開戦
「こんにちは。突然ですが、貴方を誘拐しに来ました」
「……は?」
白髪の少女は呑気にそう宣言した。
身寄りもない死にかけの自分を誘拐して、何の使い道があるというのか。
九歳の少年――六波羅は、心臓病を煩っていた。しかし貧乏な家庭の生まれだった為、医者に診てもらう費用もなく、あっさりと森に捨てられたのだ。
それから飲まず食わずのまま一週間経った瀕死状態のその日、彼女が現れた。
「もう……ワシは、死ぬで。捨てられた身じゃ、身代金なんぞ払う親もおらん……」
心臓は限界を迎えている。寧ろ、まだ生きていることの方が奇跡だった。
碧色のドレスを纏った少女は、草原に倒れ込んでいる六波羅を見下ろし、「フヒヒッ」と怪しく笑う。
「どうして自分だけがこんな目に合うのか。他の人間も全員不幸せになればいいのに。貴方はそう思っているでしょう。違いますか?」
違わなかった。
一体自分が何をした。この状況は一体何の報いだというのか。
自分を捨てた親も、情の欠片もない借金取りも、奴隷のような扱いをする雇い主も、それを見て見ぬ振りをする周りの人間も。
幸せを奪い取ってやりたい。苦しみ歪んだ表情が見たい。
この数日、そんなことばかり考えていた。
「フヒヒッ、同じです、同じ。ワタシも貴方と同じことを思い続けています」
彼女は側に近付いて来ると、屈んで六波羅の頬を撫でた。
「貴方の負の感情は、最高の味です。ワタシと波長が合うようですねぇ。見殺しにしてしまうには、とても惜しい」
冷たい手。冷たい瞳。異様なくらいに白い肌。
「どういう……意味じゃ」
懸命に睨みを利かせたつもりだが、掠れた声しか出なかった。少女は笑う。
「だから、誘拐しに来たんですよ」
この少女は人間ではない。六波羅はそう感じていた。
「ワタシの見立てでは、貴方、今夜が峠ではないでしょうか」
面白そうに笑う少女に少しだけ苛立ちながらも、反論はできない。
「生きたいですか?」
直接的な質問に、思わず言葉に詰まる。
生きたいと意思表示したって生きられる訳がない。
少女が何者かは知らないが、残酷な質問だ。
しかし少女は、そんな六波羅の考えをまるで見透かしたかのように目を細めた。
「生きたいなら素直に言いなさい。ワタシならそれができます」
「……ありえんやろ」
「ありえたとしたならば、生きたいですか?」
尚も食い下がる少女に、六波羅はもう反論する気力もなくなった。大体、会話することもすでに辛い状態なのである。
少女から視線を逸らし、薄暗い空を見上げる。
心臓の病気が悪化して親に捨てられ、邪獣にも襲われず、飲まず食わずで一週間過ごしても生きながらえている。いっそ死んだ方が楽だ。そう思いながらも、やはりこのまま死にゆくのは嫌だった。
少女へと視線を戻し、六波羅は口を開いた。
「――生きたい」
夢か現か、その境界線もわからなくなっていたが、ただ一言、それだけははっきりと少女へと伝えたのだった。
夕日が沈み、薄暗くなった空の下、六波羅は紅苑にある邪獣討伐部隊の本部を、別の建物の屋根の上から眺めていた。
「あ、リーダー。全員集まったよぉ」
背後からゾロゾロと四人のナラズモノのメンバーがやってくる。
討伐部隊に喧嘩を吹っ掛けると決めてからここ数日、メンバーにはそれぞれ緑苑や青苑でテロ活動を行ってもらっていた。そこで野良の呪力持ちに呼び掛け、同志を集ったのである。
全ては今日この日、呪力統制機関と邪獣討伐部隊を破壊する為。
「ご苦労さん。全員準備オーケーなら、さっそくおっ始めるかのう」
正直、あまり策は講じていない。今までも突発的に行動を起こしてきたのだ。ナラズモノも、行き場に困っていた彼らを見て何となく集めただけである。
――誰もが不幸せになればいい。
灯月に命を救われてから、六波羅は毎日そんなことばかり考え、実際に身の回りの者からそれを実行してきた。
どうやって自分の病気を治したのか、それはわからないが、それ以来、灯月の力を感じ取れるようになったので、恐らく彼女は力の一部を自分に与えたのだろうと推測している。
そこまでしてでも六波羅の負の感情が好物だったのだろう。しかし、彼女自身が六波羅に対して何かをするということは決してなかった。毎日毎日ただ不気味に笑っているだけ。
別に問題はなかったのだろう。体は元気になっても、六波羅が負の感情をなくすことはなかったのだから。
