二章 ラオルテと第三騎士団(2)
隊長の執務室を出た後、ユリシスが「勤務時間外ですので」と去っていき、ラビはセドリックに警備棟内を案内してもらった。
まず向かったのは、執務室のすぐ上の階にあった、三階の簡易宿泊部屋だった。
ラビがしばらく寝泊まりする部屋は、ベッドと机だけが置かれた小振りな造りをしていた。荷物を置いたラビが、次の場所へ案内を受けるため踵を返すと、ノエルはベッドに飛び乗り『寝る』と告げて横になってしまった。
長い馬車旅は、さすがの彼にも堪えたらしい。
ラビは申し訳なく思いながら、セドリックから見えない位置で、おやすみ、の意味を込めて小さく手を振った。ノエルは既に顔を伏せていたが、それに応えるように尻尾だけを数回動かせた。
続いて案内されたのは、一階の食堂だった。
時間外なので、食堂は閉まっていた。彼は「ここでは決まった時間に食事があります」とさっくりと説明を済ませると、次に、二十四時間解放されている休憩の場である広間へとラビを案内した。
開けた一階広間には、深夜だというのに十数人ほどの男達が残っていた。
彼らは本を読んだり、チェスをしたり、タンクトップ一枚で腕相撲をして盛り上がっていた。
男達は、上司であるセドリックからラビを紹介されると、物珍しそうに見つめながら「よろしく」と、やんちゃな子どものような口調で声を揃えた。
一同を代表するように、顎の先に髭のあるタンクトップ男が、セドリックの横に立つラビを覗きこんだ。
「話しに聞いてたより小せぇなぁ。お前、剣とか扱えんのか?」
すると、遠巻きに見ていた他の男達も、わらわらとやって来て、ラビを興味津々と見降ろした。
「マジで金髪だ~」
「細ぇな、ちゃんと筋肉つけねぇと大きくなれねぇぞ?」
「襲撃されたら、真っ先お荷物になりそうだな」
「いいんですか副隊長。最近は物騒なのに、獣師とはいえ、こんな弱そうな子供置くなんて。問題にならないんすか?」
小さい、弱い、お荷物という三単語で、ラビの怒りが最短で沸点を超えた。
売られた喧嘩は買うのが、ラビのモットーである。
セドリックが口を開く前に、ラビは目にも止まらぬ速さで彼の腰から鞘ごと剣を奪い取り、騒ぐ男達と自分の間に振り降ろしていた。
振り降ろされた剣は鞘のままだったが、衝撃音と共に床にめり込み、群がっていた男達が「うぎゃっ」と飛び上がって脱兎の如く逃げ出した。
鞘で顎髭の先を軽く切られた男が、尻餅をつき、冷や汗を流しながら叫んだ。
「ちょッ、ちょっと待てぇぇぇえええええ!」
その叫びを筆頭に、男達の「危ないだろう」という非難の声が次々に上がった。しかし、ラビが再び剣を床に打ち付けると、辺りは緊張の空気を漂わせて静まり返った。
セドリックが、青い顔で「ラ、ラビ、落ち着いて……」と言ったが、彼女は完全に無視し、殺気立った目を騎士達に向けていた。
「どっちが強いか証明してやるから、木刀持ってこい。今すぐだ」
低い声で威圧された男達が、好奇心と怖いもの知りたさに生唾を呑み、誰が合図を出したわけでもなく、彼らは準備のために動き出した。
剣を返してもらったセドリックが、複雑そうな、どちらかと言えば部下達を心配するような目を向け、「こうなったら、もうダメですね……」と諦めたように項垂れた。
倉庫から鍛練用の木刀が引っ張り出され、予備も揃えられた。全員に木刀が行き渡り、広場の砂地に大きな円状の線が刻まれた後、一対一の木刀戦が開始された。
まず木刀を構えあったのは、ラビと先程の顎髭の男だった。
予定になかった木刀の一本勝負に、準備をする中で動揺が収まってきた男達は、半ば面白がって「威勢のいいチビっ子獣師だなぁ」と笑い、「どちらが勝つか賭けようじゃないか」と言葉を交わした。
セドリックは、長旅のストレスで殺気立ったラビへの説得を諦め、渋々審判役に回っていた。両者が木刀を構える姿を確認すると、溜息混じりに、本当に嫌々ながらに開始の合図を告げた。
開始直後、顎髭男が「せいやぁ!」と木刀を掲げて勢い良く踏みこんだ。
しかし、彼が二歩目を踏み出した時、ラビの身体は既に男の背後にあった。
