香羅朱
「どうしてワタシを見捨てたの?」
暗闇の中、頭に響く少女の声。
昔から知っているその声は、ただ無機質にそう問うた。
――違う。見捨てた訳じゃない。
彼は否定する。
「それなら、どうしてワタシを見殺しにしたの?」
――見殺しにしたかったんじゃない。仕方なかったんだ。
そう、仕方なかった。
あの状況を考えれば、誰だって彼女を犠牲にするしかなかった。
「また、言い訳か」
冷笑するその声は、しかし彼女のものではなかった。
「お前はあいつを選ぶこともできたはずだ。そうすれば――」
目の前に一人の男が現れる。
「あいつは人間のままでいられた」
男は少し伸びた焦げ茶の髪を一つに束ねており、緑色のマントを羽織っている。
知っている人間だ。だが、それも当然。
何故ならその男は、よく見慣れている自分の姿をしているのだから。
しかし、ここで怯むつもりはない。
「過去は戻せない。だから後悔もしない。その代わりに、おれは今、彼女の為にできることを命を懸けても果たすつもりだ」
そうはっきり言葉にすると、男はつまらなそうに踵を返す。
いつの間にか少女の声も消え、無音の世界へと化す。
己に責任があるのは事実だ。言い逃れるつもりはない。
――必ず彼女を見つけてみせる。そしておれは、責任を果たすんだ。
意を決したところで、真っ白い光に包まれた。
ふと目覚めれば、窓から朝日が差し込んでいた。
宿屋の安そうな木製のベッドから体を起こし、彼――香羅朱は気だるそうに、壁に掛かる四角い鏡に視線を向けた。
先程の夢で見た男と、同じ顔に同じ髪型。しかし寝癖と眠そうな表情を眺め、他の誰でもない自分だと認識する。
別段、珍しい夢という訳でもない。寧ろよく見る夢だ。彼女に責められ、自分にも責められる。何一つ間違ってはいないし、受け入れているつもりだ。
とは言え、やはり寝覚めが悪い。
――早く、彼女を見つけなければ。
香羅朱は頬を叩いて気合いを入れ直す。
ベッドから出て身支度を整えていると、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
緑色のマントを羽織り、何事だろうかと部屋を出ると、泊まり客らしき数人が慌てて外へ向かおうとしていた。
その中の一人の中年男性に声を掛ける。
「何かあったんですか?」
「あ、あんたも早くこの街から出た方がいい。邪獣の大群が迫って来てるって話だ!」
男性はそれだけ言うとすぐに外へと出て行く。
香羅朱のいるここは〈緑苑〉という国にある街の一つだ。邪獣は基本的に森の奥に生息している為、田舎の方ならまだしも、三大国の一つであるこの国に大群で押し寄せることはまず考えにくい。
可能性としては、誤情報か邪獣が惹かれる何かがここにあるのか、あるいは意図的に誰かが仕向けたのか。
――とにかく放っておく訳にはいかない。
香羅朱は正義感の強い性格だ。困っている人がいれば、すぐに駆け付け助けてやる。例えそれが相手にとって迷惑だと思われても、それが信条なのだ。
まだ宿屋に残っている店主に宿賃をきっちり支払ってから、香羅朱は出口の扉を開く。
開いた瞬間、目の前に紫色の物体が現れ接触する。
「うわっ」
「おおっと」
お互い妙な声を上げ、紫色の物体は人であることがわかった。
「ごめんねぇ、お兄さん。余所見しちゃってたよぉ」
少年だろうか。小柄な体だが全身を紫色のローブで包んでいる為、顔がよく見えない。随分と間延びした話し方である。
