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【第2部・完結】男装獣師と妖獣ノエル  作者: 百門一新
第二部 ~第三騎士団の専属獣師になりました……~
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二章 王都編~伯爵邸での再会~(1)

――もう私も長くはない。さらばだ、友よ。


 ああ、おやすみ。


 俺はそう告げて、初めて長い時を共に過ごした人間の友に、別れを告げた。

 妖獣には生まれた時から役割を持つモノがいて、同種を持たない高位獣がそれにあたる。馬鹿みてぇに広い妖獣の世界で、俺もそのうちの一頭だった。


 人間界と妖獣界の繋がりが断たれ、どちらの世界も静かになった。


 どれくらいの時が経った頃だったか、俺は何気なしに腰を上げて、気まぐれのように再び世界の境界線を飛び越えた。脆く美しい人間界が壊れないよう、小さく、小さく……何者も怯えて逃げ出さない、出来るだけ地上の生物に近い形を整えて。



 時代をいくつも見るくらい、とても長い独りきりの散歩をした。

 こっちの世界で過ごした三つの節目を夢で思い出し、虚しさと共に目が覚める。


 人間世界を訪れて初めて脆弱な生物を知った頃、風変わりな人間の友に出会えた頃、そして初めての友の死――



 けれど、ここ十数年でそれも変わってきた。まだ続いている小さな女の子との暖かい風景が続く≪現在≫を、思い出すように夢に見ては、心地良いままに目が覚めるのだ。


 古き友の名は、今も忘れていない。

 あの時代は、人間の男も長髪は珍しくなかった。魔除けとして信仰ある術者には大切にされていた習慣であり、魔力が宿る性質から、魔術で使う事もあったからだろうと思う。


 今は稀にしか見る事がなくなった古い時代の夢の中で、あいつは、最期は真っ白になった見事な金髪をなびかせて、今夜も立派に弟子達に教えを説き続けていた。


             ※※※


 急きょ決まった明日の任務のため、その調査の部隊班メンバーとして組み込まれたヴァン、サーバル、ジン、テトは、セドリックから説明を受けた後、すぐに戻れない副隊長の代わりに付いたユリシスと共に、王都にある第三騎士団の本部へと向かった。


 ラビは彼らと王宮のすぐ外で別れた後、王都で世話になる宿をセドリックに案内してもらった。そこは王宮と第三騎士団本部に近くにある、それぞれの部屋に個別にシャワー設備があるアパートメントタイプの宿だった。


 荷物を仕分けながら、それとなく明日の事を訊いてみると、部屋まで迎えに上がるので支度して待っていてと説明された。


 専用馬車だと目立ってしまうので、調査任務には一般馬車を使うらしい。騎士団といった組織から優先的に依頼を受けているところがあり、これから手配と調整にあたるので、交渉によっては出発時間が少し遅れる可能性もあるのだという。



 これから世話になる宿が決まった後、ラビは王都に来た挨拶をするため、続いてセドリックと一緒にとある豪邸に立ち寄った。



 やってきたのは王都にあるヒューガノーズ伯爵家本邸である。セドリックやルーファスの実家であり、伯爵夫人が身ごもって体調を崩してしまう前までは、忙しいヒューガノーズ伯爵と共に暮らしていた本邸だった。


 到着して早々、ラビは予想を上回る豪勢で立派な伯爵邸を見上げて、唖然と口を開けていた。訪問を歓迎するように、屋敷の入口に何十人もの使用人が並ぶ光景に、思わず「これは現実なのだろうか」と目を擦ってしまう。


 一人の男性使用人が「帽子をお預かり致します」とやって来て、促されるがまま帽子を預けた。彼が離れて行ってようやく、ラビは思考停止状態が解けて口を動かした。


「…………ノエル、これって家なの? 公共施設とかじゃなくて?」

『…………まぁ、貴族の屋敷ってのはこんなもんだ。ホノワ村にある別荘は、比較的小さい造りをしてるからなぁ。驚くのも無理はないかもしれねぇ』


 いつものようにこっそりと声を掛けると、隣にいた物知りなノエルが『伯爵クラスだったら、これくらいは使用人がいる』とも補足した。


 その時、中年の執事に手短に指示を出していたセドリックが、こちらへと戻ってきた。そして、前触れもなく背を屈めてこちらの顔を覗きこんでこう言った。


「また『ノエル』と内緒話ですか?」


 気のせいか、セドリックの機嫌がひどくいいような気がする。

 普段なら困ったように笑って、あまり顔を近づけてくる事もないのに、彼はとても嬉しそうな表情をして、愛らしいと思っていると錯覚してしまうような優しい目で微笑んでいた。


