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【第2部・完結】男装獣師と妖獣ノエル  作者: 百門一新
第一部 ~男装獣師と妖獣ノエル~
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六章 ラビィの帰還(2)

 騒動から数日が経ち、警備棟の内部も片付けられて落ち着きを取り戻した頃、早朝一番に帰りの馬車が一台用意された。


 騎士団の紋章が入った立派な馬車の上で、黒大狼が、暖かい日差しを受けて呑気な欠伸をする光景を、見送りに訪れた男達が神妙な面持ちで見つめた。


「来た時もこうだったよ」

『乗り心地に問題はねぇぞ』


 ラビとノエルは、言葉もない男達にそう告げた。


 この数日間で、男達はノエルという特殊な動物が見える利点と、欠点を思い知ったような気がしていた。漆黒の優雅な毛並みを持った大型動物が、馬車の上に寝そべる光景には強烈な違和感があった。


『月の石の効力が消えれば、俺の姿も見えなくなるさ』


 無理やり摂取した事で、副作用が続いているのだとノエルは語った。『まぁ、俺ぐらいの妖獣であれば、見せられる方法はあるんだけどな』と考えるような顔で呟いたが、その声は誰にも聞かれないまま、彼の口に中へと消えた。


 別れの挨拶はしんみりとせず、ラビとノエルの「じゃあな」の二重奏で、あっさりと締めくくられた。騎士団は、共にホノワ村まで同乗するセドリックとユリシスに後を任せて、小さな獣師とその親友を見送った。


              ※※※


 馬車が出発すると、座席に腰掛けていたセドリックが、一つの小袋を取り出した。彼はそれを、「どうぞ」と笑顔で向かい側に座るラビに差し出した。


 ラビは怪訝に思いながら、その小袋を受け取った。中に入っていたのはクッキーで、袋を空けると、苺のいい香りが鼻についた。


「気に入っていたようだったので、お土産に一つ買っておきました」

「別に気を使わなくたっていいのに……」


 ラビは強がって唇を尖らせたが、甘い香りの誘惑には勝てず、続く文句もなくクッキーを一枚頬張った。


 甘くて美味しい。思わず顔が綻ぶほど、苺風味がなんとも堪らなかった。


 セドリックの隣で、ユリシスが笑いを堪えて顔を背けた。どうにか笑い声を押し殺しつつも、口に手を当てて肩を震わせる。彼は上司が口にしていた「素直」という言葉を、ようやく完全に理解した。


 ユリシスは冷静さを顔に取り戻した後で、やや口角を引き上げてこう言った。


「戻ったら、多分スコーンも食べられるのでしょうね」

「何でそんな事が分かるのさ?」


 ラビが訝しげに尋ねると、セドリックが、微笑んで説明を引き継いだ。


「僕が戻るときは、いつも用意されているでしょう?」

「そっか、なるほど。お前、甘いスコーン好きだもんな」


 クッキーを食べつつ呟いたラビは、ふと思い出したように「クッキー分けてあげるから」と、袋の口を差し出した。ユリシスは「一枚だけで結構です」と言い、買った当人であるセドリックも、苦笑して同じような事を口にして、クッキーを一つつまんだ。


 馬車は人里を離れ、荒れた大地を走り、途中美しい川の流れにさしかかったが、ラビは風景を眺める余裕がなかった。


 窓に寄りかかったセドリックが、クッキーを食べ進めるラビを可笑しそうに見つめていたのだ。あまりにも飽きず見つめて来るものだから、ラビは居心地が悪かった。


「……何だよ。じっと見るの禁止」

「ラビ。母上のスコーンを、僕がどうして好きなのか知っていますか?」


 唐突に問われ、ラビは少しだけ考えた。


「美味しいから?」

「生憎、あまり甘い物は食べない派です」


 答えながら、セドリックは、疑問符を顔に浮かべるラビに微笑みかけた。


「いつも、あなたがとても美味しそうに食べてくれるからですよ。だから兄さんも、あえて苦手だとは母上に伝えないのでしょう」

「……セドリックが言ってる事、よく分かんないよ。好きなら好き、苦手なら苦手で食べないと思うけど、スコーン食べるの、本当は好きじゃないって話?」

「いいえ、母上のスコーンは美味しく頂いていますよ」


 セドリックは苦笑を浮かべると、窓の方へ視線を流した。


「本当に。好きな物を好きだと正直に言える人だったら、僕も困らなかったんですけどねぇ」


 彼の独り言の意味が呑み込めなかったが、ラビは視線が離れてくれた事に安堵して、深く尋ねる事はしなかった。


              ※※※


 天候に恵まれた事もあって、馬車旅は、ホノワ村まで五日もかからなかった。


 四日目の夕刻前に、馬車は伯爵の別荘前へ到着した。セドリックが戻ると、伯爵夫人は早速スコーンを用意して三人に振る舞った。


 まだ実体化の続いていたノエルについて、ラビは咄嗟に、伯爵夫人には「仕事でしばらく連れている大きな犬」と紹介していた。そのせいか、夫人は「大きなワンちゃんねぇ」と全く警戒なく接し、笑顔でスコーンも与えていた。


