双子
――この双子はおかしい。
赤屋がそう思い始めたのは、双子を預かってから二週間経ったある日のこと。
詩亜と真聖。
まるで人形のような可愛さだと近所では評判になり、表向きには知り合いの子供ということで同居しているのだが、噂というのは一人歩きするもので、裏では赤屋の隠し子だと噂されていたりする。
二人の目立つ容姿と一匹狼の赤屋が同居しているということで、物珍しく思われた結果だろう。
別にそれでとやかく何かを言ってくる連中もいないので問題はないし、ある程度は覚悟していたのでそれについてはよしとする。
いや、双子のことについても自分に被害がなければとやかく言うつもりはないのだが――
「赤屋さん。今日の料理はお口に合いますか?」
双子の姉だという詩亜は、はにかんだ笑顔を浮かべて首を傾げた。
長い金髪を後ろで一つに纏め、白いエプロンを身に付けており、子供ながらに主婦感を漂わせている。
「……うまい」
真横で真聖からの突き刺さる視線を感じながら、感想を述べる。
ここで少しでも悪い批評をしようものなら、隣に座る真聖が「赤屋さんの味覚は死んでるんじゃないの」だの「赤屋さんってモテないでしょ」だの関係ないことまでしつこいくらい突っ掛かってくるのだ。
もちろん、詩亜の料理が不味い訳ではない。十三歳とは思えないほど料理上手で、今食べている肉じゃがだって美味しい。しかし味付けの好みは人それぞれである。少し濃い目の味が好きな赤屋としては詩亜の薄味に少し付け足したくなることもあるのだ。
「よかった」
ホッと胸を撫で下ろす。彼女は毎日、赤屋に料理の感想を聞いては安心しているようだった。他人の評価を気にする性格なのだろう。
「あ、詩亜。また指に怪我が増えてない?」
真聖は箸を置いて、詩亜の横に回り込む。
「ちょ、ちょっと包丁で……」
「もう詩亜は本当にドジだなぁ。ちゃんと消毒した?」
「うん、したよ」
「やっぱり刃物使う時はボクを呼びなよ」
「やだ、真聖ってば。それじゃ料理できないじゃない」
「でもさ、詩亜の指が傷付くのは痛々しくて見てられないよ」
そう言って、絆創膏を貼っている彼女の手をそっと撫でる。
詩亜は困った様子を見せながらも、「心配してくれてありがとう。次は気を付けるから」と頬を染めた。
詩亜は器用そうに見えて、案外不器用だ。料理のセンスはあるが見ての通り怪我が絶えないし、何もないところで転ぶのをよく見掛ける。その度に真聖は過保護なくらいに心配し、彼女を気遣う。詩亜もそれを自然に受け入れている。
端から見ていると、まるで姉弟という関係を軽く超えている気がした。
二人がいい雰囲気であろう状況になると、詩亜は赤屋の存在を気にし始め、慌ててご飯を食べ始める。真聖は邪魔とばかりに赤屋をジロリと睨み付けてくる。
いつものパターンだった。
――お前ら本当に双子かっ。
突っ込んでやりたかったが、何となく触れてはならない問題のような気もする。生い立ちも生い立ちのようだし、これまで二人で協力しながら乗り越えてきたこともあるのだろう。
お互いに依存していても多少は仕方がないのかもしれない。
多少にはとても思えないが。
「ところで赤屋さん、今日は仕事どうだったの?」
そんな冷たい視線を向けられながら質問されても、全く答える気になれない。
「お前らこそ、学校でちゃんと授業受けてるんだろうな」
真聖は「ガキばかりでつまんないけどね。ちゃんと受けてるよ」と生意気なことを言う。
最初はまだ礼儀がなっていた真聖だったが、最近は敬語すら止めてしまっている。詩亜と比べてかなり言動が大人びており、相当小賢しい性格をしていることが判明した。
