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罪の色  作者: 鹿島彩斗
1章 憂鬱
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1話 4分33秒の世界

サライは海が好きだ。


押し寄せてくる波が、その音が、否応無く心を浄化してくれる。


サライはテトラポットが好きだ。


ひんやりとしたコンクリは、一人腰掛けるには丁度良く、手を伸ばせば水面に届きそうで、届いてしまえば落ちそうで、そんな曖昧でもどかしい関係が、どことなく好きだ。


サライは病院を抜け出して、そこからほど近い海岸に足を運んでいた。

何をするでもなく、ただテトラポットに腰掛けて、目を閉じる。

暗闇の中でただ音だけを聞き、考えることをやめる。


きっと、好きになるものは何でも良かったのだと思う。考えることをやめられるものであるなら、サライはきっとそれを好きになる。


逆に言ってしまえば、好きなものがなくなれば、どうしても考えてしまうのだ。

あれからまだ一週間と経っていない。

どうすればいいのか分からない。そんなことは誰からも教わっていない。


「あなたが憂鬱くんですか?」


後ろから声がした。

包み込んでくれるような優しい声だった。

サライを憂鬱くんと呼ぶのは、同じ学校に通う生徒だ。

サライにとって学校とは、唯一母親から解放される環境であったはずなのに、それと同等に息がつまるものだった。


「無視は酷いです」


それから声は聞こえなくなった。


◇◇◇


何日が経過したのだろう。

何回同じことを繰り返したのだろう。

あの優しい声は毎日一言だけ、聞こえていた。

様々な切り口から会話を試みては、サライが反応せずに始まる前に終わっていた。

そんなやりとりに懲りることもなく、毎日通い続ける理由はなんなのだろうと、気になり始めていたのかもしれない。


今日も今日とてサライは病院を抜け出した。

8月の海岸は海水浴客で賑わっている。それもそのはずで、どの海岸であっても、海が賑わうのは、この辺がピークといっていい。


テトラポットに座っている海水浴客など皆無なわけだが、それでもサライはいつもの定位置に腰をかけ、目を瞑る。

無理強いされた習い事ではあるけれど、その中でもピアノだけは興味をそそられた。

それ故に音がもたらす自由さをサライは知っている。


ジョン・ミルトン・ケージの「4分33秒」のような無音の音楽があるように、様々な雑音や自然的な音、人々のざわめきなど、そんなものですら音楽は成り立ってしまう。

それがサライの心を埋めてくれる。


不意に足音が聞こえた。


徐々に近づいてくるそれは、いつも一言だけ声をかけては、反応を得られないと分かると去っていく、あの優しい声の持ち主だと想像に難くない。

今日はどんな一言を口にするのかと、耳を傾けた。


「自殺はいけません。殺人や強盗や強姦よりも、何よりも、自殺しちゃいけないんです」


唐突だった。あの優しい声は今はどこにも感じられない。しかし同じ人物であるのは疑いようがない。いつものように無視することもできたのだろうけれど、サライは口を開くことにした。