 長居は出来ないからとセドリックが前置きしたせいか、彼女は世間話もそこそこに、土産を持たせるからと言って、一度席を外した。


 夫人が席を離れてすぐ、ユリシスが、早速ラビに駄目出しをした。


「犬とは何ですか。どう見ても無理があります。もっとましな言い訳があったのでは?」

「狼だって言ったら、夫人がびっくりしちゃうかもしれないじゃん」


 ラビとユリシスが睨み合うと、セドリックが「まぁ母上なら、犬と狼の違いも分からないと思います」とにこやかに場を落ち着けて、珈琲を飲んだ。


 別荘を出ると、ついでだからと、通り沿いにあるラビの家まで馬車で送る提案をセドリックは出した。手土産のスコーンを受け取った彼女は、まんざらでもなさそうな顔で「仕方ないな」と便乗させてもらった。


              ※※※


 馬車は、ホノワ村の伯爵家の別荘を出発すると、十分もしないうちに村はずれの小さな家の前で停まった。


 ラビは馬車を降りるなり、我が家の懐かしさに吐息をこぼした。二週間近く家を空けたのは初めてだったから、何となく安堵感を覚えてしまう。彼女の隣では、ノエルが飛び去る鳥を目で追っていた。


「……なんか、やっと帰って来られたって感じがする」

『そうか? 俺にはよく分からねぇな』

「ノエル、冷たい」


 別れの言葉もなく感慨深く家を眺めるラビを、セドリックは馬車の前から、声を駆けるタイミングを探していた見つめていたが、不意に言葉を失ってしまった。ユリシスも、彼の横で一人と一匹の後ろ姿を眺めて目尻に皺を刻んだ。


 小さな少女と大きな狼が暮らす家は、物語に出てくるような、ママゴトの一軒家を思わせた。並ぶ後ろ姿が溶け込む風景が、午後の柔らかくなった日差しの中で、淡く霞んでいるようにも見える。


 二人の男が見つめる中、ラビが頬を膨らませ、ノエルが首を傾げる。


 すると、黒大狼が彼女の脇腹に頭をすり寄せて、幸福そうに目を閉じた。


『お前が隣にいる。それだけでいい』

「ふふ、突然どうしたの。オレも、ノエルがいてくれて嬉しいよ」


 ラビは彼の頭を撫でると、スコーンが入った袋を後ろ手に持って、改めて自分達の家へと目を向けた。


 山から降りる初夏の夕風が、ラビとノエルを柔らかく包んだ。小さな家は何度も修理の手を加えていたから、壁のペンキも真新しい。


 それでも、昔、釘を打ちつけられた場所は穴が空いたままで、人里から切り離された建物が寂しく佇む光景を、ラビは遠くを見るような目で眺めた。ここで過ごした多くの歳月が、胸の奥で重く渦を巻いて黙り込んでしまう。


 両親を失ってからは、ここに居る理由もなくなってしまっていた。


 あの頃の懐かしい匂いも、暖かさも、全て嘘のように思えてしまう事があり、ふとした一瞬「ああ、辛いな」と感じる鈍い胸の痛みが、喉に引っ掛かった小骨のように離れないでいる。


 何がどう辛いのか、耐えるうちに分からなくなっていた。ただ、それを感じる時には、いつも呼吸が苦しくなって、息のし辛さを覚えるたび、この土地が自分に合わないような錯覚に陥る。


 動き出せないラビの隣で、ノエルが先に数歩進んで、足を止めて振り返った。



『ラビィ』



 ひどく柔らかい声色で、ノエルは大事そうに名を呼んだ。彼は肩越しにラビを振り返ると、私情の読めない美しい金緑の瞳を向けて言葉を続けた。



『お前が望むのなら、このまま二人で、誰も知らない何処か遠くへ行こうか』



 囁くように発せられた言葉が、やけにはっきりと耳に触れた。


 柔らかい風が勢いよく山を下って、ノエルとラビ、セドリックとユシリスの身体を打った。


 ラビは、頬にあたる髪を手で押さえた。改めて目を向けると、途端にノエルの金緑の瞳が悪戯っぽく笑った。元気づけようとしてくれているのだと分かって、ラビは「あの日の夜みたいだ」と笑みをこぼして、ノエルの隣に立った。