「いや、こっちこそ悪かった。ところで君は、邪獣の大群がどこから来ているか知ってるか?」
ちょうどいいと試しに彼に聞いてみると、ローブから覗く口から八重歯が見えた。
「北の方角からだよぉ。お兄さんも逃げた方がいい」
まるで楽しんでいるかのように見える少年に首を傾げつつ、「心配いらない」とだけ告げて北へ向かおうとすると、
「えぇ、まさか邪獣のとこに行くのぉ?」
心底意外だというように引き止められる。
「何か役に立てるかもしれない」
そう言うと少年は「フフフ」と不気味に笑った。
「お兄さん、呪力持ちかなぁ?」
嘘を吐いても仕方がない。香羅朱は素直にその問いに頷く。
「討伐部隊はいるだろうが、紅苑ほど戦力はない。本部の部隊がここに来るには時間が掛かるだろうし、きっと人手が欲しいところだろう」
少年は何を考えているのか無言になったかと思うと、突然、北の方角から大きな爆発音が響いた。
街の人達は恐怖からか、叫び声を上げて南の方角へと駆け出していく。
ここで立ち話をしている場合ではない。
「悪いな、少年。おれはもう行くよ。君は早く避難するんだ」
それだけ言い残し、少年を置いて街の人達に逆らいながら北へと駆け出す。
恐らく爆発音があったのは、この街の出入口である北の門だろう。
もう邪獣が襲って来たのかもしれない。
北へ進めば進むほど人気がなくなり、代わりに衝撃音が遠くから響いてきた。
香羅朱は邪獣独特の気配を察知する。他人もそう感じるのかは知らないが、邪獣が近くに来ると自分の呪力と共鳴するのだ。
とすると、どうやら邪獣の大群はデマではなかったらしい。
無闇に突っ込むよりも少し様子を探った方がいいだろうかと考えていると、背後から人の気配も察知する。直ぐ様振り向けば、六人の傭兵姿の男女がこちらに駆け足で向かって来ていた。
「おい、お前! そこで何をしている! 民間人は避難指示が出ているはずだ!」
目つきの悪い若い男の傭兵が、香羅朱を怒鳴りつけてきた。
――邪獣討伐部隊か。
あまり目立つ真似はしたくないが、この街を守るにはやはり加勢した方がいいだろう。
彼らが目の前まで来たところで「呪力持ちです。邪獣の討伐に協力します」と告げた。
「何ぃ? 討伐部隊に入隊できもしないお前達に何ができる!」
まさかの返答に香羅朱は呆気に取られる。
評判が悪いというのは聞いていたが、ここまで高慢な態度だとは思っていなかった。他の隊員は男に何やら言いたそうにしながらも口をつぐんだままだ。
その時、背後からまた誰かが駆けてくる足音が聞こえ、
「全騎! 歯を食いしばれ!」
女の声が高らかに響いた。
「お、織世隊長!?」
男――全騎は驚き後退るが、背後から来た女は一瞬にして男の前まで辿り着き、顔面に拳を繰り出した。
「ぐはぁっ!」
全騎はそのまま地面へと倒れる。
「全くもってけしからん! 今の発言、我々の品位を下げるつもりか! お前達も意見があるなら、はっきりこの馬鹿に伝えろ!」
隊員らは謝罪の言葉を述べ、一気にシュンとしてしまう。よく見ると、殴られた全騎も含め、全員二十歳に届くか届かないかという年齢層である。
対して織世と呼ばれた女は、凛とした大人の女性という雰囲気だ。香羅朱は二十五歳だが、もう少し年上に見える。女性らしい細身のスタイルからは男を殴り倒せるほどの筋力があるとはとても思えないのだが、先程の動きを実際見れば、相当の実力者だということが伺える。