開口一番に馬鹿げたことを口にした人物に、その内容に憤りを覚え、この感情をぶつけなくては収まらないほどに、サライは昂っている。


「僕が自殺しようとしている人間に見えますか?」


ここ数日、どんな言葉を投げられようと一切の反応を示さなかったサライが、初めて振り返り、そして目視する。


夏服用の制服に包まれ、すらっと伸びた髪をなびかせて、少女はにっこりと微笑んだ。


心外だった。

サライがなによりも嫌う自殺という罪、それをサライ自身が実行しようとしていたように彼女には見えたのだろう。

目と鼻の先には砂浜があり、浅くはないのかもしれないけれどそれほど深くもない。そんな海に、テトラポットから身を投げたところで、人はそう簡単には死なない。死ねない。

その発言だけでもサライは腹を立てていた。


「見えるかどうかでいえば、微妙なところだと思います」


悪びれることもなく、少女はいつまでも笑顔を絶やさなかった。

それならばどうして自殺という内容を持ち出したのだろうか。内容がサライにとってピンポイントとすぎる。


「あなたの発言に対する質問の答えになっていません」


「こう言えば、憂鬱くんならきっと返事をしてくれると思ったんです」


ここ数日間の一方的なやりとりが、そうでなくなったこと自体がよほど嬉しいようで、サライの威圧的な態度にも臆することがない。


「それなら初日にそう言っていれば、僕はもっと早くに反応を見せたはずです。自殺願望はありませんが、今日そのように見えたのならそれは初日も同じはずです。それほど僕は僕に変化がないことを自覚しています」


サライは自分のことを理解しているつもりだ。全てではない。自分でも分からないことがあると理解した上で、自分を客観的に分析出来ている。


自殺とまではいかなくとも、生きている過程で、覇気が感じられなかったり、感情が多少欠如していたりすることは自分でも認めるところだ。

そのせいできっと憂鬱くんなどと呼ばれるようになったまである。


「何事もアプローチが大切なんです。興味を持ってもらえなければ、どんなことでも興味がわかないんですよ」


サライはそう言われて納得してしまった。

声をかけられて、憂鬱くんと呼ばれて、鬱陶しく思ったからこそ無視を決め込んだ自分。

それを何日も根気よく続けられて、根負けした自分。

少女の言う通り、興味を抱いていたことを自覚する。

しかし、それがすべて手のひらで踊らされていたのだということは認めたくなかった。


「あなたに興味はありません」


そういってサライは冷静さを保つことにした。


「女の子に対して酷いです。ひねくれすぎです。中学生には見えません」


サライの見たところ、年上のように感じられた少女だが、話していくうちにどこか幼さが見え隠れする。


「年相応だと思います。女性に声を掛けられたら警戒してしまう、そんなお年頃なんです。照れ隠しです」


「冗談は言えるんですね。よかったです」


ほっとしたように肩をなでおろし、少し困ったように、けれどそれでも少女は笑っていた。


「それと憂鬱くんと呼んでごめんなさい。私はあなたのことをそんなことしか知らないんです。お姉さんに自己紹介をしていただけると嬉しいです」


非礼を詫び、頭を下げた少女はいたずらに微笑んだ。


「神城サライです。中2です」


「では改めましてサライくん。私は音宮(おとみや)菜緒(なお)と言います。ピッチピチの女子高生です」


やはりサライの見かけ通り年上だったらしい。


「……以外です」


「サライくんみたいなやさぐれている男の子に声をかけたのが超絶美少女だったからですか? 年上のお姉さんだっからですか? それとも惚れちゃいました?」


「いえ、まったく。ただ、中学生から見た高校生って、なんというかもっと大人だと思ってました」


素直な感想だった。きっとサライだけが思っていることではないだろう。それほどまでに義務教育であるか否かという問題は大きいように思う。

単純な年齢差よりも比較するものが多いというだけで、やはり自分とはかけ離れているものだと思うのは当然のことだ。


「あのですねサライくん。女の子はもっと丁重に扱わないとダメなんですよ。可愛さを否定したり、体で子供扱いしたりしては絶対にいけません」


「別に体で大人っぽさを否定したわけではないです。ですが体も子供っぽいと思います」


正直な感想だった。


「サライくんは何も分かっていません。これからみっちりばっちり、女の子がどんな生き物なのか叩き込みます」


「別に興味ないです」


「ほらまた、女の子に興味ないは禁句です。それと胸の小ささと体重には触れないこと、いいですか?」


「は、はい」


「ねぇ、サライくん。知っていますか――」


いつしか二人ともテトラポットに腰掛けて、沈む夕陽を眺めながら、くだらない話に花を咲かせる。

それは無音の音楽の雑音ノイズのような、そんな音だったのかもしれないけれど、そこには二人だけの自由な世界が広がっていた。

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