「雑魚は下に集めとる野良に任す。お前らは討伐部隊の隊長クラスを真っ先に殺りぃ」
玄界と阿天坊は楽しそうに頷いたが、扇は少し不安そうな表情になる。
「四人だけで? 隊長全員揃ってたら七人いるんだけど」
「ああ、その内二人はまだ緑苑にいると思うよぉ。すぐ戻ってくるかもだけど」
玄界の言葉に、久地楽は腰に差している片手剣を勢いよく抜き放った。
「七人だろうと十人だろうと変わらない。全員殺すだけだ」
普段から灯月のことしか考えていない困った男だが、戦闘能力は阿天坊や玄界と並ぶ強さを持つ。
「久地楽ってばカッコいい! それじゃあ、あたしのことも守ってよね!」
「…………」
「ちょ、無言でどっか行かないで!?」
扇も報われないなと、六波羅は少しだけ同情しつつ、邪獣討伐部隊の本部を見据えた。
別に何か成果を残したい訳ではない。ただ、世界に生きる全てのもの達の幸せを壊してやりたいだけ。
「……ワシも末期やなあ」
思わず自嘲する。
そして、不意に感じる彼女の力――
六波羅は予感する。これが己の最後の戦いになるのではないかと。
「ククッ……ま、せいぜい派手に盛り上げてやるだけじゃ」
不敵な笑みを浮かべ、六波羅は開戦の合図を打ち上げた――
のろしが上がる。
ナラズモノによる開戦の合図だ。六波羅に感化された野良達は、一斉に邪獣討伐部隊の本部へと駆け出した。
その数は三百人弱。予想よりも集まったと六波羅は笑ったが、邪獣討伐部隊本部を襲うには十分な戦力とは言い難い。不満を持つ野良はこの比ではないはずだが、やはり危険を省みず戦いに参加する野良は中々いないのだ。
それでも奇襲をかけることによって、邪獣討伐部隊を撹乱するには十分な人数ではあった。
邪獣討伐部隊第一部隊隊長である来迎は、突然の奇襲に慌てる隊員達を叱咤し、素早く的確に指示を出した。
隊長の中で最年長――四十六歳の彼は、鬼隊長と称されるほどの厳しい性格だ。実は野良から成り上がったという経歴がある為、野良に対してはある程度理解を示しているのだが、織世のように全面的に受け入れることはできない。
いや、受け入れたい気持ちはあっても、立場上それができない。
今回の騒動は、いずれ起こるべきことだったのだと思う。正常人による呪力持ちへの偏見は酷く、呪力統制機関の野良に対する偏見も異常なほどである。
同じ呪力持ちなのに、その中でも派閥ができてしまった。何か変わる切っ掛けを探してはいたのだが、今がそのチャンスであると同時に、最悪の結末を迎える可能性もあるというギリギリの状態であることは確かだろう。
とにかく今はこの呪力統制機関の防衛に努めることが最善の策だった。ここ最近、暴動を起こしているナラズモノという集団は相当厄介な存在なのだ。
実際に彼らと接触した隊員達の情報を集めたところ、集団というほどの人数ではないようだが、実力は統制機関の隊長クラスか、あるいはそれ以上。邪獣を呼び寄せることも可能だということから、珍しい呪力を持った者もいるようだ。
緑苑での邪獣騒動の後も、藍堂と織世にはそこで暫く防衛を頼んでいたのだが、至るところで起きるナラズモノの暴動と、紅苑だけまだ手が回っていなかったことから、そろそろこちらにも来る頃だろうと予測し、既に二人には帰還を命令している。運がいいのか悪いのか、今晩には到着する見込みだ。
何としてでも彼らを止めなければ――
人員不足もあって、緑苑と青苑にはそれぞれ四部隊の討伐部隊しか配置されておらず、二つの国は相当の痛手を負っているらしい。援助を頼みたい気持ちはあったのだが、無理な話だろう。紅苑の戦力のみで戦うしかなかった。
各隊長にはナラズモノの主要メンバーを倒してもらわねばならない。
すでに命令は出している。一番隊隊長として全体を取り仕切る義務もあるのだが、藍堂と織世が到着するまでは来迎自身も参戦する必要がある。
「来迎隊長! 全員配置につきました! すでに隊員は野良と交戦中です! ナラズモノは散らばり、各隊長のもとへ向かっているようです!」
隊員の一人が息を切らしながら、現状報告をしてきた。
――なるほど。奴らも各隊長へと狙いを定めているということか。
しかしそれはこちらにとっても好都合。
「わかった。私もすぐに向かう。藍堂と織世が戻り次第、こちらに知らせろ」
「はっ!」
来迎は己の剣を腰に差し、遠い未来を見据えたのだった。