一瞬で男の背後に回り込んだラビは、木刀を逆手に持ちかえると、男の背後から強かに打ちつけた。衝撃を受けた男の身体が地面に沈む直前、バックステップから足を振り上げて蹴りつけると、容赦なく男を場外に叩き出す。
勝負は一瞬だった。
背中を木刀で強打されたうえ、場外の地面に顔面から強打した男が、事切れたように地面に沈む様子を見た仲間達が、笑顔を凍り付かせて静まり返った。
ラビは木刀を肩に置くと、見物人と化した他の男達を睨み据えた。
小奇麗な顔が月明かりに照らし出され、ラビの金髪と金目がより映えていた。ゆらりと体制を整えるだけで、殺気と威圧感が鋭く研ぎ澄まされ、男達は次元の違う強敵を前にしたような戦慄を覚えて、思わず唾を呑み込んだ。
「――おい、何呑気に座ってんだよ。次の奴、出て来い」
その一声で強制的に木刀試合が再開され、ラビと男達の一対一の勝負は続いた。
彼女は突き出された木刀を簡単に叩き落とし、羽のような身軽さで攻撃をかわし、問答無用で相手に木刀を叩き込み、次々と男達を打ち倒していった。時には交わった木刀を滑らせて弾き上げ、軽い身体の跳躍を活かして男の頭を踏み越え、容赦せず背中や腹を狙って打つ。
次第に男達が「やってやらぁ!」と本気になり、次々に名乗りを上げてラビに挑み、場外で意識を取り戻しては再挑戦する流れが出来た。
それは十分もかからずに一対一ではなくなり、ラビ一人に対して、全員で挑むようになっていた。
広場に、男達の雄叫びと悲鳴が響き渡った。
騎士としてのプライドを掛けて、めげずに一人の小さな獣師に挑む彼らは、何度も返り討ちに遭い、何度も宙を飛んだ。
そんな外の騒がしさに気付いて、消灯されていた建物の上階の部屋にも灯りが付き始めた。
先に部屋で休んでいた男達が、「なんだ何だ」と窓から顔を覗かせた。彼らは、ラビが小さな体一つで、仲間達を次々に叩き伏せていく様子を見るなり、「騎士団の威信に掛けてチビを倒そうぜッ」と、事情も知らず面白がって参戦し出した。
騒ぎを聞きつけて、ユリシスとグリセンも駆け付けたが、目の前で続く乱闘の激しさに手が出ず、肩を落とすセドリックの隣で、ラビによって部下達が容赦なく負かされていく様子を呆気にとられて見守った。
しばらくして、辺りはようやく静まり返った。
沈静を迎えた場には、一人の獣師に惨敗し続けた男達の屍が転がっていた。
参戦せずに寝室から観戦していた数名の男達が、階下の仲間達の無残な姿に青い顔をしていた。その中には、ラビと共にホノワ村から到着した顔ぶれもあり、ヴァンが平気な顔で煙草をふかしていた。
「……副隊長、これは一体なんですか」
ユリシスが呆気に取られたまま問うと、セドリックは深い溜息をついて額を押さえた。
「彼らがラビを怒らせてしまったんです。ラビは、あの通り体術と剣術には長けていまして……」
「旅疲れが残った状態でアレですか」
「剣術に関しては、兄さんの影響かな。入団するまで、ラビは彼と木刀でやりあっていましたから」
「……それは、総隊長の事ですかね? あの人、最年少で総隊長に就いた方でしょう。一体幾つの頃の話しですか」
「当時ラビが九歳で、兄さんは十六歳だったかな」
とんでもないガキだ。落ち着きも品もない少年だとは常々感じてはいたが、まさかここまでとは、とユリシスは忌々しく思った。
力比べの木刀戦で、騎士団のほぼ全員がやられるとは情けない結果である。
外部に知られてしまったら、第三騎士団のこれまでの経歴や戦力を疑われてしまいかねないだろう。
そこまで考えた時、ユリシスは、隣にいる隊長のグリセンが、やけに静かである事に気付いた。
さすがに隊長とあって、目の前で部下達が獣師に負かされた事については、何か感じるところがあったのかもしれない。普段の気の弱さはどうであれば、これでも騎士団について誰よりも考えてくれている男なのである。
そう勘繰りながら目を向けた彼は、「隊長」と掛けようとした声を、ピタリと途切れさせた。
胃痛がとうに限界を突破していたグリセンは、立ったまま器用に失神していた。
ユリシスが沈黙する中、軽やかな風に押されたグリセンの身体が、抵抗もなく後ろへとひっくり返った。