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不幸せな子供

 玄界は楽しくて楽しくて堪らなかった。平穏な生活を全て失ったあの日から、己の呪力で戦うことだけが、唯一の生きがいとなっていたのだ。

 討伐部隊の本部の周りには、物資が保管されている倉庫がいくつか設置されている。討伐部隊の隊員達を掻い潜り、玄界はその通りの一角へと到着する。

 そこには狙い通り、一人の男が佇んでいた。野良や隊員達の喧騒が響くが、ここには彼以外はいなかった。

 後ろで一つに編み込んだ濃紺の髪が風に靡く。眉の濃いはっきりとした顔立ちと、冷徹な瞳。

 邪獣討伐部隊第二部隊隊長――九九竜(くぐりゅう)だ。

 年は三十路手前くらいだったか、仕事に忠実で真面目な性格だという噂を聞いている。

 ――強そうだ。ゾクゾクするなあ。

 顔の火傷が疼く。


『――俺は、お前が憎くて憎くて仕方なかった。さようならだ、玄界』


 そのせいで不意にある男の顔が浮かんだ。その顔はにきびだらけで、目は小さく鼻も低く潰れている不細工だった。

 火傷が疼くと、必ず思い出してしまう人間。

 玄界はその男が嫌いではなかった。

 たとえ彼に、狭い物置小屋に閉じ込められ、火を放たれたとしても。

 玄界にとっては唯一無二の家族であり、兄だったからだ。

 彼は玄界とは正反対の容姿だったことがコンプレックスだったらしい。あの優しい兄は、心の内ではずっと自分を疎んでいたのだ。だけど、そんなことはわかりきっていたことなのだ。

 まるで似ていない兄弟だった。

 兄は要領が悪く、その容姿からも苛められることが多かった。そして必ず、兄弟である玄界を引き合いに出され、弟はあんなに綺麗な顔で頭もいいのに、兄は駄目だと罵られるのだ。

