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邪神

 詩亜の初めての友達は、犬だった。

 昔から極度の引っ込み思案だった彼女はうまく周りに溶け込めず、学校ではいつも一人ぼっちだった。もちろん、真聖はずっと一緒にいてくれたけれど、血の繋がった家族だ。友達ではない。

 空き地に捨てられていた、白い子犬だった。

 黒い真ん丸の無垢な瞳で「くうん」と鳴かれれば、心をほだされないはずもなく。

 真聖の口利きで何とか両親から飼うことを許してもらえた。

 真聖に助けてもらってばかりだった彼女にとって、子犬の面倒を見ることはとても有意義なことだった。自分にも誰かの役に立てることがある、頼ってもらえる存在でいられる。

 それが例え犬であっても、詩亜にとっては何の問題もなかった。

 それなのに――

 詩亜は殺めてしまった。大切な友人を。

 彼女の発症した呪力が直撃し、まるで破裂してしまったかのような醜い姿となった。あんなにも可愛かった子犬は、ただの肉塊に変貌してしまったのだ。

 それからの生活は、本当に辛かった。父と母はこれまでも詩亜に厳しい躾をさせてきたのだが、呪力持ちだとわかった途端にゴミでも見るような態度になり、監禁された。自分の子供が呪力持ちだと知られれば、家族全員敵視されるのだから仕方のないことだったのだろうと、最初は自分に言い聞かせることができた。だけれども、風呂にも入れず、布団もなく、満足な食事も与えられない生活は詩亜をいよいよ追い詰めた。

 そんな風に生きる気力を失いかけていた時、真聖が助けに来てくれたのである。

『わたしのこと、嫌いにならないの?』

『ならないよ。だって詩亜は詩亜だもの。それに――』

 そう言って、真聖は血に濡れた見張りの男を指差した。

『ボクも呪力持ちだったんだ』

 ――ああ、そうだったんだ。

 詩亜は心の底から喜んだ。

 真聖も一緒。これで自分だけが蔑まれることはない。

 そう思ったのに、違った。

 母に見つかり、真聖が呪力持ちであることを知ったというのに、何も態度が変わらなかった。寧ろ真聖を無理矢理連れて行き、母は片時も彼を離さなくなった。詩亜への関心はまるでなくなったのか、監禁されることはなかったけれど、全く近付くことができないでいた。真聖を奪われた気持ちだった。

 仕事で忙しかった父も、真聖が呪力持ちだということを聞いているはずなのに、何も言わなかった。ただ、詩亜を見る目だけは、日に日に恐ろしくなっていった。

 ――どうして真聖は嫌われないんだろう。

 心のどこかで少しの不満を抱えながら、詩亜は学校にも行かず、部屋に閉じ籠っていた。

だがある日、父がやってきた。

 彼は無表情に、詩亜の首もとに手を掛ける。

『お前さえいなければ、お前さえ生まれてこなければ――』

 怖かった。殺されると思った。

 でも死んだのは、父だった。

『待たせてごめんね、詩亜』

 真聖は悠然と立ち、血に濡れた父などお構いなしに詩亜のもとへと近付いてきた。

 手を握られ、何故かゾクリと悪寒がする。

 真聖の手はこんなにも冷たかっただろうか。真聖を見上げると、少しだけ不安そうに困ったように笑っていた。

 勉強も運動もできて友達も多く、父と母からは期待され可愛がられ、同じ顔なのに詩亜とは全く真逆の人間。

 そんな彼なのに、どうして自分を見捨てないのか。同情や優越感からだと考えたこともあったのだが、彼は父も、おそらく母をも手に掛けているのだ。心の底から自分のことを想っての行動だと考えた方がしっくりくる。

