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罪の色  作者: 鹿島彩斗
1章 憂鬱
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3話 夕暮れ時に鬼は現れる

今週の土曜日、つまり4日後に出かける約束を交わしたサライは、菜緒を見送った後も、海岸のいつもの場所に腰を下ろしていた。


菜緒との約束は午後2時に駅前に集合とのことだった。

菜緒を見送ってそのまま病院へ帰らなかったのは、自分が抱いている感情に戸惑っていたからだろう。


もう少しだけ海を眺め、自分が見る光景の良し悪しを考えようとしていたのかもしれない。


随分と時間が経ち、日が沈み始めたところで、自身の考えがまとまることもなく、病院へ戻ろうと立ち上がる。

サライにとって夜は天敵だ。光を白色、影を黒色としか認識できないサライにとって、太陽の光がないというだけで、視界の大半は闇で支配されてしまう。


時間に追われて、思考を断念し、岩壁へ上がる。

その時だった。

地ならしのごとく揺れがサライを襲った。

聞いたこともないような激しい音が鳴り響き、サライの注意を奪う。

音の方へと視線を向けると、そこにあった砂浜が土煙のように宙に舞い、大地を酷く抉っていた。

サライは周りに注意を配りながら、そのえぐれた砂浜の方へと足を進めた。


一人分の足跡を残す砂浜は、普段歩かないせいなのかサライの足取りをより一層重くさせる。

やがて土煙のように舞い上がった砂は、あるべき浜へと戻り、えぐれた大地の全体像を浮き彫りにさせる。

さらに覗き込むように近寄ると、底の中心に何かがあることに気づく。

足元に気をつけながら、さらに近づいていくと、サライはより分からなくなった。


現実感を失わせるほどの恐怖が、ジワリと嫌な汗を浮かび上がらせる。


それは人のようだった。


ようだったと形容したのは見るからにそれが人間ではなかったからだ。

傷だらけのドレスにたくさんのシミを作り、それに身を包んだ女性の頭部には鋭く尖った鋭利なツノが生えていた。

よく見ると口元からも牙のようなものが見え隠れしている。

見るからに怪我をしているようで、ドレスを汚しているシミはもしかしたら血液なのかもしれない、とサライは思った。

現にそれ赤黒い血の痕跡だった。


「いや……」


これは怪我とかそう言ったレベルのものではないとすぐに気がついた。

右腕はつながっているだけで肘のあたりからごっそりとけずられ、そもそも左腕は紛失し、血しぶきのようなものを撒き散らしていた。

そんな時、声が聞こえた。


「そこの人間、私を助けろ」


不気味な声だった。

ここから離れろという意思とは裏腹に、足は言うことを聞かない。

感じているのは恐怖だ。人が恐怖を感じた時に起こる現象は、その恐怖のランクによって体の反応は変わる。


1つは腰が抜ける。下半身に力が入らなくなり、立っていられなくなる。

1つは泣きわめく。恐怖という感情を打ち消そうと、その感覚を狂わせる。

1つは何もできない。金縛りのごとく、脳は冴えていても、脳からの命令に体が答えない。

サライはかつて感じたことのないほどの恐怖を味わっていた。


「人間、言葉は通じているはずじゃ。私を助けろ」


不気味な声はサライに届いているが、やはり体は動かない。

そんな時、クレーターのようにえぐれた砂浜に海水が流れ込む。

みるみるうちに海水が満たしていく。

そのおかげなのか、せいなのか、サライは動けるようになっていた。

危うさしか感じられない中で、人間ではない何かを、放っておくことはサライには出来なかった。


それはきっと、菜緒がつい先ほど言っていた恩をばらまくという幼稚な考えを、その生き方を真似したかったのかもしれない。


「僕は何をすればいい?」


サライは人とあまり会話をしたことがない。

だからこういう時にどういう話し方が正しいのか分からない。

菜緒を初めて見たときは何となく年上であると感じたが故に、形式上は敬いを装った。

しかし今は相手が謎に包まれている。

それに加えてサライは恐怖を感じている。

恐怖を感じていることを悟られないように、少なくとも口調は対等であるように見せる必要があった。


「いいぞ人間。まずは浜にあげよ」


言われるがままに、体を抱きかかえた。異様に軽かった。異常に冷たかった。


「お前は……、なんなんだ」


「誰に向かって無礼な口をきいておる。私はかの有名な百鬼夜行の娘であるぞ」


誰もが知っていて当然であるかのように、そしてその名を耳にすれば誰もが畏怖し、敬うのが当然であるかのように、そんな口ぶりで彼女は公言する。


「百鬼……、娘? 鬼……なのか?」


「そうじゃ。人間、下等な生物よ。貴様に私を助けさせてやる」


まるでそれが名誉であるかのように、こんな傷だらけで生きていることが不思議なくらいの鬼は、サライを、人間を、見下している。

弱々しい声で、言葉を発するたびに血液で口を汚しながら、それなのに視線は突き刺さるように痛い。


「僕に傷は治せない。僕にお前は救えない」


「心配はいらん。血を流しすぎただけじゃ。補給すれば再生する」


「僕の血をよこせ……と、そう言っているのか」


「足りぬ、貴様ごときの血の量では圧倒的に。差し出せ、生の源を。心臓を献上せよ」


肉体が、精神が、存在が凍りつくような冷徹な言葉だった。


--逃げろ。


頭は冷静だ。こんな手負いで捕まるはずがない。逃げ切れる。


--見捨てるのか。


感情は揺らいでいた。ここで見て見ぬ振りをするならば、菜緒との会話で感じたもの全てが偽物だったと証明することになる。

選択するのは助けるか助けないかではない。

サライが変わりたいのか変われないのかだ。


「頼みごとが2つある」


「よかろう。特別に聞いてやる」


「1つは音宮菜緒という女性に伝言を、頼みたい」


サライはこれで最後に変われるのだろうかと、過ちだらけの過去を思い返しながら考える。

答えは見つからない。


「その伝言とやらはなんじゃ。言うてみよ」


「一言、約束守れませんでしたと」


「確かに、伝えてやろう。2つ目はなんじゃ」


「僕は自殺が嫌いだ。この世の中で何よりも嫌いだ。だから鬼、お前が心臓を奪え。お前が僕を殺せ」


「変わった人間もいたものよ。聞き届けた」


そして覚悟する。

こんな状況に陥って気づかされた。サライは菜緒と出会い、僅かな時間で特別な感情を抱いていた。

そして何より菜緒と出かけることを楽しみにしていたのだと思い知らされた。


それでも愚か者は、菜緒と会話して得た感情を、無意味なもにはしたくなかった。これで変われなければ、今までと同じような無感情に送る日々に価値など見出せない。

最後くらい誰かに必要とされたい。

それが人間でなくとも。

それが菜緒でなくとも。


鬼の右手がゆっくりと持ち上げられた。繋がっているのがギリギリな状態のボロボロの腕。

ゆっくりと少しづつサライの胸へ伸ばされる。


サライは乱れた呼吸を、伸ばされる手と同じくらいのスピードで、ゆっくりと整える。

頭の中は菜緒のことでいっぱいだった。

そして鬼の手がサライの胸に届く。

ほんの一瞬、体が凍りついた。寒さは感じなかった。

痛みを感じる間も無く、抜き取られた自分の心臓を、ぼんやりと視界が曇るまで、眺めていた。

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