五章 宝を守る大蛇と、砂の亡霊(1)
地下通路を、ノエルがラビを背に乗せて風のように進む。
彼が勢いよく四肢で駆けるのを、優雅な漆黒の毛並みの下にある、熱を持った筋肉の動きでも感じていた。ラビは振り落とされないよう、しっかり背にしがみついて前方を見据える。
『このまま一気に地上に出る。風圧がきついだろうから、ちょっと息を止めてろ』
「分かったッ」
耳元でバタバタと鳴る風の音に負けないよう、ラビは叫び返して身構えた。
落ちてきた穴の真下に到着した瞬間、ノエルが四肢を踏みしめて、高く跳躍した。ごぉっという風音が上がり、真っ直ぐ上へと向かう彼の背で、呼吸を止めた数秒後、ふわりと浮遊感を感じた時には、先程の広間に踊り出ていた。
天井が少し近く感じるくらいまで、高く飛んでいた。
上昇がやんだ彼の背中から、ラビは眼下の光景を見下ろして、びっくりして声が出なかった。
中央に開いた大きな穴辺りにいたセドリック達が、気付いたようにこちらを見て目を見開いた。けれど、それにすぐ応える余裕はなかった。何故なら、彼らのいるスペースを残して、一帯を蠢く何かがびっしりと覆ってしまっていたのだ。
よくよく見れば、それは床が見えないほど大量に重なった蛇の群れだった。周囲の壁の下部分も埋まってしまい、支柱にも巻きついて、もぞもぞと身体を動かしている光景に、ラビはゴクリと唾を飲み込んだ。
「うわぁ……予想以上に数が多い……。これは、ちょっと気持ち悪いかも」
『想定以上の大集団だな』
同じように眼下に広がる蛇の群れの様子を眺め、ノエルが普段はある荒っぽい口調を、まるでうっかり忘れたかのように『これは予想外の数だ』と口にした。落下の軌道を、セドリック達の元へと向けながら、ふと、奥の暗がりへ目をやる。
その瞬間、しがみついている背中ごしに、彼の身体がピキリと強張るのを感じた。どうしたんだろう、と思って同じ場所を確認したラビは、大きな金色の瞳を見開いた。
そこには、持ち上げた首が二階部分を越える巨大な蛇が、どっしりと身を構えていた。外で見た巨木を思わせる身体は、鮮やかな橙色とアメジストの斑模様で、影になった頭部分から見える瞳は、生気を感じない黒曜石みたいに真っ黒だ。
「あれが術具の蛇……、デカい。見た事もないくらい巨大なんだけど、あの、えぇと、その…………妖獣世界の蛇って、なんだかすごいんだね」
『お前、今、後半でいっぱいになって感情ごと丸投げしただろ。妖獣世界の蛇っつったって、全部があんなんじゃねぇからな?』
それホントなのかな、とラビは思ってしまう。だって大蛇は、民家一つくらいペロリと食べてしまいそうなほど巨大だったのだ。分厚くなった盾のような、蛇皮の一枚ずつまでハッキリと見えるくらい大きい。
下からこちらを見上げた三人盗賊団のベック達が、ゆるやかに高度を下げてくるラビの姿に気付いて、遅れてわたわたと騒ぎだした。
「おいおいおいっ、凶暴なガキが落下してくるぞ!」
「兄貴ッ、蛇のところに落ちたらどうする!?」
「どうにかして受け止めなきゃだぜッ」
そばにいたヴァンが、片耳に指を突っ込んで、煩いなぁと言わんばかりの表情で彼らを見やってこう言った。
「あいつは獣師で、ちょっとした事情で『今は透明になっている狼』がついているから大丈夫だ」
それを聞いたベック達が、怪訝そうに「透明になった狼?」と声を揃えた。
すぐそこまで迫っていたラビは、一瞬だけノエルがふわりと落下を減速したタイミングで、彼の背から飛び降りて身軽に着地した。まずは状況を確認しようと思っていたのに、顎先に少し鬚を残したジンが先に声を掛けてきた。