 ――でも、理由なんて、どうでもいいことだよね。

 詩亜は真聖の手を強く握り返した。

 これで本当に、詩亜には真聖しかいなくなってしまったのだから。真聖だって同じだ。自分しかいないのだ。

 正直、真聖を妬む気持ちがないと言えば嘘になる。いつだって羨ましかった。でも、誰よりも詩亜を理解し、守ってくれる唯一無二の双子の弟なのだ。

 他には何もいらない。

 彼がいれば、きっと大丈夫。

 そう、思っていたはずなのに――


「赤屋という男が欲しくなったのですか?」


 不意に現実に呼び戻された。

「……そんなこと、思っていません」

 強く言ったつもりが、掠れた声しか出ない。

 冷たい床――

 周りを見渡せば、見知らぬ部屋の一室に座り込んでいた。何もない質素な部屋で無駄に広い。電気は点いておらず、窓から差す月明かりだけが、この部屋を照らしていた。

 そして目の前には、一人ほくそ笑む白髪の少女が佇んでいた。

「なら、どうして今の話の流れで赤屋さんの名前が出たのでしょう」

 意識していなかったが、どうやら今まで思い出していたことを全て彼女に話してしまったらしい。

 そして、赤屋の名も――

「違います、恩人なんです。ただ……それだけです」

 真聖以外の人に胸を貸してもらったのは初めてだった。とても安心して、今までの辛い思いやら何やらを全て吐き出すかのように泣き叫んだ。赤屋にとっては仕方なくやっただけのことなのだろう。だけれども、詩亜にとってそれは酷く嬉しいことだった。

 だからここに来る前も、赤屋は診療所に泊まるから夕飯はいらないと真聖から聞いて、お弁当だけでもと一人で診療所に向かったのだ。その後に誰かに会った気がするが、よく思い出せない。

「ならどうして、真聖に罪悪感を抱くんです?」

 間近に少女の顔があり、どきりとする。いつの間にか少女はしゃがんで詩亜を見つめていたのだ。

「そ、そんなもの、抱いてなんか……!」

「本当は赤屋さんが欲しくて堪らなかったのでしょう? 真聖が邪魔になったのではありませんか? いなければいいと少しでも考えてしまったから、罪悪感を抱いている。違いますか?」

 ――違う。

 違う、違う、違う違う違う違う!!

「わ、わたしには真聖が……! 真聖がいないと……!」


「貴方はただ――一人ぼっちになるのが怖いだけでしょう」


 詩亜は言葉に詰まる。それは肯定したも同然だ。だからこそ言葉が出なかった。

 一人は嫌だ。だから真聖を求める。

 真聖でなくても、側にいて自分を守ってくれさえすれば、それは誰でもよかったのだ。

 ――最低だ。

 最低だ、最低だ、最低だ。

 涙が出た。止まらなかった。

「自分を哀れんでいるのですか? 本当に――最低な小娘ですねぇ? フヒヒッ」

 彼女の言葉に、詩亜の心は完全に負の感情に支配された。

「詩亜!」

 夢か現か幻か――弟が自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 けれども、もう頭がぼうっとして動くことができない。目を閉じると、ふわりと懐かしい香りに包まれた。

 ――ま……な、と?

 何とか重い瞼を開けると、悲しそうな弟の顔があった。

 暖かい腕の中、相変わらず手は冷たいのだけれど、頬にその手を添えられ、自分の名前を一生懸命に叫んでくれている。

 ――ああ、真聖。ごめんね。やっぱりわたしはあなたが好き。大好きよ。……だって、だって、わたしには真聖しかいない。いないんだもの。真聖がいないと、わたしは――


「詩亜!!」


 叫ぶ真聖の腕の中で、詩亜は意識を手放した。




「……おや、不法侵入ですか。『真聖』と『赤屋さん』ですね?」

 噂の白髪の少女を間近に見て、赤屋は思わず息を呑む。

 ――人間じゃない。

 自然と身構える。

 若い少女の顔つきではあるのだろうが、全く生気の感じられない瞳に青白い肌と青白い唇。ボロボロのドレスは妙に彼女とマッチし、まるで捨てられた古い人形のようだ。

 だが彼女から発せられる気は、尋常ではないほどに重苦しく畏怖を感じさせるものだった。

 幽霊にでも出会ってしまったかのような気分である。

 真聖を追い掛けた先に、まさか神隠しの犯人である白髪の少女に出会えるとは思いもしなかった。しかも紅苑に住み着いていたとは。ただ決して近くはなく、かなり田舎の方なので、かなりの時間走り回った。今は真夜中だろう。赤屋でさえ疲れているというのに、疲れた様子をほぼ見せることのなかった真聖の体力も異常ではある。

 しかし何より気になるのは、詩亜を誘拐した方法だ。真聖の話を信じるとすれば、香羅朱が出て行ったすぐ後に詩亜も紫暮の診療所に向かっていたようなのだ。あの短時間に行われた犯行ならば、一番怪しいのが香羅朱なのは間違いない。だが、詩亜は今、白髪の少女のもとにいた。

