新たな旅
村人たちが逃げ回っている混乱に乗じて、俺とキキは村を出ていた。
土砂降りだった雨が嘘のように、空は晴れ渡っている。
おかげで足取りも軽い。こんな気分で街に報告へ戻るなんて始祖王の呪いを受けてからなかったなぁ。
吸血鬼化の呪いも、もう一度キキの血を飲めば抑えられた。
おかげで俺は久々に人間の姿で街に入れるのだ。
「ラインさん嬉しそう」
「まぁなー。久しぶりにちゃんとした食事にもありつけそうだしな。一年ぶりくらいかなぁ……」
何せ吸血鬼の姿でいた時は、どの店も入店拒否されたせいで、基本的に俺の食事は倒した魔物の肉を焼いたものだった。
ゲテモノでも肉は肉、立派な栄養源になりえる。
……なりえるんだけど、やっぱりちゃんと調理した物が食べたい。基本的に今の俺の食べる物って味つけなんてあってないようなものだからな……。街でろくに買い物も出来ないから、岩塩くらいしか味をつけられるものがない。
後は、たまに野生の果物や食べられる草を見つけて付け合わせにするぐらいで、正直あんまり良い食事は出来ていないんだよな。
「あの店の串焼きも良いし、この前の村の特産品のアップルパイなんかも今なら食えるのか。あー、後、港町で見たパエリアっていうのも美味そうだったな」
「街で食べ物が変わるの?」
「そうそう。その街が海とか川に近ければ魚。牛とか羊とかを放牧している街なら乳とかチーズ、他にも見渡す限りのブドウ畑がある街ならワインとかさ」
「ラインさんすごい! 物知りだね」
「冒険者をやっていると色んな所を旅して回るからな」
実のところ、頻繁に追い出されるから知っているってだけだけどな……。
それでもキキの眩しい眼差しを前にしたら、見栄の一つや二つ張りたくなってくる。
「どこか行ってみたい場所があれば、どこにだって連れて行くよ」
「行きたい場所かぁ。ラインさんと一緒なら何処に行っても楽しいよ。だって、今もすっごく楽しいもん」
ただ隣に並んで歩いているだけなのに、無邪気にそんなことを言われたら、何でだろう?クラっとした。
その感覚をもう一度味わいたくて、俺はまた同じようなことを聞いてみた。
「会いたい人とかもいないか?」
「それは……お母さんに会いたいかも」
「お母さん? そういえば、屋敷にはキキ一人だけだったな。どこにいるんだ?」
「分からないんだよね。一年くらい前に結界を張っていなくなったから。だから、どこにいるか分からないし……」
「何か顔が分かるものでもあればな。さすがにキキに似ているだけで探すのは難しいし……星読みの占い師に見て貰おうにも、俺達の正体がばれるから無理だろうし」
「えっと……似顔絵なら描けるよ?」
キキはそういうと、土の上にしゃがんで小石を払いのけた。
そして、真っ平らな砂場を用意すると、キキの身体から淡いピンク色の霧が出てきたんだ。
その霧が地面に触れた途端、砂がカタカタと動いて見る見る間に人の顔が描かれて始めた。
まさしくキキを大人っぽくした感じの見た目なのも驚いたけど、それ以上にその似顔絵が精巧だったことに驚いた。
「これがお母さん。えっと、髪は私と同じ黒い髪だよ」
「すごいな!? 色々な所を旅してきてけど、霧で絵を描くなんて初めて見たぞ。しかも、こんな上手だなんてすごいじゃないか。もしかしなくても、絵描きとして食っていけるんじゃないか?」