 それでも兄は恐らく葛藤していた。弟を恨むことに対して。優しい兄を演じようと精一杯頑張っていたことを、玄界は知っている。

 しかし、玄界が呪力持ちだと発覚した瞬間、兄の態度は豹変した。いや、兄だけではない。周りの反応も変わった。

 兄は同情され、仲間ができた。玄界はあっという間に一人になった。

 そして物置小屋に閉じ込められ、火を放たれたのである。

 兄は完全に殺すつもりだったのだろう。

 死ぬのは怖かったが、彼の報われない人生を考えれば、抵抗する気力もなかった。

 ただその時、玄界はまだ若く、呪力の制御もできていなかった。

 だから、兄が放った炎で顔が燃えた時、あまりの熱さと痛みに正気を失ってしまい、呪力が暴発してしまった。

 その呪力は物置小屋を突き破り、兄へと直撃したのだ。

 呪力のおかげか火は消えたのだが、兄の無残な死体を見つけた時の衝撃と失望感は今でも忘れられない。

 ――いらないことを思い出しちゃったなあ。

 興奮を覚えると、必ず顔の火傷が疼き、昔を思い出してしまうのだ。兄を殺した罪悪感を薄める為、人間や邪獣をたくさん殺してきたのだが、まるで意味がない。

 ただ、戦うことが生きがいにはなってしまったので、もはや自分を楽しませるだけの行為になっている。

「お前がナラズモノの玄界――か」

 九九竜が僅かに殺気を放ち、静かに問う。

 フードを目深に被り直し、「そうだよぉ」と返答した。テロ活動をしていた際、至るところで自己紹介をしてきたので、まるで有名人になったかのような気分である。

 彼は背中に差していた二本の刀を抜き出し、玄界へと構える。

「盛大にテロ活動をしてくれたおかげで、面白い情報を手に入れたのだが」

 構えの姿勢のまま、言葉とは裏腹に無表情に言った。

「お前の仲間の阿天坊と扇と言ったか。その二人のことを知っている同郷の者に出会えた」

 玄界はピクリと片眉を吊り上げる。

「その者達は全員、口を揃えて言っている。〈神隠し〉に遭ったはずの子供だと」

「……へぇ」

 少し意外だった。ナラズモノのメンバーのことを覚えている人間がいることに。

 確かに、阿天坊と扇の家族はまだ生きていたはずだから、知っている者がいてもおかしくはないのだろう。

 因みに、六波羅と玄界は家族との縁が非常に薄いので、二人を知る者は皆無と言っていい。久地楽については不明である。

「で、それがどうしたっていうのかなぁ?」

「偶然で神隠しに遭った者が二人も仲間になるとは思えない」

「フフフ、だから何ぃ?」

「神隠しに遭う子供には一つ共通点がある」

 九九竜は淡々と告げる。

「それは――全員、不幸せな子供であることだ」

 玄界は口の端を上げて彼を見据えた。

「ナラズモノは神隠しに遭った者の集団だと、自分は考えている。お前も――そうなんだろう?」

「まさか、おいらも不幸せだと?」

「違うのか?」

 九九竜は無表情のまま、己の頬に人差し指をトントンと当てた。玄界の火傷を指しているのだろう。

 まあ違いはしない。

 頬に火傷を負った日から、本当の意味で天涯孤独になってしまったのだ。決して幸せなことではない。

 玄界は口の端を上げたまま、パチパチと拍手をした。

「だーいせーいかーい。隠す必要もないから教えてあげるけどさ、確かにおいら達は神隠しに遭った不幸せな子供だよ」

 九九竜の体が僅かに動く。

「だけど、それを知ってどうするのぉ?」

 そう言った瞬間、九九竜の姿が掻き消えた。

 ――後ろか。

 直ぐ様背後を振り返り、紫色のローブから右腕を顔の前へと突き出す。

 九九竜の刀の一本が玄界の右腕に振り下ろされた。

 大きな金属音が鳴り響く。

 腕は切り落とされはしなかった。

 玄界の腕には鉄の籠手が装備されており、それによって九九竜の刀は完璧に受け止められている。

「……今まで何も足取りを掴めていなかった。それがようやく首謀者を突き止められそうなんだ。神隠しの真相を全て吐いてもらう」

 もう一本の刀が振り下ろされる。玄界は受け止めた刀を振り払い、後方へ飛び避けた。

「残念だけど、首謀者を教えたところでキミ達には捕まえられないと思うよぉ」

 ニヤつきながら懐から投げナイフを六本取り出し、一斉に九九竜へ向けて投げ放つ。

 彼が二本の刀でそれを薙ぎ払う瞬間を逃さず、素早い動きで九九竜の正面へ飛び出した。

「もらったぁ!」

 ローブの中から剥き出しの鋭い刃物を取り出し、両手で掴んで九九竜へと振り下ろす。

 しかし寸でのところで、二本の刀を交差し止められる。

「チッ!」

 舌打ちしながらも玄界は楽しそうに口の端を歪めたままだ。

 ギギギギと嫌な音を立てながら、お互い押し返そうと力がこもる。

「……それにさぁ、不幸せなら誘拐された方が幸せかもしれないじゃない」

「死体で発見されてもか」

「生き地獄よりはマシじゃないかなぁ」

 実際、玄界は灯月に拾われてよかったと思っている。兄が死んで一人になった時、自分も死ぬしかないと思っていたのだ。

『フヒヒッ、よければワタシに誘拐されませんか?』

 すぐに人間ではないことはわかった。それでも、行き場のなかった玄界は彼女について行くことにした。負の感情が好きというだけあって、彼女の巧みな言葉によってことごとく気持ちを落とされていたが、他の子供達との共同生活は悪くはなかった。その中で出会ったのが、ナラズモノのメンバーである。

 死にゆく者も何人も見たし、灯月に捨てられ絶望する者も何人も見たけれど、それでも彼らは灯月といる時は笑っていた。多分、灯月に誘拐されていなければ笑うこともなく、それこそ絶望の中だけで生きていたのではないだろうか。