彼女は息を吐くと、「すまなかった」と言って香羅朱に謝罪した。
隊長というだけあって貫禄はあるし、常識的な考えも持ち合わせているようなので少し安堵する。
「私は、邪獣討伐部隊第五部隊隊長の織世だ。君の名前は?」
「香羅朱です」
「そうか。実戦の経験は?」
「あります。それで生活してるようなものですし。ただ、野良ですけど」
邪獣討伐に用心棒など、これまで数え切れないほど仕事を請け負ってきたが、呪力統制機関には登録していない。まるで興味がないし、色々と不都合もある。例え登録したくても、身元が証明できないのでそれ以前の問題だが。
「頼もしいな。安心してくれ、私は野良に偏見はない。見てわかる通り、今日引き連れている隊員は若い新人ばかりだ。本来、我らは紅苑本部の所属でな。今日は新人の訓練がてら、緑苑に偵察に来ていたのだが、この有り様だ」
織世は額に手を当て、困ったような表情を浮かべる。
「今も騒音が聞こえるだろう。先に様子を見てきたが、すぐ向こうでは激しい戦闘状態だ。緑苑の勢力は紅苑の半分以下しかない。本部から応援を要請しているが、まだ時間は掛かるだろう。一人でも協力者は必要だ。頼めるか?」
香羅朱が力強く頷くと織世も頷き返し、若い隊員達に指示を出す。
「邪獣の数はかなり多い! 気を引き締めろ! 私に続け!」
『了解!』
隊員達は一斉に返事をする。
しかし織世は倒れたままの全騎に視線を移す。素早い動きで彼のもとに走り寄り、胸ぐらを勢いよく掴んで持ち上げた。
「全騎! お前はいつまで寝ているつもりだ! さっさと起きろ!」
「わぁっ……り、了解!」
確実に彼女が原因なのだが、さすがに逆らえないのだろう。全騎は何とか自分の力で立ち上がって敬礼する。
そして走り出す織世に隊員達もついて行き、香羅朱も遅れまいと後を追う。
住宅街を離れて広い野原に出ると、織世の言う通り、そこは激しい戦場と化していた。
狼や熊や猿や様々な動物が元になっているのだろう邪獣と、討伐部隊の傭兵服を着た者達が、赤や青や黄色など色とりどりの呪力を放ったり、発したりして交戦している。
足下には邪獣の死骸や、負傷した人間も多く見受けられた。
ざっと見たところ、邪獣の数は死骸も合わせて約三十体といったところか。動いているのは、残り二十体程度。
案外ここで食い止められているのか、街の方には邪獣のいる気配は伺えなかったので、すぐに片付けられそうだと香羅朱は判断する。
「この数ならおれ一人でも十分かもしれません」
「はあ!? お前何言ってんだよ!? 隊長クラスでも、この数はキツいぞ!」
全騎が怒鳴るが、他の隊員達も信じられないと言った様子で凝視してくる。
――そうだろうか。
香羅朱は織世を見たが、彼女は眉をピクリと動かすのみで何も言わなかった。
別にどうでもいいことかと、とにかく早くこの場を片付けることに集中しようと考える。
まずは大型の邪獣からだ。
香羅朱は、討伐部隊の隊員だろう二人が相対している二足歩行の熊のような邪獣に狙いを定め、一気に駆け出した。
両手に呪力を発し、緑色の光がナイフのような武器を形成する。切ることよりも刺すことに特化したような造りだ。
左右に持ったその剣を胸の前で交差し、邪獣の真上まで飛び上がる。
「な!?」
「だ、誰だ!?」
香羅朱に驚いた隊員二人が邪獣から離れたその瞬間を狙い、両腕の剣を邪獣の脳天へ目掛けて突き刺す。
ドシュッ!