「そ、そんなことないよ? 部屋につもったホコリで同じ事をしてたら、いつのまにか描けるようになっただけだし、お母さん以外描けないし」
そう言ったキキはしゃがんだまま顔を真っ赤にして照れている。
キキは自分で霧を出し入れすることが出来て、その霧を動かすことも出来る。
その霧の動きでホコリが動くことに気がついて、時間つぶしに絵を描いていたらしい。
別に恥ずかしがることもないだろうに、と思ったけど、確かにホコリで絵を描いていたなんて言うのは、ちょっと汚い感じがして恥ずかしいか。
少し無神経だったかな。
「でも、これだけ上手な似顔絵があれば街で聞き込みも出来るな。インクは持ってたから今度は紙に描いてくれ」
「本当に?」
「あぁ、まずは依頼の処理をしに近くの街に行こう。もしかしたら、立ち寄っているかもしれないからさ」
「うん!」
嬉しそうに立ち上がったキキに俺は少しホッとした。
さすがに何の手がかりもなしに人捜しは出来ないからな。
こんな感じに話をしながら、俺たちは街に到着した。
○
そして、依頼を報告するためにギルドに立ち寄ったのだが――。
「あ、格好良い人。って、違う。ようこそキルハンギルド支部へ。この街のギルドは初めてですか?」
いつもの受付の子が俺を俺だと認識してなくて、新しくやってきた冒険者だと勘違いしている。
まぁ、確かに人として来たのは初めてだけどさ。
本当に吸血鬼としてしか見られていないって分かって、ちょっと悲しい。
後、キキがいるからか。俺は呪われてからずっと一人だったし、まだあどけない女の子が俺の背中に隠れて、ぎゅって手に掴まっているなんて、絶対誰も想像しないだろうから。
「分からない事があったら何でも言って下さいね」
うわ、いつも俺を怯えていた子とは思えない言葉だ。
「えっと、この子の母親を探しているんだけど、この人、見かけたことないか?」
俺はキキの描いた似顔絵を受付に見せた。
女性の一人旅はそれなりの危険を伴うから、冒険者を護衛として雇ったんじゃないかと思った訳だ。
それでキキのいた村の近くでギルドの支部はこのキルハンの街にしかない。
だから、この街に寄ったと思うんだけど。
「あ、はい。一年くらい前に港町のハイシャルまで護衛をお願いしたいって依頼がありました。綺麗な人だったからよく覚えていますよ」
驚いた。いきなり有力情報ゲットだ。
でも、港町ハイシャルか。となると、船でどこかに行ったのか? いや、単に港町に移り住んだ可能性もあるか?
どちらにせよハイシャルにいかないと分からないか。
「ありがとう。それじゃあ、こいつの換金も頼めるか?」
「魔物の素材ですね。拝見しま――す?」
俺が台にフルフルの角や皮を置くと、受付のお姉さんは目を点にした。
ん? かなり綺麗に素材を剥ぎ取ったんだけど、運んでいる最中に傷でもつけたかな?
「どうした?」
「い、いえ、すみません。こんなに良い状態の上級悪魔の素材を見たのは初めてで、驚いてしまいました。これなら二割増しで買い取ることが出来ます。こういう綺麗な素材は的確な攻撃で魔物を狩れる腕前がないと出来ませんから」
それは絶対おかしい。だって、俺は普段の狩りの時から血は吸うけど、角や骨や皮はほとんど傷つけずに剥ぎ取っていた。
それでも状態が悪いと報酬金を減額されたんだぞ。
もしかして、報酬金をわざと少なくして、俺を追い出そうとしていたのか?