 となると、香羅朱から詩亜を奪ったのか、あるいは香羅朱は白髪の少女と繋がっていたのか。

 香羅朱の様子を見た限り、後者はとても考えにくいのだが。

「おかしいですね、見つからないようにこの屋敷には細工をしていたはずですが」

 そう言って少女は、赤屋と詩亜を抱きしめて項垂れている真聖を交互に見た。

 赤屋はただ真聖を追って来ただけだ。この屋敷を見つけたのは彼である。

「おい、真聖。詩亜は――」

「生きてるよ。死なせてたまるか」

 ――気絶しただけか。

 安堵したものの、真聖が危ない雰囲気なのが伺えた。それはそうだ。何をされたか見てはいないが、詩亜は白髪の少女によって気絶するほどに追い詰められたようなのだ。

 彼は詩亜を床へそっと寝かせ、愛しそうに額に口付けた。

 そしてゆっくりと立ち上がり、白髪の少女へと向き直る。

「時間は掛かったけど、見つけるのは簡単だったよ。マガイモノごときが、ボクに敵う訳ないんだからね」

 薄ら笑う真聖に、少女は目を細めた。

「…………なるほど。厄介な子供がやって来たようですね」

 二人で話が通じているらしいが、赤屋にはさっぱりだった。

 マガイモノとは何のことなのか。

 疑問に思っていると、入って来た扉の方から物音が聞こえた。

「灯月ちゃん……?」

 振り向くと、一人の子供が首を傾げて突っ立っている。

「なにがあったの?」

「わー、おじさんだれえ?」

「おとなだー!」

 その後ろから、わらわらと子供が集まってきた。

 ――誘拐した子供達か?

 灯月と呼ばれた白髪の少女は驚くほどに穏やかな笑みを浮かべて子供達の前へ行くと、その子供らは嬉しそうに彼女の周りに群がった。

「おやおや、起きてしまったんですね。彼らはワタシの大事なお客様ですから、部屋にお戻りなさい」

 大人の男が来るのが珍しいのか、不思議な目で赤屋を見てくるのだが、彼らは大人しく部屋へと戻って行った。

 今いたのは五、六人というところだろう。神隠しの頻度を考えると、もっと人数はいそうだが、もしかすると殺されている可能性も否めない。

「何の為に子供をさらう」

 子供達を見送り終わった彼女に、思わず問い掛ける。

「自分の為ですよ。人間の負の感情が、ワタシの生きる糧なのです」

 何てことない様子で答えてくれたが、キチガイな返答である。

「赤屋さん。マガイモノっていうのは、邪神に嫌われた元人間のことを言うんだ」

 続く真聖の説明に、赤屋は反応に困る。わかったのは、やはり彼女が人間ではないということだけだ。

「……邪神に嫌われたってのはどういう意味だ?」


「それはオレが説明してやる」


 赤屋の問いに反応したのは、突如、部屋に響く聞き覚えのある声。

 再び部屋の扉を見ると、そこには緑のマントを羽織ったあの香羅朱が、偉そうに腕を組んで突っ立っていた。

 さっきまで会っていた香羅朱とは雰囲気が違っており、まるで別人に見える。

 いや、その狂気に駆られた瞳は、邪獣をなぶり殺していた時と似ている。

「次から次へと……今日は厄日ですね」

 先程まで穏やかな雰囲気で話していた灯月が、途端に機嫌を悪くしたように香羅朱を睨み付けた。

「おいおい、お前を誘い出したのはオレだぜ? そこのガキを出しにして釣ったんだからな。このオレが植え付けた負の感情、美味かっただろ?」

 嫌味な笑みを浮かべる香羅朱に、灯月は「……ああ、そういうことですね」と心底うんざりしたように呟いた。

「今までも負の感情でお前を釣ろとしたが、どうしても引っ掛からなかった。まさか子供限定で狙ってたとはな。そこの赤屋さんのおかげで知ったんだぜ、なあ?」

 話についていけないのに、こちらに振らないでほしい。赤屋は「ただの偶然だ」と否定しておいた。

 香羅朱は楽しそうに笑いながら「おっと、本題を忘れるところだった」と言って、勝手に語り出す。

「邪神は、嫌いになった人間を孤立させようとする習性がある。人間でもなく邪神でもない中途半端なマガイモノにするんだ。呪力は与えられるが、呪力持ちとは違い、飲まず食わずでも永遠に死ぬことができない」