深々と突き刺さり血飛沫が飛んだ。邪獣は金切り声を上げ、血走った瞳が完全に真っ赤に染まる。香羅朱はその体を勢いよく蹴った反動で後方へ下がると、邪獣はズシンと大きな音を立てて倒れ伏した。
完全に息の根が止まったのを確認し、呆気に取られている隊員は放置しつつ、次の邪獣へと狙いを定める。
巨大な鳥が上空から呪力を放ち続け、草地が所々焼け焦げてしまっている。
地上から五メートルは離れている為、右手に持った剣を素早く投げ放ち、鳥の羽へ見事に突き刺さした。剣からは呪力の糸を引いており、香羅朱はその糸を思い切り引っ張って空から引き摺り下ろそうとする。鳥型の邪獣は悲鳴を上げながら抵抗しようとするのだが、香羅朱にとっては大した力ではない。難なく地面へと叩き落としてやる。
邪獣が体勢を整える隙を与えまいと、突き刺さった剣を瞬時に消して空いた右手を邪獣に向ける。
呪力を右手に集中させ、緑の光球を作り出して邪獣に放つ。
バチバチと電撃のように弾け、邪獣全体が緑色に包まれた。
邪獣は「クケエエエエ!」とけたたましい声を上げてパタリと動かなくなる。
「す、すげえ……」
香羅朱の鮮やかな動きに、全騎と若い隊員達は開いた口が塞がらないようだ。
「……なるほど。先程の発言、過信ではなかったようだな」
織世は一人言のように呟くと、隊員達に向き直る。
「しかし、感心している場合ではないな。お前達は三人ずつに分かれて他の邪獣を倒せ!」
『り、了解!』
織世の命令に、隊員達は慌てて配置についていく。織世も腰に提げていた剣を抜き取り細身の刀身を構える。一振りすると刀身が白く輝いた。
その光に引き寄せられるかのように、猿のような小型の邪獣が二匹、彼女に飛び掛かる。
が、彼女は軽やかな動きでそれを躱し、邪獣の背後を取った。
「はっ!」
気合いの声と共に剣を突き出し、的確に邪獣の背中を突き刺す。もう一匹が更に彼女の背後に回るが、すぐに剣を抜き取って鋭い爪の攻撃を受け止めた。剣を振ってそれを薙ぎ払い、邪獣が怯んだ隙に右目を貫いた。
激しく悶える邪獣に、織世はすかさず首をはねる。
「へっ、どうだ! 織世隊長はすごいだろ! あんまいい気になんなよ!」
いつの間にか香羅朱の近くに来ていた全騎が、我が物顔で自慢してきた。
特にいい気になったつもりはないが、確かに織世の戦闘能力が高いことは香羅朱も認める。
「全騎! 勝手に動くな!」
三人で組んだ隊員の一人だろう男が怒鳴っている。全騎は悪びれもせず「わかってる!」と渋々配置に戻って行った。
ただ自慢と文句を言いに来ただけだったのか。
香羅朱は呆れながらすぐに次の邪獣へ向かおうとすると、急に邪獣達はピタリと動きを止めた。
――何だ?
不審に思っていると突然、邪獣達は逃げるように北の門の外へと走り出し始めた。
「お、おい、待て!」
全騎が追い掛けようとするが、織世が「追う必要はない!」と叫ぶ。
「今は怪我人の手当てと、街に邪獣が残っていないかの確認が優先だ!」
香羅朱も織世と同意見だった。追い掛ければ、何かしら原因を究明できる可能性もあるが、今は人手不足。それに邪獣の神経を逆撫でしてまた襲いに来られても困るだろう。
そこら中に倒れている隊員達の中には重症の者もいるようだったので、香羅朱はまず怪我人の手当てをしようと動こうとし、
「香羅朱くんって何者ぉ?」
耳元で聞き覚えのある声がしたと同時に殺気を感じ、瞬時にその場を飛び退き身構える。
香羅朱のいた場所には、紫色のローブに身を包んだ少年が佇んでいた。
「君は……さっきの少年じゃないか!」
驚くと彼は「これでも大人なんだけどねぇ」と八重歯を見せて笑った。失言だったと思う反面、何故彼から殺気を感じたのか、また名乗った覚えもないので疑問に思う。
彼は「フフフ」と笑った。