「剣士様、すごいんですね」
受付の声色が急に猫なで声に変わった。
それが何だかとっても胸の辺りをざわつかせる。
「剣士様はしばらくこの街に滞在する予定ですかぁ?」
「……そうだな。次の旅支度が済むまでは」
「そうですかぁ。残念ですぅ。もっとこの街にいてくれると助かったんですけどね。ここにいる間は私に頼って良いですからね? その依頼斡旋でもプライベートでも声かけてくれていいですから」
甘ったるい声にイライラする気持ちを抑えて、俺は冷静な振りをし続ける。
「この街に吸血鬼の呪いを受けたラインってのがいるって聞いたんだけど、どんな人なんだ?」
「始祖王を倒したせいで吸血鬼になっちゃった人ですね。見れば一目で分かると思いますよ。鋭い牙に、尖った耳と赤い瞳。絶対に近づいちゃダメです」
「へぇ? それはどうして?」
「血を吸われて呪われちゃいますから。剣士様も気をつけて下さいよ。あれはもう魔物みたいなものですから」
人間の血を一滴だって吸ったこと無いのに。そう言いたいのをぐっとこらえ続ける。
「そんな危険な奴なら討伐依頼が出てもおかしくないだろう?」
「それでも魔物を狩ってくれるから役に立つって放置されているんです。だから、危険案魔物がいなくなったら他の街に回すんですよ。そうやって色々なところに回って貰う魔物にとっての台風みたいな人ですから、遠くにいる分には別に大丈夫ってギルドは判断しているみたいです。私は怖いから退治して欲しいんですけどね」
「へぇ、それは気苦労も多そうだな。受付していると嫌でも顔を合わせないといけないだろうし」
「そうなんですよぉ! それでもこの街にはラインに敵う人がいないから、私がラインさんに支払う報酬を引いて、依頼をこなす度に赤字にして、この街にいられないようにしようと頑張っているんです。そろそろ生活費が底をついて出て行くはずですよ」
受付の子はそう言って困ったように笑っていた。
うん、自分で聞いておいてなんだけど、聞けば聞くほど悲しくなる。
もうこれぐらいにして、終わらせよう。
「サインが必要だよな?」
「あ、はい。では買い取り承諾証にサインを」
受付の子が承諾証と羽根ペンを手渡してくれる。
俺はその紙に俺の名前をデカデカと書いて、突き返した。
「ライン=ランスター……? え……? あ……? あ、ラインさん?」
「あぁ、始祖王を倒したせいで呪われたラインだよ。ほら、君がくれた依頼書もあるぞ?」
「で、でも、ラインさんのその見た目、吸血鬼じゃないですよ? 牙も耳も目も普通じゃないですか!?」
「呪いが解けたんだよ」
「お、おめでとうございます。ほ、本当に良かったですね」
「あぁ、本当に良かったよ。俺がどういう扱いだったのか、改めて確認できてさ」
受付の子の顔からサーッと血の気が引いていく。
自分が俺に何を言っていたのか気付いたんだろう。
「俺の剥ぎ取った素材を随分安く買い叩いてくれたな? 追い出すために金を抜いたんだって? そういえば、俺が来た時と比べて随分とアクセサリーが増えたな? 高い宝石のついたブローチに指輪なんて持ってなかったよな?」
「そ、それは……違うんです! たまたまラインさんの持ってくる素材が在庫多くて……買い取り額が下がっていて」
「へぇ、でも、俺を誰かに退治して欲しいけど、誰も退治してくれないから、俺の報酬を抜いたって自分で言ったよな? しかも、抜いた金は自分の懐に入れて、そのアクセサリーになった訳だ?」
「と、当然じゃないですか。正統な報酬です! ラインさんは吸血鬼だったから、みんなが怖がってなんとかしてくれって言ってきたんです! 私はみんなの依頼に応えただけで!」
うわ、自分で言ってたことを指摘したら逆ギレしたぞこの女。
でも、まだまだ俺は言い足りないからな。
「んで、俺が人間に戻った途端、格好良いとか、強くてすごいとか、頼りにしてくれと猫なで声を出すのか? 中身は同じ俺なのに? お前が怖がっていた吸血鬼なのにか?」
「だ、だって、今のラインさんは呪いがとけて人間になったんですよね!? だったら、態度を変えたって悪くないですよ! むしろ、呪いがとけたのにそんな意地悪をするラインさんの方が女々しいです!」
「ハッ! ハハ! アハハハッ!」
急に声を荒げた受付の子に、俺は笑うしか無かった。
