれ変われるのなら僕を鳥にしてください。いいや、羽根でも足でも家族の元に行けるならなんでも構いません。
願いを空に吐いた。星の光がどんどん強さを増していく、それは夜とは思えないほどに僕の全身を光で覆った。
気づけば僕は光の中にいた。そしてまた僕が目を覚ます時、僕は何になっているだろう?
翼があって欲しい、足があって欲しい、何なら雲でも水でもいい。
いつか家族の元に行けたなら、きっと僕はそれで満たされるのだから。
勿忘草の花言葉「私を忘れないで」
最後までご覧頂きありがとうございます。誤字脱字などがありましたら申し訳ありません。
今回は叙述トリックの様な短編を書いてみました。ネタバレ回避のためその単語はキーワードに入れておりません。
あと意図的に少年が何故死んでしまったかを詳しく書かなかったのですが、もしご要望が多ければ書くかもしれないです。
ありがとうございました。