 つまりは不死ということか。それならば、村で聞いた何十年も前の目撃情報は事実だったということになる。

「ただし、負の感情がないと、喉が乾くのと同じで苦しくて仕方がなくなる。マガイモノってのは、人間にも邪神にも仲間に加えてもらえない哀れな存在なのさ。――なあ、灯月?」

 瞬間、灯月は顔を歪める。少し呻きながら、白髪の頭を両手で押さえた。

「……それ以上、喋るな……! 叉戯(さぎ)……!」

 何か様子が変だ。頭痛でもするのか。彼女の口調も変わっている。

 しかも叉戯とは、香羅朱のことを指しているのだろうか。

 彼は一瞬真顔に戻る。

「ふ~ん、昔のことを思い出してきたみたいだな? ――まあいい。香羅朱の奴もお前と話したいみてえだからな――」

 香羅朱――ではなく、叉戯は目を瞑った。

 ――奴の空気が変わった?

 目を開けると、狂気に滲んだ瞳はどこへやら、元の誠実そうな香羅朱に戻っていた。

「……灯月、探したよ」

 真剣な眼差しを向けられ、灯月は大きく息を吐くと、少し落ち着きを取り戻したようだった。

「……今更、何の用です……?」

「今更じゃない。ずっと君を探していた。ずっと君を人間に戻すことだけを考えてきた」

 灯月は鼻で笑って、鋭い視線を彼に向ける。

「……人間に戻す? この百数年、どう生きてきたと思ってるんですか。負の感情を持つ子供達以外、誰とも関わらないように隠れて生きてきたのですよ。人間に戻されても迷惑なだけです。そう思いませんか、赤屋さん」

 いやだからこちらに話を振らないでほしい。

 というか、灯月が百数年生きているというのなら、彼女と知り合いである香羅朱も同じ状態だったりするのだろうかと疑問が過る。

 不意に香羅朱と目が合った。

「赤屋さんと……真聖君、だったかな。彼女を――詩亜ちゃんを巻き込んで申し訳ないです。灯月を見つけた時点で彼女は帰そうと思っていたんですが、叉戯の奴を止められず……」

「二重人格か?」

 苦々しく謝る香羅朱に思わず質問すると「彼は邪神を飼ってるんだよ」と、とても不機嫌そうに真聖が答えた。

 香羅朱は目を見開く。

「……君は――何者だ?」

「ボクは好意を寄せてきた邪神を受け入れただけだよ」

 これまたキチガイな返答だと、赤屋は思った。

 以前も彼は、邪神と一つになったと頭のおかしい発言をしていたが、邪神が人間に好意を寄せるというのも信じられない。仮にそれが真実だったとして、シスコン一直線の真聖がその邪神を受け入れたというのも信じ難い話である。

「赤屋さん、失礼なこと考えてるでしょ」

「当然の疑問が浮かんだだけだ」

 真聖は少し不貞腐れたように「ボクだって、詩亜以外を受け入れるのは嫌だったんだ」とぼやいた。

「赤屋さんは勘違いしてるようだけど、邪神の本質は人間が大好きなんだよ」

「ありえねえ。現に俺の故郷は襲われ、何人も殺された」

 今でも鮮明に思い出せるその光景は、赤屋にとって軽くトラウマものである。

 真聖は顎に手を当てて考え込む。

「それは――赤屋さんの故郷の誰かが、その邪神に危害を加えたとか、あるいは他の人間に危害を加えられて人間嫌いになったって可能性も考えられるかな。邪神は危害を加えてきた人間はとことん追い詰めるから」

 ――それは大好きって言わないんじゃねえのか。

 突っ込みたいところではあったが、白髪の少女が突然「フヒヒッ」と薄気味悪く笑った。

「そうですね、それはよくよく身に覚えがあります」

 真聖はジロリと彼女を見た。

「……マガイモノにされるのは稀だけどね。殺すよりも残酷な方法だと邪神は考えている。生き地獄ってやつかな」

 つまりは、彼女も邪神に危害を加えたということか。それも相当の。

 香羅朱も何か言いたそうにするが、拳を握り締めるだけだった。

「呪力を与える与えないってのも、邪神の好き嫌いで決めるのか?」

「違うよ。それは別に基準があるみたい。呪力は神聖な力だと邪神は考えているんだけど、それを扱いきれる人間を見定めて呪力を与えているんだ。詳しい基準はボクじゃあ理解できないんだけど」