「お前っ、無事だったか。どこにも怪我はしてねぇよな?」
「うん? オレは平気だけど」
どこかほっとした様子の彼を見つめ返して、ラビは小首を傾げた。
こちらに視線を向けてくる男達は、全員抜刀して剣を持っている状態だった。こんなに大量の蛇の大群に囲まれていた彼らの方が、大変だったのではないだろうか、と不思議に思いながら言葉を続ける。
「予想外に落ちたけど、ノエルと一緒だったから。戻ってくるのが遅くなったのも、ちょっと下を見てこようかってなってさ――ノエル、ありがとう、お疲れ様」
『どうって事ないさ』
ラビは、話している途中で、足音もなく隣に降り立ったノエルの頭を撫でた。誰の目にも映っていない彼が、上機嫌にその手に頭を擦り寄せる。
三人兄弟の盗賊団であるベック達が、揃って耳を叩き、動かされるラビの手元を凝視した。その息の合った仕草を見て、テトが「やっぱ兄弟なんだなぁ」と場違いな呑気さで共感を求め、ヴァンを困らせた。
その時、ラビはガシリと両肩を掴まれて、ノエルとの会話を続けられなくなった。何事だと思う間もなく、力強い手で身体の向きを変えられてしまう。
びっくりして目を見開くと、そこには幼馴染のセドリックがいて、高い背を少し屈めてこちらを覗き込んでいた。
「ラビッ、怪我はありませんか!?」
「へ? あの、別にないよ……?」
両肩を掴んでいる両手は、力強てびくともせず、そこから彼の大きな手の熱が伝わってきた。その後ろには、呆気に取られた表情を浮かべたサーバがいて「剣を投げ捨てないでくださいよ……」と呟いている。
ただ一人冷静なユリシスが「珍しいですね」と言いつつ、上司のそれを拾い上げた。その様子を彼越しに目に留めていたラビは、茫然としつつ呆れた眼差しをセドリックに戻した。
「というか、セド……? サーバルさんがすごく反応に困っているみたいだけど、なんで剣を放り投げたの」
「ラビ、無事な顔を見せてください」
「また『話す時は目を合わせろ』ってこと? あのさ、今はそういう状況じゃな――ん? そういえば、体術得意なイメージなかったんだけど、セドってば、さっき凄く大きな瓦礫を蹴飛ばしてなかった?」
昔はよくあった距離感だったから、ラビは馴染みのある愛称で呼んでいる事にも気付かず、見上げてそう尋ね返していた。
目が合った途端、どうしてか、セドリックが真面目な顔で動かなくなってしまった。小首を傾げて「セド?」と確認してみたら、ますます凝視されて不思議になる。
「…………こんな時に、夢の光景がフラッシュバックするとは……」
「セド、何ぶつぶつ言ってんの?」
訝って訊いたところで、ラビは周りで蠢く蛇の群れの音にハッとした。
こんな事をしている場合じゃないのだ。肩に乗ったままの、すっかり硬直している幼馴染の手から離れると、「ちょっと集合!」と元気な声を上げて、上司の様子を不思議そうに見守っていた男達を呼び寄せた。
一同を集めたところで、穴に落ちた際に、ノエルが地下の方から何かを感じ取ったので、一緒に降りてみた事を話し聞かせた。
そこで小さな妖獣に会い、『砂の亡霊が守っている宝』は、彼が使える可能性の高い首飾り型の術具だと分かった事。それは巨大な蛇が持っている状況で、それを大蛇の身体から引き離せば、ここにいる全ての蛇も消えてくれる事……
現状を打開するための真面目な説明が始まってすぐ、セドリックも仕事モードに戻って、部下から自身の剣を受け取って真剣に聞いていた。騎士団だけでなく、気付くと盗賊団のベック達も耳を傾けていた。