「ちょっとね、香羅朱くんの後をつけてたんだぁ。邪獣の大群に向かうなんてどんな馬鹿だろうと思ったんだけど、いいねぇ。期待以上だよぉ」
何が期待以上なのか興味はないが、非常に怪しく危険な人物であることだけは確かなようだ。ローブの中から右目をチラッと覗かせ、好戦的な視線を向けられる。
「この街を半壊くらいするつもりだったけど、香羅朱くんみたいなのがいるなら、もっとレベルの高い邪獣にしとけばよかったなぁ」
まるで先程の邪獣は彼が呼び出したかのような物言いである。まさかと思い聞き返そうとした時、周りがざわつき始めた。
何事だろうかと振り向くと、新たな討伐部隊がやって来たようだった。
「やあやあ、酷い惨劇だね、織世。いつものことだが、君は本当に運が悪い」
「黙れ、藍堂。意外に早い到着なのは褒めてやるが、まずは怪我人を病院へ運んでくれ」
「ちょうど緑苑に仕事の用事があったのさ。さあ皆、織世隊長の言う通り、怪我人を運んでくれ」
別部隊の隊長だろうか、ブラウンの髪の背の高いスマートな男性が軽い調子で織世と話している。到着した隊員達は担架を持って来たようで、手際よく怪我人を運び始めた。
不意に藍堂と呼ばれた男と視線が合う。
「ほお、異様な二人組がいるね」
「おいらと香羅朱くんのことかなぁ?」
あまり一緒にされたくなかった。
織世もこちらに気付き、藍堂を引き連れて香羅朱のもとに来た。
「香羅朱と言ったな。どうだ、私のところに来るつもりはないか?」
突然そんなことを言われ、首を傾げた。藍堂は興味深そうに香羅朱と彼女をまじまじと見つめているが、織世は構わず続ける。
「私は野良の呪力持ちも討伐部隊に引き入れるべきだと、常日頃思っていてな。独自に野良の部隊を作ろうと考えている。実際、野良の呪力持ちの方が戦闘能力の高い者が多い。邪獣から皆を守る為には、差別をなくすべきなのだ」
「それは……とてもいい案だと思います」
本心ではある。
「お前の力は非常に高い。野良にしておくには勿体ない。賛同してくれるのであれば、お前も……」
「いえ。賛同はしますが、おれには他にやることがあるんです」
「やることぉ?」
聞き返したのは、織世ではなくローブの男だ。
「何か目的があるのなら協力もするぞ」
「すみません。これはおれが自分でやらないと意味がないんです」
真っ直ぐに織世を見つめ断ると、無駄だということが伝わったのか、彼女は残念そうに「そうか」と肩を落とす。そして今更のようにローブの男に視線が向いた。
「……お前は誰だ?」
「玄界だよぉ」
そういえば名前を聞いていなかったなと思い、話を戻さねばと香羅朱も彼を見た。
「さっきの話だけど、まさか君があの邪獣を連れて来た訳じゃないだろうな」
玄界はニンマリ笑って「そのまさかだったらどうする?」と聞いてきた。
織世と藍堂は険しい表情になる。
「おい、どういうことだ!」
織世が玄界に詰め寄ると、彼は瞬時に遠くに飛び退いた。
「どうせまた会うだろうから、今日は帰るねぇ」
もしも本当に彼が元凶だとしたら、このまま逃がすのはまずいだろう。
「君の目的は何だ?」
取り敢えず会話をして捕らえるチャンスを伺うしかない。無駄と承知で疑問を投げ掛ける。
玄界は少し逡巡した素振りを見せてから八重歯を見せて笑った。
「殺し合いたい」
返答をもらえるとは思わなかったが、随分と物騒な内容だ。
織世が何か言おうと前に出るが、藍堂がそれを止める。
「まやかしの平和なんていらない。そんなのいずれどこかで破綻する。呪力が存在する限り……いや、邪神が存在する限り、人間達は争いを止めることなんて不可能だと思うんだよねぇ。だったら徹底的に殺り合っちゃった方が後腐れないでしょぉ、絶対」
玄界の言う通り、完全に差別をなくすことは人間には不可能なことかもしれない。
