六章 ラビィの帰還(3)~第一部終章~
帰宅してからしばらく、何故か、薬草師と獣師の双方が忙しいという滅多にない日々が続いた。
二週間近く店を閉じていたせいなのか、まず、薬草を欲しがる常連客の訪問が続いた。紹介されたという人が不思議なほど多く、遠くから老年の男女までやって来て、腰通に効く塗り薬の材料を数人前も購入していった。
ノエルは、帰宅してから二日ほどで【月の石】の副作用がようやく抜け、人が来ても堂々と寝転がれる幸福を噛みしめていた。
薬草師として忙しい間、獣師としての訪問相談も続いた。
獣師としての仕事に関しても、何故か隣町から数時間かけて馬車でやってくる人もいれば、遠方から半日以上かけて立ち寄る人もいた。こちらもまた紹介を受けた人がほとんどで、ペットを引き連れての直接相談も続いて、それだけで一日が終わってしまう事もあった。
獣師の相談依頼については、新規の客のほとんどが「恐れ知らずの、ちょっと風変わりな若い獣師様ですよね?」と開口一番に問いかけて来て、ラビは困惑するばかりだった。
事情は分からないが、専門技術は持っていない事を前もって伝えて、相談は断らずに受けた。
直接持ち込まれたペット相談については、動物によって症状も様々だった。単に餌の好き嫌い、実はアレギー持ち、恋の悩み、ストレス等あった。軽い捻挫や腰痛などに関しては、獣医に診てもらう事を勧めた。
すると、明らかに地らの周辺区域出身ではない御者から、馬を見てほしいという相談まで来て、ラビは、ますますおかしいぞと感じ始めた。
※※※
ラビの家に、珍しく手紙が届けられたのは、翌月に入って夏の日差しが暑くなった頃だった。
忙しさに落ち着きが出た久々の休日、旅にまだ出られていない自分の状況に気付いて落胆していたラビは、ほとんど確認も忘れてしまうぐらい利用頻度のないポストに、手紙が挟まっている事に気付いた。
手紙の差し出し人は、ルーファス・ヒューガノーズだった。
セドリックの四歳年上の兄であり、ヒューガノーズ伯爵家の長男である。
仕事の客以外からの手紙を受けるのは初めてであり、ラビはてっきり、母親のついでに手紙を書いたのだろうと思った。
手紙には、癖のない綺麗な字でこう書かれていた。
『久しぶりだね、ラビィ。元気に暮らしているかい?
君が手紙を読み進める事を放棄する可能性を考えて、堅苦しい前置きは省略しておこう。
日々薬草師と獣師の仕事を頑張っている事は知っていたが、先日はセドリックに協力して見事、氷狼の事件を解決したらしいね。
ちょっとした君の武勇伝の報告を受けた時は、大いに笑わせてもらった。でも危ない事は、あまりしないようにして欲しいとも思う。騎士団にも面子というものがあるから、打ち負かした事は、私達だけの秘密にしておこう。
そういえば、ラオルテの一件で、怖い物知らずの風変わりな獣師の話しが伝わっているらしいけれど、知っているかい?
商人や旅人も多い町だから、恐らく君の事を知っている人でもいたんだろう。調べさせたら、
「剣をふりまわして、害獣も診る金髪金目の風変わりな獣師だけど、実は私のお得意先の薬草師でもあってね」
と語っている、やたら元気な医者がいたそうだけど、多分心当たりはあるだろう?