 なんだか気恥しくなって、ラビはむっとした表情を作って彼の顔を押し返した。


「なんだよ、向こうの人達には怪しまれないように喋っているんだし、別にいいじゃん」

「寂しいです、僕と話してください」

「は…………?」


 こいつ、どこかに頭でも打ったんじゃないだろうか。


 なんで少し話しをしなかっただけで『寂しい』になるのだろうか、とラビは訝った。四歳も年上の癖に、やはり弟みたいな彼をまじまじと見つめ返した後、やはり顔が近いのが気になって「というか、覗きこんでくるなよ」と言って押しのけた。


 すると、セドリックが続けてこう言ってきた。


「こうでもしないと、ラビはあまり目を合わせてくれないじゃないですか」

「またいつもの説教?」


 この幼馴染は常々、話す時は人の目を見て……という感じの事を言ってくる。いつも視線を合わせていない訳ではないのに、昔から大変しつこく続いていた。


 顰め面のラビの横顔を見やったノエルが、つい『理由は分からんでもないがなぁ』と呟いた時、セドリックが屈めていた背を伸ばして「それに嬉しい報告もあるんです」とにっこりとした。


「ラビの王都行きが決定してから、母が別荘の使用人を連れて伯爵邸に戻ってきたんですよ。おかげで毎日スコーン続きですし、父が特に嬉しがって数日は夕食が宴の席のようになっていました」

「えッ? 夫人がこっちに戻ってきたの? おめでとう!」


 それはとても目出たい話である。いつかは王都の本邸で一緒に暮らせるようになりたい、というのはセドリック達から聞かされていたので、ラビは素直に喜んだ。


「ラビが王都に到着する予定日は事前に知らされていましたから、母も張り切ってスコーンを焼いていますよ。父も朝はゆっくりと過ごしていて、あなたの顔を見てから出掛けるつもりで待機しているようです」


 ヒューガノーズ伯爵とは数ヶ月前に顔を会せたきりだったので、会えるのはとても嬉しい。自分が若い頃は美形ではなかったからと、長男を『妻に似て美しい』と妙な方向で褒める彼は、元気にしているだろうか?

 少し小腹もすいてきたタイミングだったので、伯爵夫人お手製の甘いスコーンが食べられるというのも楽しみだった。それは昔から、ラビの大好物の一つである。


 スムーズに話しをしていたセドリックが、そこで不意に「あの……」と少し視線を泳がせて言葉を切った。ラビは、それを不思議に思って「どうしたの?」と声を掛けた。


「伯爵を待たせているのも悪いし、早く行こうぜ?」

「その、家の中はかなり広いですし、ラビはこの伯爵邸が初めてで…………えぇと、出来れば僕が案内したいなぁと……」

「何言ってんの、案内してもらわないと分からないよ」

「……あの、そういう事ではなくて、つまり、その」


 彼はますますしどろもどろになり、口の中でもごもごと言う。


 屋敷の玄関前で待機していた使用人達が、「坊ちゃんファイトですッ」とどこか応援するように小さくメッセージを投げてきた。ラビは、セドリックの向こうに見えるそんな使用人達の光景に疑問を覚えて、意味が分かず顔を顰めた。


 ホノワ村にいた伯爵家の使用人たち同様、どうやら自分の金髪金目に対して、伯爵本邸の人達も忌み嫌うような目を向けていないらしいとは分かった。おかげで王宮や王都内を移動していた時のような居心地の悪さはない。


 けれどなんだか、到着してからずっと、正体の分からない熱い視線を向けられているような気もしていた。どうしてか知らないが、こうして立ち寄った事を、やたら歓迎されている眼差しでもあるような……