「まあ何はともあれ、この戦いを楽しもうかぁ!」

 玄界の口から呪力の光球が生まれる。

 それが放たれた瞬間、交差していた九九竜の刀に強い光が宿り、大きな爆発が起きる。

「うわっ!」

「くっ!」

 二人は大きく間合いを取る。

 お互い、額から血が流れ出ていた。

 玄界はにたりと笑い、言った。

「まだまだ楽しめそうだねぇ」




「おらあああ!」

「うおおおお!」

 暑苦しい声を上げ、拳を繰り出し戦っているのは、浅黒い肌の阿天坊と、坊主頭の討伐部隊第四部隊隊長の(さざなみ)である。

 お互いの拳が、お互いの頬へとめり込んだ。

 二人とも呻き声を上げてぶっ飛ばされ、倉庫の壁へとぶつかった。

「いい拳じゃねえか!」

「ふん、そちらも若造の癖にやりよる!」

 口が切れて流れ出た血を腕でぐいと拭いながら、阿天坊は立ち上がる。

 若造と言われ少しムッとしたものの、確かに漣は明らかに中年男なので気にしないことにする。

「我らに逆らうとは何と愚かな行為か! 野良はただ大人しくしていればよいのだ!」

 しかしその言葉にはカチンとくる。

「てめえみたいな呪力持ちが、俺サマはマジで大っ嫌いなんだよ」

 阿天坊は精神を集中すると全身に黄色い呪力の光を纏わせた。

 まるで光の甲冑だ。

 漣はそれを興味深そうに眺め、自身も呪力の光を両手に纏わせる。

 こちらは光のグローブである。

「行くぜ!」

 阿天坊が先に動いた。

 姿勢を低くし、漣の足元へ入り込む。そこまで速い動きではないのだが、漣は反応しきれず、下を向いた時には阿天坊の拳が腹へとめり込んだ。

「ぐっ……! ざ、残像か……!」

 辛うじて受け身は取ったらしく、何とかその場に踏みとどまる。

 漣の言う通り、阿天坊の光の甲冑は動く度に残像ができるのだ。その為、本体である彼の動きが読みにくくなったのである。

「お前達の目的は何なのだ! 野良の国でも造ろうというのか!?」

「そんな下らねえもん誰が造るかよ! 俺サマを舐めんなよ!」

 偉そうに言ったものの、阿天坊にこれといった目的はない。

 六波羅に誘われたから、今までついてきただけのことである。

 もちろん腕に自信があるし、戦うことも嫌いではない。ただ戦闘狂いではないから、玄界のように誰かと戦うことを目的としている訳ではない。呪力統制機関の者達も嫌いだが、避けられる戦いは避ける性分だ。

見た目に似つかわしくないと言われるが、人の勝手である。

 阿天坊は元々、六人兄弟の長男で、喧嘩もしたことのない面倒見が良い性格だったのだ。最初は呪力を持たなかったのだが、呪力持ちだと発覚しても家族は何も変わらず接してくれるほど、家族仲がよかったのである。