「……理解できないって、お前は邪神と話をしたのかよ」

「一つになったって言ったでしょ。邪神は人間に惚れるんだ。好かれた人間は、邪神からしつこいくらいに迫られる。姿は見せず、脳内に甘い言葉で語りかけてくるんだよ。一つになりましょうってね」

 よくわからないが、考えただけでもおぞましい。

「邪神を受け入れると、どうやら邪神の意思は消えてしまうみたいだね。全ての記憶と力をボクが受け継いだような形になる。だから、ボクと一つになった邪神の知識は全て頭に入ってる。たださっきみたいに、人間にはよく理解できないことも相当あるんだけど」

 邪神の知識を得るというのは、かなりのリスクがあるのではないだろうか。

「もちろん、邪神を受け入れた時は頭が張り裂けそうなくらい苦しくて仕方なかったよ。膨大な知識が一気に入ってくるからね。恐らく、それに耐えられる人間は一握りしかいないんじゃないかな。ボクは必死に足掻いたけどね」

「何で邪神を受け入れた」

「詩亜の為だよ」

 当然のように返される。

「呪力が目覚めたばかりでボクは力を上手くコントロールできず、母に軟禁されたまま抜け出すことができなかった。でも、父の様子もおかしくて、詩亜を殺すんだろうとわかったら、もう選択肢は一つしかなかった。呪力が目覚めたと同時に邪神には言い寄られてたからさ、詩亜を守る為に体を差し出した」

 灯月と詩亜の会話もほとんど聞いていないので、双子の事情は断片的にしか知らないが、そこまで追いつめられるほどの状況だったのは確かなのだろう。

「でも、香羅朱さんはボクとは違うんだよね?」

「……ああ」

 まるで見下すかのような真聖の物言いに、香羅朱は気まずそうに返事をした。

「……だが『飼っている』と言うのは、語弊がある。邪神は、おれの中に封じ込められているだけだ」

 真聖と何が違うのか。

「無理矢理ってところかな。ボクと違って、邪神の力は二割くらいしか使えないっぽいし、邪神の人格が残っちゃってるし。叉戯って奴が邪神の人格でしょう?」

「――真聖君の言う通りだよ」

 香羅朱は静かに肯定する。

「おいおい、めちゃくちゃ嫌味な感じで喋ってたが、邪神はあんな俗っぽい感じなのかよ」

 ついつい話に割り込んでしまった。

 赤屋が過去に見たのは、巨大な天使のような姿で気持ちの悪い触手の生えた邪神である。とても人間の言語を話しそうにない輩であった。

「色々だけど、確かにあの叉戯って奴は邪神の中でも異色だと思うよ。愛情表現も相当歪んでそうだし」

「愛情表現?」

「叉戯は彼女に惚れてるんじゃないの」

 真聖はそう言って、灯月を顎で指した。

 ――だとしたら、とんだガキじゃねえか?

 惚れた女を虐めて楽しむ。そういう嗜好ということになる。

 それを聞いた香羅朱は苦笑するが、否定はしなかった。

 そしてすぐに真剣な顔つきになって、灯月に向き直る。

「灯月、君は人間に戻って普通の女の子としての生活をやり直すんだ」

「…………ですから、勝手なことばかり言わないでください。昔から自分のやることは正しいと疑わない性格がもううんざりなんですよ」

 憎々しげに語る彼女にも、香羅朱は何一つ動じない。

「それなら尚のこと、君を人間に戻す。そうすれば、おれも叉戯も消えてなくなる」

 とんでもないことを言い出した。

「やはり――そういう魂胆だろうと思っていました。貴方達だけ死ぬなんて余計に迷惑です。ワタシを助けたいと願うなら、ワタシを殺しなさい」

「全てはおれの責任だ。君は悪くないのに殺せない」

 灯月は大きな溜め息を吐いた。

「子供を何人も殺している重罪人ですよ。……人じゃありませんが。この男、どう思います、赤屋さん」

「面倒な奴ってことは認める」

 灯月の問いに素直に感想が出た。香羅朱は良くも悪くも真っ直ぐなのだろう。二人の間に何があったのか知れば、もっと気持ちはわかるのかもしれないが、これ以上踏み込むのはごめんである。