彼らは今、特別学校に通っている。ここにいる間も学校は行かせようという藍堂からの提案だ。
事情が事情の為、普通の学校では受け入れてくれないので、特殊な事情を抱えた子供達に勉強を教えてくれる学校があり、そこに二人を通わせている。主に呪力持ちの子供や貧しい家の子供を教えているらしく、入学審査も厳しくなかったらしい。全て藍堂に任せきりなのでよく知らないのだが。
「ちゃ、ちゃんとお勉強してますよ! 真聖だってこんなこと言ってますけど、テストの点数は一番だし、皆の人気者だし……」
頭と外面だけはいいのだろうか。詩亜のフォローを聞いて赤屋は真剣に考え込む。
「ちょっと赤屋さん。ボクらのことはいいから、もう少し貴方のことを教えて欲しいんだけど」
「何でだよ」
話したところでつまらない話だ。
「一応、同居人の素性は把握しておかなくちゃ」
「すぐに同居は解消するだろ」
「もう二週間経つけど?」
言葉に詰まる。
確かに藍堂の目処では二週間くらいのはずだった。しかし双子の受け入れ先が決まったという知らせは、何一つ届いていない。どころか、ここ数日は藍堂と会ってすらいない。
このままズルズルと双子を預かり続けることになっても困るので、明日あたり問い詰めてやろうと考える。
「いっそこのまま赤屋さん家に住めればいいのにね、詩亜」
「何を恐ろしいこと言ってやがる」
「す、すみません、赤屋さん。もう、真聖ったら!」
「えー、だってさー」
早急に藍堂に会わなければ。赤屋は内心焦るのだった。
しかし明けて翌日。
詩亜が熱を出して倒れた。
「詩亜。やっぱりボク、学校休むよ」
「……大丈夫。二人で休んだら、変に思われるでしょ。赤屋さんも、今日はお仕事ないみたいだし……」
ベッドに寝転がる詩亜から一向に離れようとしない真聖。
赤屋は部屋の扉に背を預けて、そのやり取りを眺めていた。
詩亜が熱を出すことはよくあることらしい。見た目に違わず、元から体が弱いそうだ。
さすがに彼らを預かっている身として放っておく訳にもいかないし、真聖を休ませて彼女の面倒を見させるというのも体裁が悪いので、赤屋は嫌々ながらも付き添うこととした。
詩亜の言う通り、今日は仕事がなかったのも一つの理由ではあるが。
――本当に俺は何をやってんだか。
彼ら二人は呪力を使う機会が全くないので、呪力持ちと同居している感覚はないからいいのだが、子供の面倒を見ている自分に寒気が立つのだ。
今日は藍堂に双子を押し付けるくらいのつもりで問い詰めようと思っていたのだが、タイミングが悪い。取り敢えず詩亜の回復を待つ他ないだろう。
「ボクがいなくても本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だってば……」
しつこい。
赤屋は未だに学校に向かわない真聖に苛立った。
「おい、いい加減にしやがれ。詩亜が休めねえだろ」
真聖はジロリと赤屋を睨み付ける。
「赤屋さん、詩亜に手を出したら本気で殺すからね?」
「誰が出すかっ」
完全に犯罪だ。
真聖は詩亜の手を握り、「急いで帰るから」と名残惜しそうに部屋を出て行った。
確かにまだ二週間しか一緒に過ごしてない赤の他人の男に、姉を預けるというのは度胸がいることかもしれない。しかし押し掛けて来たのは彼らの方なので、疑われるのはそれはそれで癪に障る。
「……腹は減ってるか?」
ようやく静寂が訪れたところで、詩亜に問い掛ける。彼女は首を軽く横に振り、「少し眠ります」とか細い声で返事した。
一応、解熱剤は飲ませた。普段も一眠りすれば治るとのことだったので、そこまで心配しなくても平気なのだろう。
