夜更け
「今日みたいにキキからお願いすることもあるけど、吸いたくなったらいつでも言ってね」
キキはやけに嬉しそうな口調でそう言いながら、牙のなくなった俺の頬を撫でてくる。
俺はその手を掴むと、改めてキキの目を見た。
そんな俺の目線にキキが気付いたようで、小さく頷かれた。
まるで俺になら何をされても良い、と言っているみたいに、表情からも掴んだ腕からも一切の抵抗も恐怖も感じない。
「何でだ?」
「え? 何が?」
「普通怖いだろう? 急に手を掴まれたり、血を吸われたりするのって」
「ラインさんは優しいから怖くないよ?」
真っ直ぐにそう言い返されて、俺は何も言えなくなる。
俺はキキの呪いを解く力を目当てに連れているんだぞ。
もし、キキに呪いを解く血が流れていなかったら、俺はキキを出会った時に呪いの力で殺していたかもしれないのに。
「キキの命はあの時、ラインさんにあげたから」
「え?」
「お母さんにおいて行かれた後、外に出たら不幸になるから出るなって言いつけを破って、夢魔の特徴が出始めたことを変だと思わず家を出たら、村の人達にいじめられてキキは外に出られなくなったから、死んだも同然だったんだ」
「それで外に出るに出られなくて、地下室に引きこもっていたんだよな?」
「うん、あの夢魔の霧で外を歩いたら、みんなおかしくなっちゃって殺し合いを始めちゃうかもしれなかったから」
「……そうか」
「それで全部嫌になって地下で引きこもって自殺しようとしたけど、夢魔の霧で無意識的に精気を吸っていたせいで死ねなかった。だから、屋敷に来る人に殺して貰おうとも思ったけど、やっぱり夢魔の力でダメだった」
夢魔に魅了されたら主に危害を加えようなんて絶対に思えないらしく、キキは何をしようにも死ねなかったらしい。
「そのせいで、もう全部諦めようって思っていたんだけど、ラインさんが来た時は違ったんだ」
「どう違ったんだ?」
「あれ? キキより辛そうな顔してる人初めて見たって」
ガクッ、とたまらず膝から崩れ落ちたよ。
そんな俺をキキは本当に楽しそうにクスクス笑っているし、俺そんな酷い顔してたのか?
「そんな人がキキのこと気にかけてくれて、もう諦めていた外に出ようって言ってくれたから、すごく嬉しかった。嘘でもこの人になら殺されてもいいなって思えた」
「そう……だったのか」
「うん、でも、ラインさんに血を吸われて、キキの力は消えて、外に出れるキキになれたの。今のキキはラインさんがくれた私だから、ラインさんがキキの血を欲しいならあげる。キキの身体も欲しいなら全部あげられるよ」
だから、血を吸われるのも、腕を急に掴まれるのも怖くない。
そういってキキはしゃがみ込んだ俺を抱きしめた。
キキに危機意識がないのは、俺のせいだったんだ。
だとしたら、キキを拾った俺がすべきことは――。
「ほら、風邪ひく前に服を着て、暖かくして寝るんだ。夢魔の力が薄れたら人間と同じなんだから」
「……うん」
キキが外の世界でも生きていけるように、俺が色々と教えてあげよう。この子が外の世界で失敗しても立ち直れるように支えてあげよう。
呪いを解いてくれる報酬として、それぐらいはやってあげてもおつりが来るだろう。
そう思って俺が服をキキにかけてあげると、キキは露骨に寂しそうに頷いた。
それに、口を少し開いたまま、自分の袖をキュッと掴んで、何かを我慢しているみたいだった。
それとも拗ねられている?
何故我慢しているのか、はたまた拗ねられているのか、今の俺には分からない。
でも、何か言わないといけない気がして、俺はちゃんと答えなかった返事を言うことにした。多分キキは俺に気を遣って言ってくれたことだから、俺がちゃんと答えを返さないといけないはずだ。
「血を吸いたくなったら、今度は俺からちゃんとお願いする。だから、その、体調を崩されると困る……かな」
「本当に? キキ、いらない子じゃない? 急にいなくなったりしない?」
寂しそうな顔から一転、すがるように詰め寄ったキキに俺の胸の中で何かがストンと落ちた。
いらない子、急にいなくなるって聞いて、ピンと来た。
キキは一人残されるのが怖いんだ。母親に捨てられた時みたいに、もう一度捨てられるんじゃないかっ不安になったんだ。
しかも、今回はずっと育ってきた家じゃなくて、右も左も分からない外の世界に連れ出されたせいで、余計不安なんだろう。
だから、必死に俺をつなぎ止めようとしているんだ、と思う。
料理を頼ってと言うのも、吸血して良いよと言うのも、全部俺の役に立つから捨てないでっていうアピールだったのかもしれない。
その気持ちで、身体も全部あげるなんて言ったんだと思う。
俺が討伐対象にされないように、魔物討伐を必死にやっていたのと、多分同じなんだ。
「逆にキキがいなくなったら俺が困る。キキがいないと俺はろくな飯を食えない」
「あっ」
「俺にはキキが必要だ。勝手にいなくなるなよ? いなくなったら世界の果てまで探して見つけてやるからな?」
「えへへ……」
俺はそう言って詰め寄るキキの頭を撫でた。
すると、キキは握りしめていた袖を放し、大きく見開いていた目をゆっくり閉じた。
何というか立ったまま眠ってしまいそうに見えるほど、気が抜けたように見えた。
って、本当に力が抜けているようで、そのままパタンと俺にもたれかかってきた。
「キキ?」
問いかけてみるけど、キキから返事は無く、静かな寝息だけが返ってくる。
張っていた気が抜けて、一気に疲れが出たのかな。
はぁ、仕方無い。起こすのは忍びないし、夜は寒いし、キキの身体はあげると言われたんだ。
「おやすみ」
キキを膝の上にのせて、俺は二人羽織みたいになるよう毛布をかぶった。
もたれかかるように丸くなっているキキは、何だか大きな犬とか猫みたいで、思わずふわふわの髪の毛を撫でてしまう。
全部くれるって言ってたし、これぐらいはしても罰は当たらないだろう。
「……にしても暖かいな。こんなに毛布って暖かかったっけ?」
そう呟いて、俺はキキの身体を抱きしめながら夜を過ごした。
キキが急にいなくならないように、しっかりと。