 いや、すでに踏み込み過ぎてしまった気がする。大体、この状況が異常だ。純粋な人間は自分だけなのだ。

 ただ、彼らが邪神の知識を有しているというのなら、赤屋はどうしても聞きたいことがあった。

「取り敢えず、俺は邪神をどうすればブッ殺せるのかだけ知りてえんだが」

 赤屋の割りと真剣な質問に、どこか場の空気が変になる。

「フヒヒッ」

 灯月は笑った。

「いい度胸ですね、赤屋さん。でも……今はそれどころではなさそうですよ?」

「どういう意味だ」

 彼女はバルコニーに続く窓の外を見た。まだ薄暗いが、そろそろ日が登り始めたらしい。

「随分と楽しそうなお祭りが、町の方で行われているみたいですねぇ」

「祭り?」

 町とは紅苑の中心地を指しているのだろうか。

「っ! まさか……」

 香羅朱は何か思い当たる節があるのか、険しい表情になる。

 すると突如、バンッと激しい音が響き渡る。それと同時に強風が巻き起こる。何事かと思いながら赤屋は目を瞑って腕で風を防ぎ、何とかその場に踏み止まる。

 すぐに風は止んだ。

 目を開けると、バルコニーに続く窓が開いたようだった。ボロボロで色褪せたカーテンがヒラヒラと舞っている。

「もう…………終わりにしましょうか――何もかも」

 灯月は神妙な面持ちで呟くと、また風が巻き起こる。

 ヒラヒラと舞うカーテンが彼女の全身を隠し見えなくなった。

 風が止み、カーテンがもとの位置に戻った時には、灯月の姿はすっかりと消えていた。

「……逃がすかよ、灯月ぃ」

 いつの間に変わったのか、叉戯がニンマリと笑みを浮かべ、緑のマントをはためかせながら瞬時にバルコニーの外へと飛び出した。

 何が何だか分からず放心していると「赤屋さん」と真聖に呼び掛けられる。

「詩亜をまず紫暮さんのところに連れて行こう。そしたらすぐにボクはあいつらを追う」

「……追ってどうする」

「殺す。あるいは死ぬのを見届ける」

 灯月が言った『何もかもを終わらせる』という意味を真聖は理解でもしているのだろうか。

「だがここから紫暮ジイさんのとこに戻るにはかなり距離があるぞ」

 赤屋の自宅方面、つまりは紅苑の中心地へ戻るということだ。

「大丈夫。ボクの呪力で少し次元を歪めれば、速く移動できる」

「じ、次元だと?」

 もうその呪力は赤屋の理解の範疇を確実に超えている。

 ――これだから呪力持ちは好かん。

「だけどあの女が言ってたみたいに、本当に厄介なことになってるかもしれないから、赤屋さんも覚悟しといてね」

「一体何があるってんだ」

「たくさんの呪力と負の感情が入り混じってるみたいだ。……予想だけど、野良が反乱を起こしてるんじゃないかな」

 少し前に藍堂の所在を調べる為、呪力統制機関の関係者と接触した時に、緑苑と青苑で何回か暴動が起きていると耳にしたことを思い出した。

 呪力統制機関が水面下で動き、あまり公にされていないようなので詳しい内容までは把握できておらず、紅苑では何も起こっていなかったので特にそこまで気にしていなかったのだが、もしかしたらそれが関係している可能性も考えられる。

 だとしたら真聖の言う通り、非常に厄介であることは間違いない。

「でも、赤屋さんはやっぱり面白いね」

 何故か嬉しそうな真聖に赤屋は「どこがだよ」と突っ込みを入れる。

「今の話、信じるにしろ信じないにしろ、聞いたらもっと警戒するもんでしょ? でも赤屋さん、態度が何にも変わらないからさ」

「常に胡散臭いとは思ってるぞ」

 真聖はそれでも満足そうに笑い、眠る詩亜を抱きかかえた。

「さあ、赤屋さん。しっかりボクに捕まってね」

 ニコリと微笑む真聖に、嫌な予感しかしない。

 言われるがまま真聖の肩に手を置き、赤屋は死ぬほど後悔することになるのだった――

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