とんでもない逆ギレの連続だ。
全部受付の子が言っていたことを確認しただけなのに、何で俺が悪いみたいになってるんだよ。
あー、段々と腹が立ってきた。何も知らないで好き勝手なこと言いやがって。
「本当にあんたは何も分かってないんだな?」
「え?」
「さっき呪いが解けたって言ったな? 正確にいえば、吸血鬼の力を操れるようになったんだよ」
魔力を練ると、目の辺りが熱を持ち始めた。
すると、それだけで受付の子は腰を抜かして、床に尻餅をついてしまう。
「そ、その赤い目……」
「あぁ、そうだ。お前が怖がっていた吸血鬼の目に牙だ。どうだ? 怖いか?」
「ひっ!?」
受付の子が倒れた床が濡れている。
顔は完全に恐怖に歪み、ヒューヒューと変な息の音が漏れていた。
「や、やめて……血を吸わないで……呪われたくない……」
もちろん、血は絶対に吸わない。
ここで受付の子の血を吸ったり、身体を傷つけようものなら、立派な討伐対象になってしまうからだ。
それはキキをつれて旅をするにあたって良くない。非常によくない。
それに、こんな性根の腐った女の血を、俺の中に流したくない。
だから、他のことで追い詰めるだけ追い詰めて捨て置こう。
「俺から抜き取った金を返せ。全額だ」
「払います! 払いますから殺さないで……」
受付の子はもう俺が何も言わなくてもお金をかき集め、震える手で金の入った袋を机の上に置いた。
別に命を取るなんて言わなくてもこの怯えようだ。
俺は正統な報酬を要求しただけなのにさ。
比べるのもキキに申し訳ないけど、キキとこの女は正反対と言っていいくらい違う。
おかげで未練無くこう思える。
もうここに用はない。この受付の顔も二度と見たくないし、ここでの仕事もしたくないって。
「もし、仮に俺が完全に人間に戻っていたとしても、お前のようなあばずれなんかこっちから願い下げだ」
俺はそう言って、素材を売った金の入った袋を乱暴に奪い、ギルドの建物を後にした。
そして、街に宿を取らず、簡単な保存食だけを買って街を出た。
そんな訳で今は、港町に続く道をただ黙々と歩き続けている。
ちなみにその間、キキはずっと無言でついてきていた。
んで、そんな長い沈黙にさすがに俺も耐えきれなくなった。もしかして、さっきのでキキに怖がられて、嫌われたのか?
「あ、あのさ……キキ……さっきのギルドでのことなんだけど。――え?」
俺が話題を切り出すと、キキは急に俺の頬を手で包み彼女の胸に抱きしめてくれた。
ぽふっと顔がすっぽりキキの胸におさまって、キキの甘いモモのような匂いがする。
「大丈夫。ラインさんも辛かったんだね」
「キキ……その、情けないところを見せたな」
「ううん、ラインさんは悪くないよ。あの女の人はラインさんに酷いことを言ったのに、ラインさんが悪いなんておかしいよね」
キキは俺の怒りと悲しみを受け入れてくれた。
俺はせっかく見た目だけでも人間に戻れたのに、人間に戻ったことで俺がどれだけ嫌われていたかを改めて突きつけられたせいで、堪忍袋の緒が切れてしまったこと。
見た目は化け物になっても、中身はちゃんと人間でいようと有り続けたのに、結局俺は化け物としか見られていないこと。
俺の努力は何の意味もなかった。見た目だけで全て否定されていたなんて虚しいって気持ちも、キキはまとめて抱きしめてくれた。
「ごめんねラインさん。もっと早くこうしてあげたかったんだけど、ラインさんは強いから、周りに人がいるとこうしても困っちゃうかと思って……」
ぽんぽんとキキが背中を優しく叩いてくれる。
「キキはどっちのラインさんも好きだよ。吸血鬼の格好良い姿も、人間の優しい顔も、どっちもラインさんだよ。もったいないよね。みんなラインさんのことを知らないなんて」
これじゃあ、俺がまるであやされている子供だな。
確かにこんな姿を誰かに見られるのは恥ずかしい。キキが気を遣ってくれて助かったよ。
「だから、元気だして? 元気が出るまでこうしてあげるから。ね?」
「……ありがとな。なら、その……もう少しこのままでいいかな? 今、ちょっと顔見られたくない」
「うん、いいよ」
泣きそうなのか、笑いそうなのか、自分でも良く分からない気持ち悪そうな顔をしているから。
そんな顔は見せたくないし、出来るなら、もうちょっと長くキキの温もりに甘えていたかったんだ。