 とはいえ、やはり世間の目は厳しい。家族全員が孤立することを恐れた阿天坊は、一人家を出ることにしたのだ。

 そこで灯月に誘拐されたというか、一緒に来ないかと誘われた。

 家族に何も伝えないまま考えなしに飛び出した彼に、行く宛などあるはずもなく、まあいいかと軽い気持ちでついて行くことにした。

 灯月は廃墟を拠点とし、家全体が負の感情で満たされていた。その中で子供達を囲っているのだ。見る者が見れば、おぞましい空間だと思うに違いない。

 軽い気持ちで来ていいような場所でなかったことだけは確かだ。甘ったるい空気に包まれながらも、どん底の悲しみと恐怖に苛まれる子供達を見て、阿天坊は少し後悔していた。

 だがそこで、異質な少年――六波羅と出会う。

 かなり古株のようで、灯月ともまるで対等な関係に見えた。

 酒に煙草に女との遊び方――彼からは色々と教わった。悪友というのがしっくりくるだろう。単純に彼といるのは楽しかった。その延長線上で今もここにいるようなものなのだ。

 阿天坊は再び残像を生み出しながら、漣へと攻撃を開始する。

「何度も同じ手が通用すると思うな!」

 漣は光のグローブを纏った拳を空へと掲げると、光の雨が空から降り注ぐ。

 阿天坊はすぐに後退するが、左腕にその雨が僅かにかすった。

 するとその触れた呪力の鎧が一部消える。

 ――呪力の無力化か。

 珍しい呪力ではあるが、昔にも同じ力を持った者と出会ったことはある。こういう特殊な呪力は非常に貴重なのだが、使い勝手は悪い。多くの呪力持ちと戦ってきて判明したことだが、発動するには厳しい条件をクリアしなければならないようなのだ。玄界の邪獣を呼び寄せる能力も同じで、色々と条件を揃えてようやっと使える。

 例えば天候。玄界は雨の日はその呪力を使えない。他にも条件があるようだが、プライバシーの侵害だと教えてくれなかった。覗き趣味の人間に言われたくはなかったが。

 他の者だと甘いものを食べながらでないと駄目だとか、熱が出た時に発動できるだとか、人と三メートル以上離れないといけないだとか、それはもう様々な条件があるようだった。

 条件の難度も個人差があるらしい。

 何にしても、漣の呪力も連発することは不可能だということは確かなはずである。

 そんなことを考えていると漣が駆け出した。背後を瞬時に取られ、間合いを詰められる。上空に手を掲げると、驚くことに光の雨がまたも降り注いだ。

「チッ、この野郎! 連発かよ!」

 もろに雨を喰らい、呪力の鎧のほとんどが無力化されてしまう。

「ふん、隙だらけだぞ!」

 無力化された阿天坊の腹目掛けて、漣が拳を繰り出した。

 さすがにまともに喰らう訳にはいかない。

「くっ!」

 体を大きく曲げ、どうにか拳を躱し、不安定な体勢ながらも阿天坊も拳を繰り出した。

 やはり簡単に躱されてはしまったが、漣との距離が開いた。

 おそらく漣は接近戦に持ち込みたいのだろう。奇しくも二度も喰らったあの光の雨は、範囲が限定されていると判断する。

 半径一メートルもないくらいだろう。広範囲にできるのであれば、まず遠距離で雨を降らせ、完全に無力化してから叩くに違いない。しかし彼はそうせず、わざわざ接近戦向きの阿天坊に真っ向から近付いて雨を降らしたのだ。

 距離さえ離れていれば、そこまで恐れる技でもない。

 とはいえ、阿天坊も接近戦向きだというのが問題なのだが。

 それに無力化された箇所はいつになれば回復するか目処もつかない。

 ――ま、こうでなくっちゃな。

 強い者と戦うことは嫌いではないのだ。

 まだ無力化されていない左手にありったけの呪力を集中させる。

「さあて、じっくり楽しむとするか」

 ただ一つだけ、阿天坊は何となくだが確信した。

 今回が〈ナラズモノ〉としての最後の戦いになるだろうと――




「久地楽ぁ! 待ってよ!」

 扇は息を切らしつつも、久地楽に追い付つこうと必死に走っていた。前を走る久地楽は襲い来る邪獣討伐部隊の隊員を次々と剣で蹴散らしながら、隊長格を探しているようだ。

 汗一つ掻かず、黒い衣装で闇夜に紛れながらも、華麗に戦う久地楽の姿に思わず見惚れてしまう。

 すると横から、隊員が剣を構えて襲ってきた。

 ――女を狙うなんて、最低な男ね!