「何かあったら呼べよ」
「ありがとうございます……」
彼女の頬は熱のせいで真っ赤に火照っている。弱々しい笑顔を浮かべて目を瞑ったのを確認してから、赤屋は部屋を出た。
それから幾度か様子を見に部屋を訪れたのだが、ノックをしても返事はなく、微かに寝息が聞こえた。無理に起こしても仕方ないだろうと放っておいたのだが、午後になっても起きてこないので、さすがに何か腹ごしらえをしないと治るものも治らないだろうと、適当に食材を漁っていた時のことだった。
「い、いやああ!」
突然、悲鳴が響いた。
何事かと、赤屋は詩亜の部屋へと駆け込む。
扉を開けば、彼女はベッドに座り込んで静かに涙を流していた。
「どうした」
声を掛けると彼女はこちらをゆっくりと振り返り、不思議そうな表情で見つめてきた。数秒後、目を見開いて驚いたように「赤屋さん……」と呟いた。
「大丈夫か?」
「……ごめんなさい。嫌な夢を、見てました」
自身の肩を掴み、俯いている彼女は少し震えているようだ。
こういう時はどうしたらいいのか、気まずい雰囲気に髪をボリボリ掻きながら、このまま部屋を出て行く訳にもいくまいと彼女の側へと歩み寄る。
詩亜は涙を拭い、赤屋を見上げた。
「赤屋さん……手を握ってもいいですか?」
「……ああ」
ベッドの脇に座り、彼女の小さな手を取った。
「わたし……今朝は強がって、真聖がいなくても大丈夫、なんて言ってしまったけど……熱が出た時はいつも、真聖に手を握ってもらって眠ってたんです……」
「……そうか」
詩亜は寂しそうに笑う。
「いつもわたし、真聖に甘えてばかりなんです……。わたしは何をやっても失敗ばかりで、真聖は何でもできて。料理だって、本当は真聖の方が上手なんです。でも、真聖はわたしにも得意なことがあるって自信を持たせる為に、できない振りをしてる」
それは、姉弟故のコンプレックスだろうか。
「真聖はいつだって、わたしを優先して守ってくれるんです。……学校で虐められた時だって、お父さんに殴られそうになった時だって。本当はわたしが怒られるはずなのに、殴られるはずなのに。全部真聖が代わってくれるんです。わかってるのに、全部わたしが悪いって。もっとしっかりしなくちゃって。でも真聖が庇ってくれるから、守ってくれるから」
握られた手に段々と力が込められ、彼女の表情が歪んでゆく。
「どうしてお父さんもお母さんも、真聖ばかり可愛がるんだろう……! どうしてわたしだけこんな目に合うんだろう……! そんなことばかり考えて、真聖が羨ましくて、それでも、どんな時だって真聖は、わたしを助けてくれるから……!」
詩亜は興奮したように大きな声で赤屋に訴えてくる。
「わたしは悪くない! だけどお父さんは、わたしを殺そうとした! お母さんは真聖を奪った! どうして呪力を持ってたらいけないの!? どうしてわたしだけが嫌われるの!? わたしには真聖しかいない! 真聖だけがわたしの……!」
詩亜は赤屋の手を離し、己の金色の髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、頭を大きく振り出した。
混乱している。熱と夢のせいで正気を失ってしまっている。
赤屋は詩亜の両腕を強引に掴んだ。
「きゃっ……!」
驚く彼女に構わず、赤屋は自分の胸に彼女の体を引き寄せる。
「落ち着け」
頭に手を置き、耳元でゆっくりはっきりと伝えると、彼女の嗚咽の声が漏れた。
「う、うぅ……」
赤屋は一つ、勘違いをしていた。
この双子は互いに依存しているのだろうと思ってはいたが、どちらかというと真聖の方が詩亜に対し強い依存をしているのだと思っていた。