それから、近々母上が王都に戻る事が決まったよ。使用人も全て移らせるから、またスコーン三昧になりそうだ。
あと、今回手紙を出したのは、こちらが本題なのだが、セドリックや他情報提供者から、君が村を出て行こうとしている件を聞いた。
ゆく先の決まっていない旅については賛成できない。
君の事だから、自分の家に帰ると言い出した時のように、忠告を聞かないだろう。だから、心苦しいが強硬手段をとる事にした。
旅に出るのなら、私を納得させてからでないと許可しない。
王宮騎士団総隊長ルーファス・ヒューガノーズ』
随分と強気な手紙だ。
喧嘩を売っているのだろうかと、ラビは眉を潜めた。
八年前、ラビが自分の家に戻るといった時は、伯爵や夫人は納得してくれていた。当時、ルーファスもセドリックも少年であり、強い反対は見せていなかったような覚えはある。二人とも、ラビが少ない荷物を持って伯爵邸を出る時は口を噤んで黙っていた。
そもそも、自分で決めた行動を起こすのに、何故ルーファスやセドリックの許可を得なければならないのだろう。
「別に、お前の納得とかいらないし」
彼のいう強硬手段については、恐らく伯爵夫人から説得でもされるのだろうと安易な想像が浮かんだ。
しかし、ラビの決心は固いのだ。仲良くしてもらっている使用人総出で引き止められたとしても、ラビは旅に出るつもりだった。
最後は喧嘩を売るような失礼な手紙でもあったが、客入りが妙に増えた事は納得出来たし、伯爵夫人が、ようやく王都で家族一緒に暮らせる事は喜ばしい報告だ。ビアンカも、さぞ喜んでいる事だろう。
ラビは、ルーファスの喧嘩のような文面を忘れる事にして、手紙をしまおうとした。
『ポストの前で何してんだ?』
先程まで鳥を眺めていたノエルが、ラビが持つ手紙に気付いて歩み寄った。彼は『ちょっと見せてくれよ』と手紙を覗き込み、尻尾でラビの背を優しく撫でた。
『なんだ、伯爵家の長男坊かよ。ずいぶん強引な文章だな』
「ルーファスは、旅に反対だってさ」
『……なぁ、最後の文面がすっげぇ引っ掛かるんだが』
「そう? 気のせいじゃない?」
『いや、あの長男坊ってあれだろ、人間にしてはちょっとやばい系の――』
その時、ラビは通りを走る数台の馬車に気付いた。
先頭にある馬車は、黒塗りで見覚えのない紋章が入っており、それを追うように二台の馬車が続いていた。後方の二台は、見覚えのある王宮騎士団のもので、ラビは「何だろう」と他人事にそれを見つめていた。
セドリックか、ルーファスの帰省かな?
先頭を急ぎ走る馬達も立派で、物々しささえあったので、貴族の考える事は分からんなぁと思いながら、ラビは踵を返した。
その時、黒塗りの馬車から顔を伸ばした一人の男が、ラビの後ろ姿にむかって「ラビィ・オーディンだな!」と耳をつんざくような肺活量で主張した。
ラビは飛び上がり、ギョッとして足を止めて、反射的に振り返った。一体何事だと身構えている間に、三台の馬車が彼女の家の前の道で停まった。
一台目の馬車から急くように降りて来たのは、黒い制服を着込んだ、四十代ほどのいかつい男だった。四角く浅黒い顔をした、鋭い眼光と濃い眉をした黒髪黒目の中年男は、あっという間にラビの眼前までやって来た。
彼と同じ制服に身を包んだ二名の若い男達が後から続いて、彼の後ろに軍人立ちをして背筋を伸ばした。
ラビが怖々と見上げていると、三人の中で一番偉いらしい先頭の大きな中年男が、視線だけでジロリとラビの姿を見据えた。
「お前が、ラビィ・オーディンだな」
男は、大きな声でハッキリと口にした。ラビが「そうだけど」と口ごもると、彼は顎を引いて背筋を伸ばした。
騎士団の馬車から、セドリックとユリシス、テト、ヴァン、サーバルが降りて駆け寄ってくる間にも、男は構う事なく宣言した。
「私は王宮警察部隊のオルゴン・サリーだ。このたびは対害獣法令、貴重人材適正法が施行され、対象のラビィ・オーディンは、これより王宮騎士団の管轄下に置かれる事となった」
「は……?」
ラビは、オルゴンの名乗って勝手に淡々と語り出した男を、茫然と見上げていた。
対害獣法令って、なんだ……?
難しい言葉を並べ続けるオルゴンの話しを、ラビはしばらく聞いているしかなかった。
「当法令の施行については、全権限を王宮騎士団総隊長が持ち、対象者は王宮第三騎士団が身柄を預かり、終了の日まで全行動権限が制限される。――以上」
以上って何!?