現状、不幸せな人達が多いのは事実だろう。だが、それで戦争を起こせば、もっと悲しむ人達が増える。織世のように差別を良しとしない人間も少なからず存在するのだ。少しでも望みがあるのなら、不要な争いは止めたいと考える。
とはいえ、今の香羅朱は玄界を否定できるほどの立場にない。以前の香羅朱ならば、まず間違いなく己の正義を貫き通していただろう。しかし今は果たさなければならない目的が他にある。
今朝の夢に出てきた彼女のことだ。今だってできることはしている。だがやはり、彼女を探すことが優先になってしまう。
この先、どう続ければいいのか。思わず藍堂を見ると、視線の意を汲み取ってくれたのか、彼は頷いて玄界に向き直る。
「理由はどうあれ、今回の事件は君が発端だということはわかった。で、君達はこれからもこんなテロを起こすつもりなのかな?」
「おいら、仲間がいるなんて一言も言ってないけどなぁ?」
恐らく藍堂が『達』を付けたことを言っているのだろう。
「わかるよ。君のこと、どこかで見たことがあるなってずっと考えていたんだが、今思い出した。邪獣討伐の仕事をしているだろう? 一度、君が可愛い女の子と一緒に仕事していた時に鉢合わせたことがある。他はあまり覚えてないが、仲間は他にもいるようだったしね」
「お前は女に対する記憶力だけは、ずば抜けているからな」
「茶々を入れないでくれよ」
ジト目の織世に肩を竦める藍堂。
「ああ、そんなこともあったかなぁ。まあいいや、おいら達は〈ナラズモノ〉って名乗ってるんだぁ。今後の詳しい計画はもちろん言えないけど……そういえば、リーダーから討伐部隊に覚悟しとけって伝えろとは言われてたっけ。すっかり忘れてたけどぉ」
完全に宣戦布告ではないか。
「おい、まさか最近多発している神隠しも、お前達の仕業ではないだろうな!」
ビシリと指差す織世の言葉に、そんなことが起きていたのかと香羅朱は初めて知るのだが、
「やだな、それは完全に別件だよぉ。おいら達じゃなくって、灯月ちゃんの仕業だもん」
どくん。
玄界の言葉に、香羅朱の心臓が高鳴った。
――ひ づ き。
それは香羅朱がずっと探し続けていた、彼女の名――
どくん、どくん、どくん。
鼓動が速くなる。
気付けば、香羅朱は玄界の目の前に瞬時に移動していた。
「わあ、香羅朱くん。すごいなぁ、目で追えなかったよぉ。どうしたのぉ?」
驚きながらも楽しそうな玄界に対し、香羅朱は彼の胸ぐらをグイッと掴んだ。
「……どこだ?」
香羅朱は無表情で問う。
「苦しいなぁ。何の話?」
「彼女はどこにいる、と聞いている」
再度問えば、玄界は「灯月ちゃんのことぉ?」と笑みを消した。
「そうだ。灯月はどこにいる?」
「香羅朱くん、何かさっきと雰囲気違くない?」
「オレの質問に答えろ」
「……場所までは知らない。紅苑の田舎町の方で神隠しが頻繁に起こってるらしいから、その付近じゃないのぉ?」
様子を伺っている織世と藍堂に偽りがないか確認すると、「確かに神隠しはその付近で起きている。間違いないよ」と藍堂が返事した。織世は訝しむように香羅朱を見つめている。
香羅朱は悪どい笑みを浮かべた。
「人助けなんざ面倒なことしやがってと思ったが、その見返りには十分過ぎる情報だな。ところで、それが灯月の仕業だっていう確証はあるのか?」
「まあね。信じるか信じないかはキミ次第だけどぉ」
まるで雰囲気の違う香羅朱に臆せず、玄界は「ところで、キミは何者かなぁ?」と再び同じ質問を繰り返した。しかし先程とは違う意味だろう。
香羅朱――男は玄界の胸ぐらから手を離し、質問には答えずに無言で北の門へと向かう。
「おい、どこに行く!」
織世が叫ぶが、男の耳には一切入らない。
「……ククッ、クハハハッ」
男は歩きながらも、笑いが込み上げて仕方なかった。
「絶対逃がさねえぞ、灯月ぃ」
香羅朱の姿ではあるが香羅朱ではない誰かは、舌舐めずりをしてそう呟き、姿を消したのだった――