「ノエルだったら、どこへ連れて行ってくれるの?」

『お前が人間に苦しむのであれば、朝と夜を紡いで、このまま遥か遠くの美しい妖獣世界へ連れて行こうか』


 ノエルが大人びた顔で静かに笑うから、冗談なのか本気なのか、ラビには分かりかねた。まるでプロポーズされているみたいだと思ったが、いつもの優しい冗談なのだろう。


「ずっと遠くにある、ノエルの故郷? うーん、そうだなぁ、そこを目指しながらいろんなところを見て回るのも、きっと楽しいだろうなぁ……」


 少しだけ、それが寂しいように思うのは、どうしてだろうか。


 この世界の事を、まだ全然知れていないせいなのか。それとも、セドリック達や、村の子供達、拒絶もせずノエルを受け入れてくれた騎士団の存在があるせいか……



 その時、ラビは強く腕を掴まれて我に返った。



 驚いて振り返ると、まるで悪い夢を見て飛び起きたような顔をしたセドリックがいた。


「どうしたの、セドリック?」

「……あ、その……どこかへ消えてしまうんじゃないかと思って」

「何言ってんの。消える訳ないじゃん、家に帰るだけだよ」


 そばに来ていたユリシスが、伸ばし掛けた手を下ろして「別れの言葉もないのですか。礼儀がなっていませんね」と眉を潜めた。


 ラビは、セドリックの手から解放されると、片方の腰に手を当てて「じゃあな。さよなら」と納得いかぬ顔で首を傾げた。すると、ユリシスが苛立ったように眉間に皺を刻んだ。


「ほんと、君を見ていると無性に腹が立ちますね。挨拶の握手ぐらいあるでしょうが」

「握手?」

『人間の挨拶なんだよ』


 ノエルが、短い息をつきながらそう教えた。


 ユリシスが怪訝な顔のまま手を差し出して来たので、ラビも彼の手を握った。大きな手はやや冷たく、ラビの力に合わせてしっかりと握り返される。


 なるほど、これが挨拶かと、ラビは物珍しそうにそれを眺めた。


「ではラビ、僕にも挨拶してくれますか」


 手を離してすぐ、セドリックが向き直って来たので、ラビは彼にも手を差し出した。しかし、彼はラビの手を握ったかと思うと、不意にその手を引き寄せてラビを抱き締めた。


 苦しさと困惑で、ラビは「うぎゃ」と色気のない短い悲鳴を上げた。セドリックの身体はノエルのように暖く、身体は大きくて硬かった。堪らず彼の胸板を両手で押し返すが、更に強く抱きしめられて身動きがとれなくなる。


「な、ななななな何ッ?」

「知らないんですか、友人同士の挨拶の抱擁ですよ。いつもノエルとやっているでしょう?」


 セドリックが、非常に落ち着いた声色で答えた。


 ラビは、ノエルとの日常的な触れ合いを思い出したが、あれは親友だから出来るのであって、セドリックの挨拶とは訳が違うと思った。


「ノ、ノエルは親友だからッ」

「僕だってラビの幼馴染で、あなたとは付き合いの長い友人同士です。何だか、僕だけが仲間外れのようで寂しいですよ」


 昔から付き合いはあるのだし、確かに親友に近い存在ではあるような気はする。


 しかし、苦しい事に違いはないのだ。めいいっぱい背中から締め上げられ、ラビの身体は悲鳴を上げていた。


「……友人同士のスキンシップっていうか、これ一方的に抱き締められているだけなんだけどッ。お前今までこんな事しなかっただろ! 苦しいからッ、はーなーせー!」

「社会に出て、友人同士の付き合いを学びましたからね」


 セドリックは、涼しい顔でしれっと答えた。ラビの髪が顎先に触れるのを感じながら、ふと苦しそうな表情で、彼は華奢な身体を更に強く抱き寄せた。



「――嫉妬しますよ。どうか、僕以外の男に触らせないで下さい。焦燥でどうにかなってしまいそうだ」



 風が吹き抜けた一瞬、彼は口の中で小さく囁いた。

 ラビは、風の音で聞き逃してしまった。


 ラビは彼が何を呟いたのか不思議に思ったが、苦しさに変わりはなかったので、強硬手段に出る事にした。


「くっそぉ、礼儀作法なんてクソくらえ!」


 勢い余って右足を振り上げたが、セドリックがひらりと離れていった。ユリシスがどこか苦々しい顔で、言葉使いの悪さを指摘したが、ラビは反省の色もなく二人を睨みつけた。


 すると、少しすっきりとした表情で、セドリックが申し訳なさそうに微笑んだ。


「すみません、ちょっとした友人のスキンシップだったんですよ。どうか怒らないで下さい」

「どうせ、オレは礼儀作法の一つも知らねぇよ、悪かったな」


 ラビは舌打ちした。


 セドリックは馬車に戻る前に、ラビに「旅の件は保留にしておいて下さいよ」と何度も念を押した。必ず話し合う時間を作りますからと、有無を言わせず強く断言する。


 一体何を話し合えというのだ、とラビは鼻白んだ。旅とは、自由気ままに出ていいものではないのかと彼女が愚痴ると、ユリシスが物知り顔で「旅にもいろいろとあるのですよ」と上司を擁護した。ラビは、やはり彼の事は嫌いだと思った。



 二人を乗せて馬車が出てすぐ、ラビとノエルは、今度こそようやく踵を返して、我が家へと入っていったのだった。

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