ラビは我に返ると、「ちょッ、コラおっさん!」と詰め寄った。オルゴンの後ろに控えていた二人の部下が、「なんて失礼な」「命知らずなのか」と唖然としたが、ラビは脇目を振らなかった。
「何勝手に喋ってんだッ。つか、なんとか法って何さ!?」
「十八歳未満の獣師に適用される特別な法令である。お前で三件目になる、喜ばしく思え」
オルゴンはラビの態度も気にせず、感慨深く肯いた。
「そんな事聞いてねぇよ!」
こいつと話しても無駄だと悟り、ラビは、セドリックを振り返った。彼は目が合うなり、ぎこちなく片頬を引き攣らせるような愛想笑いを浮かべた。
「久しぶりですね、ラビ。お元気そうで何より……」
「久しぶりじゃない! なんだよコレは!」
彼女が思わずセドリックの胸倉を掴みかかると、彼は「すみませんッ」と反射条件のように謝罪を口にした。彼の部下三人は後ろで控えて、ラビを同情の眼差しで見守っていた。
セドリックの隣に立ったユリシスが、「落ち着きなさい、下品ですよ」と冷静な顔で眼鏡を掛け直した。
「警察部隊長が語った通りです。あなたの身柄は、本日から私達が預かる事になりました。対害獣対策として、国は害獣と渡り合える優秀な人材を欲しがっています。才能を持った子どもの保護と、技量確認を目的とした特別法といったところです」
「待て待て待てッ、オレは獣師としてそんな技量は持ってないけど!?」
ラビは半ばパニックになり、セドリックの胸倉を掴む腕に力を込めた。セドリックが引っ張られる痛みを和らげるべく、ラビの顔の高さに合わせて腰を屈めた。
ユリシスは、ラビを冷ややかに見てこう続けた。
「仕方ないでしょう。氷狼の一件の報告を受けた総隊長殿が、陛下と直接交渉して、今回の件を早急に取り決めてしまったのです。本日より施行されてしまいましたので、あなたが嫌がろうと強制連行されますし、大人しく従うのが身のためですよ。逃亡した場合は、手配書が回されて連れ戻されますからね」
「マジかッ、超メーワク! 今すぐ撤回してよ!」
「王宮騎士団総隊長の許可を頂ければ、可能ですよ」
『あ~……長男坊にしてやられたな、ラビ』
様子を見守っていたノエルが、可哀そうだが仕方がないという顔をした。
ラビは言葉が出ず、怒り心頭で、思わず潤んだ瞳をセドリックに向けた。セドリックはラビの顔を覗き込むと、自分の胸倉を掴む彼女の手を優しく解き、両手で握りしめた。
「すみませんラビ、旅の件を話したら兄さんが切れてしまいまして……」
あの野郎!
ラビはセドリックの手を振り払うと、言葉が出ないまま地団太を踏んだ。
セドリックのみならず、なんでお前も出てくるんだよと、もう四年会っていないルーファスの涼しい顔色を思い浮かべて、ラビは心の中で思いつく限りの悪態を吐いた。
その様子を見守っていたヴァンが、「可哀そうなのはウチの隊長だよな」とぼやいた。
「決定が通達された時、ショックで倒れたからな」
「俺、昼食の肉全部もらった」
ヴァンとテトがそれぞれ主張したが、ラビは本心から叫び返した。
「グリセンなんかどうでもいい! ルーファス許すまじ!」
「隊長があまりにも可哀そうだよ!」
サーバルが思わず悲痛な声を上げた。
まさか、ルーファスがこのような強硬手段に出るとは夢にも思わなかった。行動を制限されるうえ、セドリック達の監視下に置かれるなんて最悪だ。そんな法律があるなんて、知っている方がおかしい。
ラビは怒りと困惑と、周囲の誰ひとりの理解も得られない状況に、更に涙腺を緩ませた。ああ最悪だ、と自分が可哀そうに思えるぐらいショックが大きい。
「落ち着いて下さい、ラビ。兄さんが認めなくとも、十八歳になれば終了となりますから」
セドリックが小さい子どもに言い聞かせるように言い、俯くラビの手を取った。触れられた手は暖かく、なぜだか安心出来て、苛立ちが少しだけ落ち着いた。
つまり、約一年は我慢しろと言う事だ。なんでこんな事に……ッ
ラビは、弱々しくセドリックを睨み上げた。こちらを覗き込むセドリックが、嬉しさを出すまいとする顔で微笑んでいる事に気付き、人の気も知らないで何笑ってんだと、途端に腹が立って来た。
「……お前、なんで笑ってんの」
「え――あの、いや、別に僕が嬉しいという訳ではなくて、その……まぁ、アレです。兄さんの方が数枚上手だったなぁ、と思いまして」
その台詞を聞いて、ラビの中で怒りが沸点を超えた。
彼女はすかさず右足を振り上げると、セドリックの足を、力の限り思い切り踏みつけた。