しかし、この様子だと詩亜も相当真聖に依存しているようだ。真聖とはまた、別の――
「取り敢えず泣け。そんで寝ろ」
「……う、うわああああん!」
詩亜は堰を切ったように泣き叫ぶ。
こうした子供はたくさんいるのだろう。赤屋もこれまでに不遇にされて育った呪力持ちを何人も見ている。
藍堂もその一人であり、家族や周りの人々から恐れられ隔離されていた。
そういった境遇に同情はする。しかし、赤屋はどうしても呪力持ちの彼らを好きにはなれない。
あの憎い邪神によって与えられた力を持ち、邪神によって凶暴化した邪獣を裁く。
これほど生産性が悪く愚かしい行為はないだろう。
赤屋は複雑な気持ちになりながらも、彼女の気が済むまで暫くの間、胸を貸していた。
しかしいつしか彼女の泣き声は止み、代わりに寝息が聞こえてきた。
ようやく寝たかと息を吐き、彼女をそっとベッドへ寝かせる。
「で、お前はいつまでそこに隠れてる気だ」
赤屋は呆れながらドアの方へ視線を投げ掛けた。
少し開いたドアの向こうには、決まり悪そうに真聖が顔を覗かせていた。
「……さすがに邪魔かと思って」
なるほど空気は読めるらしい。
しかしそれにしても、昼が回ってまだそんなに時間は経っていない。学校から帰って来たにしては早すぎる。
「お前、学校は?」
「詩亜が心配で早引けした」
即答である。学校に行っただけ偉いと思うべきか。
「まあいい。こっちに来い」
手招きするが、真聖は躊躇っているのか動こうとしない。
「いつものシスコン魂はどうした」
「ちょっと。間違ってないけど変な言い方しないでよ」
否定しないとは潔い。
真聖は憮然としながらゆっくりと近付いてくる。
側まで来て暫く立ち尽くしていのだが、いきなり赤屋をグイッと押し退け、ベッドの脇に腰を下ろす。そして、眠る詩亜の手をそっと握った。
赤屋はやれやれと立ち上がると、真聖にぼそりと名前を呼ばれる。
「何だよ」
「…………ボクね、詩亜が好きなんだ」
一瞬、赤屋は口を閉じてその言葉の意図を図り、「見てりゃわかる」と一言返した。
彼は何故か吹き出す。
「ふふ。ボクね、赤屋さんのこと結構好きだよ。もちろん詩亜に対するのとは違う意味だけど」
「あー、そりゃどうも」
同じ意味だったら困る。
真聖は詩亜の髪をそっと撫でた。
「……ボクの家、相当荒んでたんだよね」
「らしいな」
詩亜の断片的な言葉だけでも十分にそれは伝わった。
だが、一点だけ気になることがある。
「お前は呪力持ちじゃねえのか?」
詩亜の言い分だと、真聖は親から嫌われていなかったかのように思えたからだ。
しかし彼は首を横に振った。
「先に詩亜が発覚したんだよ。飼っていた犬を殺してね。うちはいわゆるエリート一家でさ。詩亜はちょっと不器用だったからいつも目の敵にされてて、呪力持ちだとわかったらもう容赦なかった。ボクもすぐ呪力持ちだってわかったけど、もう父さんも母さんも、おかしくなってたから……」
切なそうな瞳で詩亜を見つめる。
「あの人達はもうね、どこにもいない」
不意に発された意外な台詞に、赤屋は眉をひそめる。
聞き返そうかとも思ったが、聞いたところで何をするのか、何を言うのか。どうしようもないだろう。
「ボクは詩亜がいるから、生きてる。詩亜のいない世界なんて、考えられない」
真聖は「だからね――」と言って赤屋を真っ直ぐに見つめてきた。
何故だろうか、ゾクリと寒気がした。
彼から発される、異質な空気。
それは人間ではない、何か――
「ボクは、邪神と一つになったんだ」
穏やかで邪悪な微笑み。
真聖の言葉に、赤屋はただ茫然とするのだった――