 扇は口の前に手のひらを近付け、フウッと息を吹き掛ける。桃色の呪力の光がその息と共に輝き、隊員の体にまとわりつく。

「くっ……あ……」

 隊員の男は、気を失ったかのようにその場に倒れ伏す。

 阿天坊や玄界のような野蛮な戦いは好かない。眠らせれば不要な戦いは避けられる。殺す必要があったとしても、この方が返り血を浴びることもなく容易く殺すことができるのだから効率がいい。

 ちなみに扇の中で久地楽はイケメンなので、どんなに戦っても野蛮の部類にはならないようだ。

「もうっ、はやくしないと久地楽を見失っちゃう!」

「女の子を一人ぼっちにする男なんかより、私の方が君を幸せにしてあげられるよ?」

「なっ!?」

 まるで気配を感じさせずに背後を取られ、扇は慌てて距離を取った。

「やあ、君がナラズモノの唯一の女の子、扇ちゃんだね?」

 ――やだ、ちょっとかっこいい。

 彼には少し見覚えがあった。以前に邪獣討伐の仕事で鉢合わせたはずだ。

 ブラウンの髪の男は爽やかに微笑み、「私は藍堂だよ」と言って手を差し出してきた。

 思わず握手しそうになるが、相手は敵だ。いくら顔がよくても扇もそこまで馬鹿ではない。

 そうこうしてる間に、久地楽の姿も見えなくなってしまっていた。

 心の中でチッと舌打ちし、冷めた視線を藍堂へ向ける。

「邪魔するなら殺すわよ。あんた、隊長でしょ?」

 身のこなしが只者ではない。

「う~ん、女の子に本気は出せないかな」

 顎に手を当て、扇の全身を眺め回す。

「いや、本気を出すまでもないか」

 ――ふざけやがって、この男っ!

「藍堂! 到着早々、女を口説いている場合か!」

 扇が動き出そうとすると、次に女の声が響いた。

 また隊長格であれば形勢が不利になる。

「酷いなあ織世。彼女はナラズモノのメンバーだよ」

「何い!? この派手で品のない女が!?」

「失礼ね!」

 よく誤解されがちなので一応断っておくと、体を売った経験は一度もない。そういうことに関して扇は潔癖であった。

「ならば容赦はしない! 大人しく捕まるのが身の為だぞ!」

 突如、織世は細身の刀身を抜き出し、扇に斬りかかって来た。

「いやー! 何なのよこの女ぁ!」

 この織世という女は確実に苦手な部類に入るだろう。扇は瞬時にそう感じ逃げ出そうとするのだが、反対側には藍堂が立ち塞がっていた。

「君達の目的を教えてくれないか。野良との関係は、我々もいつも頭を悩ませている問題だ。お互い共存していく為に、一緒に解決策を模索したい」

 ――どうせ偽善じゃないの。

「悪いけど、全員目的はバラバラよ! 大体、話し合いが通じる相手じゃないから!」

 あのナラズモノのメンバーが彼らと共存する為に協力するなど、とんだ笑い話にしかならない。

「それならば、貴様は何の為に戦っているのだ!」

 扇は織世をキッと睨み付ける。

「そんなの――他に居場所がないからに決まってるでしょ!?」

 全てはあの女に奪われた。あの女さえ現れなければ、扇はまだ家族と一緒にいられたはずだった。

 織世は何故か剣を下げた。

「……確かに、野良は生きにくい世の中だ。しかし、これではお互いに無駄な命を散らすだけだろう」

「勘違いしないで。あたしは野良だからとかそんなことで、居場所を失った訳じゃない。全部、灯月のせいなんだからっ!」

 扇は生まれつきの呪力持ちだ。父も母もそんな扇を愛して可愛がってくれていた。

 いや――そういう振りをしていることはわかっていた。扇のいないところで二人が愚痴を漏らしていることも知っていたし、両親が周りから疎外されていることも知っていた。

 だがそれでも、扇は父と母が好きだった。大好きだった。

 ――それなのに、あの女は!