 ノエルが察した顔で、しばし待つ事を決めて腰を落とすそばで、ラビは自分の思い違いかもしれないと考え直して、幼馴染に視線を戻して尋ねた。


「セドリック、案内するのに何か問題でもあるの?」

「えぇと、実はその、両親が揃って待っている部屋まで、出来れば僕がエスコートしたいというか――」

「えすこーとって?」

「家の中は広いので迷子にならないよう手を取って案内したいと思いましてッ」


 何故かこれまでにない早口で、セドリックが一呼吸でそう言ってきた。


 何に対して慌てているのか、全く理解出来ない。広い家の中で迷子になる客人も多いから、手を引いて案内しているのだと言ってくれれば、こちらだって別に意地を張って拒否したりはしない。


 昔も、ホノワ村の伯爵家の屋敷に慣れない間は、ルーファスや彼が手を引いてくれていたのを覚えている。先程訪れた王宮でも目が回り掛けたので、うっかりどこかへ気を取られて迷子になってしまう可能性を考えると、手を引っ張ってくれる方が有り難かった。


 ラビは優しい幼馴染を見つめ返して、手を差し出した。


「うん、いいよ」


 そう答えた直後、セドリックが素早くこちらの右手を掬い取ってきた。大人になった彼の手はすっかり大きくなってしまっているのに、けれど不思議と、昔よりも握ってくる指先はとても優しく感じた。


 少しだけ、まるで手の形を確認するように握り直された。貴族としての礼儀作法なのか、指先をそっと握りこむように持ち上げると、もう一つの手まで添えて、彼が改めて正面から向かい合ってきてこう言った。


「いつか両親が揃った本邸に、こうしてあなたを招くのをずっと楽しみに待っていたので、とても嬉しいです」


 セドリックが、どこか照れた表情を隠すかのように微笑んで、ふんわりと目元を細めた。そっと手を引かれて歩き出したラビは、相変わらず弟みたいな幼馴染を思って「大袈裟だなぁ」と笑った。



 歩き出した二人についていきながら、ノエルはなんともいえない表情で、ついチラリと周りの使用人の様子を盗み見てしまった。


 ラビの金髪に苦手意識を持っていないばかりか、歓迎するように「ようやく坊ちゃまにも春がッ」と感動して瞳を潤ませるメイドや、手を叩いて「坊ちゃまがまた一歩踏み出したぞッ」と成長を喜ぶ男性使用人の姿があった。


「嬉し過ぎて台詞の組み合わせを完全に間違えてるけど、坊ちゃん立派になられて」

「本番まであとどのくらいかかるのか分からないけど、良かったですね、坊ちゃん!」


 そう言って、本気で感動し瞳を潤ませる中年の使用人達までいた。


『…………あの台詞に違和感を覚えない鈍さってのも、最強だよなぁ』



 ちょうど屋敷内に足を踏み入れたところだったラビは、その呟きが少し耳に入って、後ろを付いてくるノエルを見やった。


「どうしたの、ノエル?」

『いや、なんでもない』


 隣に移動してきたノエルが、溜息混じりに『気にするな』と言った。


 握られている手を少し引き寄せられて、ラビはそちらへと意識を戻した。目を向けると、肩が触れそうな距離にセドリックがいて、こちらを覗きこんでいた。


「彼がそこにいるんですか? 何か言ってます?」

「ううん、とくには何も」

「何も言っていない……」


 セドリックが何かしら思案するような表情をして、自分の中で再確認するように「『とくには何も』とすると……」と独り言を呟いた。


「…………つまり反対はされていない……という事か……?」

「何言ってんの、セド?」


 ラビは思わず、馴染みのある愛称名で彼を呼んだ。

 一瞬セドリックがピキリと固まり、それから手で顔を押さえて「……早めにこの距離感が欲しい」と、どこか悲壮感を漂わせて、またしてもよく分からない独り言を口にした。


 その時、ノエルのげんなりとした声が聞こえてきて、ラビは少し覚えたその疑問を忘れた。


『すっかり忘れてたな……猫娘の匂いがする』


 ノエルの尻尾は、気分の沈み具合を表すように下がっていた。


 夫人が戻ってきているのなら、家族である白猫のビアンカも一緒に決まってるじゃないの。そう言おうとしたラビは、聞き慣れた中年夫婦の賑やかな声がする事に気付いて、そちらへと顔を向けた。

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