『貴女は邪魔者みたいですね。ワタシがいいところへ連れて行ってあげましょう』


 無理矢理に誘拐されたのだ。

 邪魔者だったなら、とっくに両親に捨てられていたはずだ。それでも扇を手元に置いたのは、愛してくれていたからに違いないのだ。

 だから扇は灯月に反発しまくった。家に帰りたいと何度も何度も主張し続け、同じく囚われていた久地楽が言ったのだ。

『好きにさせてやればいい』

 恐らく久地楽は扇の為に言った訳ではないのだろう。しかし扇は初めて両親以外から味方らしい発言をしてもらえたのだ。とても嬉しかった。

 灯月も『貴女もう面倒ですから、捨ててあげますよ』と怪しく笑い、とうとう解放してもらえた。

 大喜びで両親のもとへ行ったのだが、家は引っ越してしまったらしかった。顔を合わせたことのない近所に住む老婆に訪ねてみると、

『あの二人の知り合いかい? 実はね、子供が呪力持ちだったみたいなんだけどさ、運良く誘拐されたらしくってね。新しい子供作って心機一転、どっかに引っ越しちまったよ。うちも呪力持ちが親戚にいるんだけど、誘拐されてくれないかねー。幸せそうで羨ましかったよお』

 老婆は下卑た笑いを浮かべて言った。

 信じられなかった。信じたくはなかった。

 でも、それも当然のことなのかもしれない。扇にとっては両親と一緒に暮らしていたのはついこの間のことのように思っていたのだが、誘拐されたのは十歳だ。数えてみると六年経っていた。

 灯月に誘拐さえされなければ、今も両親のもとにいられたかもしれないのに――

 居場所を完全に失った扇だったが、気付けば灯月の屋敷に足が向いていた。

 そこには久地楽がいた。

『灯月に迷惑を掛けないと誓うなら、オレが戻れるように話をつけてやってもいいぞ』

『……戻らない』

『そうか。好きにすればいい』

 感情のない言葉。彼は屋敷の中へと姿を消す。

 久地楽には灯月しか見えていない。気付いたのはこの時だった。

 どうしてあんな女がいいのだろう。わからなかった。

『なら、ワシんところに来んか?』

 聞こえたのは低い男の妙に訛った声。

『二十歳前に捨てられた子供は初めて見たわ。ワシもお前と同じじゃ。灯月に捨てられたモン同士、仲良うしようや』


 これが、六波羅との初めての出会い。ナラズモノとなった扇の第二の人生の始まりだった。


 ――あーあ、変なこと思い出しちゃった。

「灯月というのは何者なんだい?」

 藍堂の問いに「あたしを誘拐して捨てた最低最悪の女」と即答する。

「九九竜の言っていたことは本当か……」

 勝手に何か納得したらしい。

 それにしても久地楽はどこまで進んでしまったろうか。

 数年振りの再会を果たし、扇の好みど真ん中に格好よくなっていた久地楽は、自分も捨てられたというのに相変わらず――いや、以前にも増して灯月のことしか頭にない男だった。

 その証拠に、扇のことは一切忘れられていたのだから笑えない。

 だがそれでも、お互い灯月という枷はなくなった。ならば、久地楽の中に扇が入り込める隙もあるに違いない。そうしてこれまでしつこく迫ってきたのだが、残念ながらまだ脈はない。

 ここで統制機関の奴らに捕まれば久地楽に会えなくなってしまうし、せっかくの自由も台無しになる。

 ――とにかく逃げるが勝ちよね。

 扇は両手をいっぱいに広げると、まるで桃色の鱗粉が舞うかのように呪力の光を放った。

「くっ、体が痺れ……!?」

 織世は瞬時に呪力で壁を作って鱗粉を防ごうとするが、間に合わなかったのだろう。すでに体は鱗粉によって痺れてきたようだ。

 藍堂は先読みしてすでに離れていたのか、呪力の壁を作り悠然と立っている。

 この鱗粉は五分は消えない。その間は二人とも扇に近付けないだろう。

「久地楽、すぐ追い付くから待っててね!」

「ま、待て……!」

「織世、本当に君は運が悪いね」

「だ、黙れ、藍堂……!」

 二人の会話を背中で聞きながら、扇は再び走り始めたのだった。

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